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2006年12月14日 (木)

115: ディレクターズカット JFK 特別編集版

“死に行く王に権威なし”とか
その通りケネディは 殺されて権威を失い――
わが国の歴史で 最高の悲劇になった

しかし―― 過去の出来事は プロローグに過ぎない

02_2

ある作家の言葉です
“愛国者は自分の国を 政府から守るべきだ”
考えて下さい
ここで御覧になった 門外不出の証拠をね

我々が子供のころ――みんなこう思っていた
正義は自然に生まれると
美徳は価値があり 善は悪に勝つと

でもこれは真実じゃない
正義は人間がつくるもので 簡単じゃない
真実は権力にとって脅威だ
でも 権力と戦うのは命懸けです

03_28

原題 : JFK-DIRECTOR'SCUT

監督 : オリバー・ストーン
製作 : A・キットマン・ホー , オリバー・ストーン
脚本 : オリバー・ストーン , ザカリー・スクラー

出演 : ケビン・コスナー , シシー・スペイセク , ジョー・ペシ

収録時間 : 206分
製作:1991  アメリカ
レンタル開始日 : 2001-04-06

オリバー・ストーン監督が60年代4部作の完結篇として今世紀最大の謎に迫った問題作。1963年にテキサス州ダラスで起きた20世紀最大の謎とい われるケネディ大統領暗殺事件は、米社会の基盤をゆるがし、米国そのものの運命をも変えた。国民の政府への見方を永遠に変えてしまったこの事件は未だ解決 されていない。過去20年間のすべての公開資料や情報をもとに組み立てた、いわばJFK暗殺ドラマの決定版だ。

Wiki JFK(映画)http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=JFK_%28%E6%98%A0%E7%94%BB%29&oldid=9204300

■■■さくら 70点 レンタルDVD

少し前に何故か「アメリカの陰謀」って話しになって、「アポロ11号月面着陸」「石油利権と武器商」「911」なんかの他に「ケネディ大統領暗殺 」の話しがでた。話していた人が年配だったこともあって、ニュースとして映像でその暗殺をリアルタイムで知っているという話しに、ちょっとビックリしてし まった。あたしは生まれる前の出来事ということもあって、暗殺された事は知っているけどそれ以外は全然知らない。あ、あとジャクリーヌと結婚していたこと も知ってるけど・・・。それで、このDVDを借りてみる気になった。

01_42我々はどんな平和を求めるのか?
世界に向かって――
アメリカの武器を売って平和は来ない
ソ連への態度も 再検討すべきだ

我々を結びつける基本は――
この小さな天体に住んでいる事です

同じ空気を吸っている
子供の将来を案じる
しかも必ず死ぬ

                  ケネディ大統領のスピーチより

あたしが無知ということもあるんだろうけど、内容の凄まじさに恐怖を感じた。そして“真実”を暴く、知ることの難しさを実感した。巨悪を暴くという ことは、目に見えない圧力や恐怖・・・時には批判も浴びるだろうし、妄想と一蹴されて闇に葬られてしまうかもしれない。それでも、自らの信念に従って戦う 人が居るのも事実なんだろう。このJFK暗殺関連の機密書類が公開される2039年が楽しみだ。

みんな望んでいる――
真実を知りたいと 国を取り戻したいと 
我々の国だから――
誇りを持てる国にしたい

真実は最も貴重です 
真実が無力になり――
真実を殺す政府を もはや尊敬できなければ――
この国で生まれても この国で死にたくない

■■■下記、知ってるとちょっと楽しめる! かもしれない^^;

06_18ジョン・F・ケネディ

アメリカ合衆国 35代大統領
任期: 1961年1月20日 – 1963年11月22日
副大統領: リンドン・ジョンソン
出生日: 1917年5月29日
生地: マサチューセッツ州ブルックライン
死亡日: 1963年11月22日
没地: テキサス州ダラス
配偶者: ジャクリーン・リー・ブーヴィエ
政党: 民主党

