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2007年1月 6日 (土)

ゴーギャン「果実を持つ女」~大エルミタージュ美術館展~

映画ではありませんが、記録も兼ねてアップします。昨日から名古屋市美術館で始まった「大エルミタージュ美術館展」を、雨が降る中観に行って来た。雨のせいか、土曜日なのに思ったより人が少なく、そんなにイライラすることなく鑑賞することができた。

名古屋市美術館公式HPhttp://www.art-museum.city.nagoya.jp/index.shtml

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エルミタージュ美術館の始まりは、エカテリーナ2世が購入した絵画から始まった美術コレクションだ。あたしは池田理代子の「女帝エカテリーナ」が大好きだったので、そのエカテリーナのコレクションという事もあって、とても楽しみにしていた。

エカテリーナ2世(1729―96 在位1762年―96年)は33歳で即位して、その2年後つまりは35歳の時に、ベルリンの画商ゴツコウスキー からオランダ派とフランドル派の絵画コレクション225点を購入した。これがエルミタージュ美術館の始まり。本来プロイセンのフリードリヒ大王の手にわた るはずだったこのコレクションの入手は、ロシアの国力がプロイセンにまさっていることを示す出来事だった。・・・う~ん、カッコイイ!

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ポール・ゴーギャン(1848―1903)の「果実を持つ女」は、やっ ぱり目を惹いた。というのも、写実的で昔の衣装をまとったヨーロッパの人々が描かれている中で、褐色の肌を持つポリネシアンの健康そうな女性を大胆で明る い色彩で描いているこの絵は、特異だからだ。他の絵と違って、明るくてたくましい生命力や、その土地の空気が感じられるかのようだった。絵の説明には、 「果実のなっていない樹の下で、果実を大切に持っている女性は、知恵の実を持ったイブを表現しているのかもしれない」なんて書いてあった。

この作品製作は1893年だから、当然だけど、エカテリーナ2世の没後にエルミタージュ・コレクションに加わったことになる。

ゴーギャンは証券マン(でいいのかな?)だったのが市場の暴落で職を失い、趣味で描いてはいたが、画家になったのが35歳だというから驚きだ。 1888年40歳の時には南仏アルルでゴッホと共同生活をしていたのは有名な話しだが、2人の強烈な個性は衝突を繰り返し、ゴッホの「耳切り事件」をもっ て共同生活は完全に破綻した。

そして結婚して子供もいたのに、西洋文明に毒されていない絵を描くために43歳で単身タヒチ(1880年からフランス領)に渡り、現地で同棲(13 歳の現地妻!?)しながら絵を描き続けた。「果実を持つ女」はこの時の作品。で、タヒチでの自信作80点を持って意気揚々と帰国したんだけど、評価はサッ パリ。もちろん、捨てた妻子に受け入れられるはずもなく、がっかりしたゴーギャンは1895年47歳で、逃げるように再びタヒチに渡った。

04_19 しかし、タヒチでも歓迎されず、梅毒にも侵されていた彼は、絶望と貧困の中で自殺も考えて大作「我々はどこから来たのか 我々は何者なのか 我々はどこに行くのか」(1897年)を描く。その後、自殺するが失敗。

その後何かが吹っ切れたのか、画風もやさしくなり、再び現地の妻も娶り(!?)、1903年にタヒチで没した。現在タヒチには、ゴーギャンの子孫が沢山住んでいる村まであるそうだ。残念ながら作品は残っていないそうだが、その血は受け継がれている。

(テレビ東京“KIRIN~美の巨人たち”要約)

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