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2007年5月14日 (月)

154: 俺は、君のためにこそ死ににいく

生き残った特攻さんは 特攻崩れと蔑まれ
死んでいった特攻さんも 犬死とさえ言われるようになった

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監督:新城卓
製作総指揮:石原慎太郎
脚本:石原慎太郎

キャスト:岸恵子  徳重聡  窪塚洋介  筒井道隆  多部未華子  前川康之  中村友也  中越典子

日本公開: 2007年5月12日
上映時間: 2時間21分 
配給: 東映 

太平洋戦争末期、軍の指定である富屋食堂を切り盛りする鳥濱トメ(岸惠子)は、地元の知覧が特攻基地となったことを知る。トメは家族と離れて出撃を 待つ若者たちが自分に会いに来ては飛び立っていくことを引き留めることもできず、複雑な思いを胸に秘めながら母親代わりとして慈愛の心で彼らを見守り続け ていくのだが……。公式HP

■■■さくら56点 劇場鑑賞

東映の株主優待があるので観に行ったんだけど、うぅ~ん、すごく感想を書きにくい。

というのも、あたしはこの映画を観ながら、戦争でいいことなんて無いんだな~、教え込まれる(教育)・知らされない・気付かない・って恐ろしいな ~、なんて淡々と感じながら観てたら、途中から館内で鼻水をススル音があちこちから聞こえ始めたからだ。右隣に座っていた女性なんか、ずっと泣いている。 家族を想う気持ち、かわいい恋心、同志の絆、‘富屋食堂の母’が隊員を想う気持ち、それらに共感して、そして、これから死に逝く特攻隊員が可哀想で、泣いているのだ。

あたしは、えぇ~ってビックリした。冷静に観れちゃってたあたしは、冷たいのかも・・・。20070514_002

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以下、ネタバレ+感想です。後半には、【特攻の母】【特攻の父】【特別攻撃隊】他、情報も・・・。

 

 

‘男なら’‘お国のために’‘英霊を迎えることができた喜び’‘靖国で会おう’‘責任はとる’‘国体の維持’

20070514_004_1 ‘なんのために死ぬん 
   父ちゃんやネェちゃんを守るためなんか’

‘そうや お前も男だから これからは 
   父ちゃんやネェちゃんのことを守ってやれよ’

‘いやや そしたらニィちゃんが死んだら 
   日本は勝つんか’
‘そうや 日本は勝つんや’

このシーン、そしてこれ以外のシーンもあたしは、悲しいとも、切ないとも感じず、切腹のシーンでも(この映画では)日本的美学なんかとは感じられ ず、時代の雰囲気に後押しされた人間が持つ感覚の恐ろしさを想わずにいられなかった。人が人を想う気持ちと戦争が結びついても、何の意味も成さない。負ければ尚のこと、たとえ勝ったとしても、多くの悲しみしか残らないと思う。蛍のシーンでも気持ちは引いたままで、登場人物の感情に全然ついていけなくて、少し残念だった。

どのシーンも、これでもかとばかりに押しが強すぎて、逆に引いた。(ある意味、受身で見ることを強要する映画だと感じた。)

でも、となりの女性は、ずっと鼻水をすすり上げていて、この手の映画にとても弱いようだった。そして、館内には鼻水をすする音が絶えずしていた。うぅ~ん、そんなに感情移入して見れるんだ・・・・・。なんか、取り残されてしまった気分。

ちょっと意外だったのが、終戦後のことも思った以上に長めに尺がとってあったことだ。戦後の視線が少し入っていたので、少し話しが締まった気がする。これが無かったら、戦時中を悲しくも美しく描いただけで終わっちゃう。

最後、撮影に協力した所のクレジットを見て、おぉ~石原慎太郎都知事の力か!? なぁんて、ちょっと思っちゃった。

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あたしは、鳥濱トメさんが若き特攻隊委員を支えた心には、人間としての優しさや強さを感じたし、特攻隊員を‘自爆テロと一緒だ’とは思っていない(・・・思いたくない)。でも、正直、今この時期に、戦争を「悲しく、そして美しく」描くことには、抵抗がある。(タカ派・石原慎太郎が関わっていなければ、抵抗なく観れたかもしれないけど・・・)。戦争を描けば‘悲しく’なってしまうのは当然だけど、表現の仕方があると思う。それに、鳥濱 トメさんの視線が中心になっているので(しかたがない?)、‘悲しさ’が主に強調されていたのも、微妙な感じだし、‘美しく’描かれていたのも、 石原慎太郎のフィルターを感じた。

◆ 大西瀧治郎中将(海軍)が、フィリピン戦の直前に特攻隊の編成を決心し、特攻隊の生みの親となったという話を、そのまま採っていること。特攻隊長指名を受けた関行男大尉(海軍)は、しばらくの沈黙の後、「承知しました」と答え、自室に遺書を書きに戻っていったという、戦意昂揚の為の「神話」を、そのまま採っていること。  ・・・・・などは‘実話を基にしている映画’に、どういったフィルターがかけられたかが判る一端では??