□ テレビ・ディベート
1960年 J・F・ ケネディが当選した選挙では初めてテレビ・ディベートが取り入れられ、選挙に大きな影響を与えた。演説の時、ケネディは濃い色のものを、それに対してニク ソンは薄い色のものを着ていた。当時のアメリカの一般家庭にあったテレビはモノクロであったから、ケネディは濃いグレーで表示され力強く見え、反対にニク ソンは薄いグレーで表示され、たよりなく見えたと言う。

このテレビ・ディベート以来米大統領選では両党の候補者がテレビ・ディベートを行うことが定着化している。また、候補者が着るスーツの色も、ほとんどがケネディが着ていたのと同じ、濃い紺色に近いものとなっている。

□ ケネディ陣営の不正
11月8日の総選挙は 歴史に残る接戦で共和党候補リチャード・ニクソンに勝ったが、この選挙の際にケネディ陣営が多数の不正を行ったことが後の調査で判っている。実際、不正の 証拠をいくつもつかんだニクソン陣営は、選挙管理委員会に対し正式に告発を行おうとしたが、前大統領のアイゼンハワーに「裁判となり泥仕合になると国家の 名誉を汚す結果になる」と説得され、告発を取りやめている。

また、父親のジョセフ・P・ケネディ・シニアが、禁酒法時代に密売酒の製造を行っていた時の仕事上のパートナーであるマフィアに、彼らの縄張りであるシカゴの労組票の取りまとめを依頼していたことが後に暴露されている。

□ スキャンダル
ケネディには大統領就任以前から、ハリウッド女優のマリリン・モンローなど多くの女性との不倫関係があったことが知られており、また、関係を持った女性の多くが裏でマフィアとの繋がりがあったことでも知られている。

マリリンモンローがジョン・F・ケネディにHappy Birthdayを歌うシーン。
YouTube 01:17 
http://www.youtube.com/watch?v=ha3Pyt4wsGA

□ ケネディの政策
ケネディの主な政策は、国内政策は鉄鋼業界によるカルテルとの対決、人種差別問題への介入、そしてケネディ家と因縁の深いマフィアとの対決。国際政治はキューバ危機後の軍縮への努力である。

□ キューバ危機
キューバ危機の回避は、おそ らくケネディの大統領在職中最も重要な出来事だった。確固たる信念と優れた政治手腕によって、ケネディは戦争を望んだ政権中の強硬派のコントロールと、野 心的なソ連の脅迫によって脅威が増すことを防ぐことの両方を試み、それに成功した。後に、多くの人がキューバ危機を「世界が核戦争に最も接近した時」であ ると考えている。

□ 対ソ連軍事戦略
ケネディはアメリカの対ソ 軍事戦略を、それまでの大量報復戦略から柔軟対応戦略への転換を決定した。ケネディのこの決断の背景には、ソ連の核開発が進み、また核の運搬手段にもなり うる無人人工衛星(スプートニク)や有人人工衛星(ボストーク)などの打ち上げにソ連がアメリカに先んじて成功していたため、ソ連の核戦力がアメリカに追 いつきつつあると考えられていたという事情もある。核戦力の差があまり大きくなければ大量報復戦略は成り立たない。

□ 人種差別との戦い
ケネディは、多くの深刻 な国内問題にも対処しなければならなかった。すべての問題の中でも最も大きな問題であったのは人種差別に関する問題であった。ケネディは大統領権限ででき ることとして、有能な黒人を積極的に連邦政府の幹部に任命した。その結果司法省では黒人の連邦検事は10人から70人に増え、また連邦判事もゼロから5人 に増えた。また、企業や労働組合に対しても黒人を積極的に雇うよう働きかけた。連邦政府の補助金を受けている病院や図書館での差別は大統領府令によって禁 止し、連邦雇用局に対しては白人だけを雇う企業の求人を拒否するよう命じた。さらに、ケネディは黒人の選挙権に対する二つの南部の悪習を撤廃させるよう努 力した。その一つとして、貧しい白人や多くの黒人を投票所から締め出していたポール・タックス(投票するために支払う税金)を廃止する法案を通過させ、こ の法案は合衆国憲法修正第24条となった。もう一つの悪習はリテラシー・テスト(黒人を選挙から締め出すことを目的としたテスト)であったが、これを廃止 する法案は上院を通過できなかった。