◆ 蛍のシーン、夏祭りの踊りのシーンなど、叙情的シーンが盛り込まれていること。  ・・・・・‘実話を基にした架空の若者像’にも、歴史にかけられたのと同じフィルターが感じられる一端では??

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じゃあ、この映画は戦争美化・賛辞をしていたのか、と考えるとそうでは無かったと思う。なら、反戦映画だったか、と考えるとそうでも無かったと思う。あれは、仕方が無かったんだ、という感じかなぁ。石原慎太郎にしてみたら、戦争を描いたのではなく、「鳥濱トメさんと純粋な若者の真実」を描いたのかもしれないが、受け取る側にしてみたら「・・・・・」だ。確かに「軍部の命令で過酷な運命を背負わされた特攻隊員」が描かれてはいたけど「・・・・・」だ。みのもんたは「いい反戦映画になっていたよ」と言っていたらしいので、そんな感じ方をしたあたしが、ひねくれているのかもしれない(笑)。

20070514_998 あたしは別にアンチ石原慎太郎というほど、彼に興味があるわけではない。でも、彼の持つイメージと立場で、今この時期に、戦争映画を撮るというのは、無謀に等しいと思っているんだけど、受け入れられていくのかな??? まぁ、都知事に再選も果たしている事からみると、受け入れられるのかもなぁ。

それに‘製作総指揮・脚本/石原慎太郎’という事には、さして興味が無い人も多いだろうしね。

 

「俺は、君のためにこそ死ににいく」・・・こんな事を思わなければならなかったのが、この時代だけに終わることを切に願う。泣けなかったあたしだけでなく、泣いてた人達もそう感じたと思いたい。そして、ちょっと恐そうにみえた(右翼っぽい?)人達が、あぁ、こういった戦争感覚は感動を呼ぶんだと、変に勘違いしなかったことを願いたい。Abc

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追記です。

 

【特攻の母】

「思えばもう遠い昔のことかも知れもはんが、いつまでも忘れることができもはん 

“特攻の母”トメさんは明治35年、鹿児島県生まれ。父を知らず、8歳から働き始めて、20歳のときに結婚して知覧で暮らし始める。

わずかの蓄えを元手に開いた富屋食堂は昭和16年、陸軍の指定食堂となり、少年飛行兵のたまり場に。親の愛を知らずに育ったトメさんは彼らを我が子 のように接し、やがて着物など私財を投げ打って、特攻兵が願う最後の晩餐を無償で提供。兵士らも彼女を「お母ちゃん」と慕い、故郷に残した家族らへの遺言 を託すようになった。

戦後もトメさんは“特攻”に散った若者たちを、決して忘れることはなかった。62年には知覧特攻平和会館が開設された。89歳で逝ったトメさんの生前、石原は「心の誠は世を越え人を超えて伝はる 私はそれを貴方から教はりました(原文のまま)」と色紙を書いている。

「物書きのとき、(特攻隊員を)間近でハラハラしながら見送った、その最たる人と知り合った。彼女は肉親の権化として彼らと接し、彼らは誰にも言えないことを彼女に伝えて死んでいった。菩薩だと思います。」 (石原慎太郎)

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H14.08.11 人物探訪: 特攻隊員の母、鳥浜トメ~蛍帰る  明日は死に行く若き特攻隊員たちにしてやれる事は、母親になってやる事しかない、、 より抜粋  

戦争が終わり、年が変わって昭和21年。知覧飛行場で最後の特攻機が燃やされた際、トメは近くに落ちていた棒杭を地面に立てて、娘たちにこう言った。   

さ、これがきょうからあの人たちのお墓の代わりだよ。たった一つしかない命を投げ打って死んでいったんだよ。それを忘れたら罰が当たるよ。日本人なら忘れてはいけないことなんだよ。

特攻隊を称えるだけで「軍国主義者」のレッテルを貼られる時代だった。墓など作ったらすぐ壊されてしまう。こんな棒杭なら壊しに来る人はいないだろう。その代わりに毎日お参りにくるから許してくださいね、とトメと娘たちは手を合わせた。
   
20070514_999 昭和25年、朝鮮戦争の特需で経済復興も始まり、特攻隊への逆風が静まっていた。トメは毎日の棒杭参りを続けながら、昔なじみの知覧町長のもとに通っては 特攻隊員たちのための観音像建立の請願を続けた。自分の費用で建てれば、すぐにでも実現できたが、それでは慰霊が私的なものになってしまう。特攻隊員たちはお国のために命を捧げたのだから、その慰霊は公に行われなければならなかった。
   