□ 組織犯罪との戦い
1961年に政権に就く とケネディは早速組織犯罪撲滅作戦に乗り出した。この作戦の陣頭指揮を執ったのが司法長官に就任したロバート・ケネディだった。その第一段階として、 1961年4月4日にニューオーリンズのドンと目されていたカルロス・マルセロを国外追放した。1962年9月になるとマルセロは国中のマフィアを ニュー・オーリンズに集めてケネディ兄弟による組織犯罪調査を口をきわめて罵り、彼らの暗殺を示唆した。

□ ベトナム戦争
ケネディは当初アメリカによ る直接的な軍事介入を決断し、南ベトナムのゴ・ディン・ジエム政権に対する軍事クーデターへの関与を行うなどアメリカを本格的にベトナム戦争に引きずり込 む役割を果たしたものの、その後は泥沼にはまりつつあったベトナム戦争からの早期撤退を計画したとされる。

しかし、自らが切り開こうとしたアメリカ軍のベトナムからの早期撤退 計画は自らが暗殺されたことによって頓挫した。後任のリンドン・B・ジョンソン大統領時代においてはベトナム戦争への介入は押し進められて、ベトナム戦争 は再度泥沼化する。ケネディの急進的なベトナム戦争撤退の方針が軍産複合体の利害と対立して、ケネディ暗殺につながったという説もある。

□ JFK暗殺
05_19 独立した直接的事実は、射撃はすべて「後方から」リー・ハーヴェイ・オズワルドによって行われたとする暗殺真相究明委員会(ウォーレン委員会)による政府 側報告書とまったく矛盾しており、政府側もしくは産軍複合体の巨大な陰謀が指摘される理由となっている。ケネディの急進的なベトナム戦争撤退の方針が政府 側もしくは産軍複合体の利害と対立して、ケネディ暗殺につながったという一説がある(なお、映画『JFK』はフィクションと歴史事実を意図的に混合してい るので注意が必要である)。

ジョン・F・ケネディ大統領が暗殺される瞬間をホームビデオで撮影したアブラハム・ザプルーダーさんの映像。
YouTube 00:18  
http://www.youtube.com/watch?v=GU_cbEIPXw0

□ JFK暗殺後
ケネディ暗殺後、世界は激し い冷戦時代に突入する。ケネディ暗殺のあと、世界は30年も待たされ、強力なリーダーシップをもち軍縮に積極的なソ連のミハイル・ゴルバチョフの登場を迎 えて冷戦は終結する。言い換えれば、ケネディの軍縮に積極的な革新的態度は、30年進んでいたともいえるだろう。ケネディの冷戦解消にきわめて積極的な革 新的態度は、アメリカ国内の軍産複合体の大きな脅威だったといわれる。

□ アポロ計画
さらにケネディは、アメリカが 宇宙開発競争の先頭に立つことを熱望した。当時、ソ連は世界で最初の人工衛星スプートニクを打ち上げたのをはじめ、その後も1961年に初の有人飛行を成 し遂げるなど、宇宙開発については完全にアメリカに先立っており、彼はソ連に追いつこうと決心していた。そしてアメリカが宇宙開発競争で後れをとることは できないと言った。ケネディは、アメリカ人を月に到達させるというアポロ計画のために220億ドル以上承認してくれるように議会に依頼した初めての大統領 だった。ケネディの死後、1969年アポロ11号はついに月面に人類を送り届けることに成功したが、同時に莫大な開発費が、ベトナム戦争による戦費支出に あえぐ政府をさらに痛めつける結果となった。

wikiより抜粋

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