昭和30年9月28日、知覧飛行場の一角に観音像が完成し、その除幕式の日にトメは像の前の手水鉢を寄進した。

平成13年(2001年)、かつての食堂が「ほたる館」として復元され、特攻隊員の記念館となっている。

◆鳥濱 トメ(とりはま とめ) 明治35年(1902年)- 平成4年(1992年)4月22日 

 

【特攻の父】

「実は、特攻は一方的な命令で、志願ではなかった」

大西 瀧治郎(おおにし たきじろう、1891年6月2日 - 1945年8月16日)は旧日本海軍の軍人。軍令部次長、海軍中将。兵庫県氷上郡芦田村(青垣町を経て現在は丹波市)出身。海軍兵学校第40期生。「特攻生みの親」として有名。

20070514_102_1 太平洋戦争時、中将となっていた大西は、いわゆる神風特攻隊の編成を行なったことにより「特攻の父」「特攻生みの親」などと呼ばれる。当初大西は「特攻は統帥の外道である」とし、特攻隊の編成には反対の立場をとっていたといわれる。

しかし、1944年6月のマリアナ沖海戦での連合艦隊の一方的敗北以降、日本海軍航空隊が従来の航空攻撃では連合軍艦船に対してほとんど打撃を与えられなくなった状況で特攻戦法の導入を主唱したのは、ほかならぬ当時第1航空艦隊司令長官であった大西であった。

ただし、特攻戦術を推進したのは伏見宮博恭王で、皇室に累が及ぶことを防ぐために大西の名前が使われたという説もある。

Oonishi_1神風特別攻撃隊のフィリピン戦1944年より抜粋 

第一航空艦隊司令長官に大西瀧治郎中将が、フィリピン戦の直前に特攻隊の編成を決心し、特攻隊の生みの親となった、と生き残った有能、有名な軍人が流布しているが、この説は実に不思議である。

特攻隊の出撃(1944/10/20)の2週間前(10/5 大西瀧治郎中将が第一航空艦隊司令長官に任命された)に着任した司令官が、勝手に特攻 隊を編成、出撃させることが、大元帥昭和天皇を戴く日本海軍で許されるのであろうか。下級兵士が自発的に陛下の貴重な兵器である航空機を体当たりで壊して しまう行き当たりばったりの作戦を、日本海軍上層部(大本営・軍令部や最高司令官)が認めるのか。

Yokosuka特別攻撃隊wiki より抜粋

大西瀧治郎海軍中将は、1942年3月以来、海軍航空本部総務部長に就任し、航空機生産に関わっており、部隊指揮からは遠ざかっていた。その大西中 将が、1944年10月に急遽、フィリピンにおいて第一航空艦隊の指揮を命じられ、現場に着任直後に特攻隊の編成を命じている。神風特攻隊のように兵力を激減させ、将兵の士気に衝撃を与える作戦を現地司令官大西中将が独断で採用する権限はなく、軍令部が定めた特攻作戦を現場で実施に移したものと考えられている。

 

1945年8月16日、日本の敗戦を見とどけると、「特攻隊の英霊に曰す」で始まる遺書を遺して割腹自決。自決に際しては敢えて介錯を付けず、また 「生き残るようにしてくれるな」と医者の手当てを受ける事すら拒み特攻隊員に詫びるために夜半から未明にかけて苦しんで死んだという。享年54。

20070514_101  大西瀧治郎の遺書

特攻隊の英霊に日す 善く戦ひたり深謝す 
最後の勝利を信じつつ肉弾として散華せり
然れ共其の信念は遂に達成し得ざるに到れり 
吾死を以て旧部下の英霊と其の遺族に謝せんとす

次に一般青少年に告ぐ 
我が死にして軽挙は利敵行為なるを思ひ 
聖旨に副ひ奉り自重忍苦するの誡ともならば幸なり 

隠忍するとも日本人たるの矜持を失ふ勿れ 
諸子は国の宝なり 
平時に処し猶克く特攻精神を堅持し
日本民族の福祉と世界人類の為 最善を尽くせよ

海軍中将 大西瀧治郎

 

辞世

これでよし 百万年の 仮寝かな

すがすがし 戦のあとの 月清し

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特別攻撃隊

太平洋戦争末期に日本軍が編成した、生還の可能性の無い(主に航空機による)連合国艦艇に対する体当たり攻撃を実行するための部隊である。特攻隊 (とっこうたい)・特攻(とっこう)と略す場合が多い。外国語においても「tokko」「kamikaze」とは戦死を前提とした体当たり攻撃として通じ ている。

名称の由来

特攻隊は、海軍・陸軍とも航空機や船舶など多くの部隊が編成されているが、最も著名なものが海軍の神風特別攻撃隊である。これは、海軍航空機からな る特別攻撃隊であり、元寇を追い払ったといわれる「神風」の思想の影響からか、特に神風特別攻撃隊と呼称していた。本来の読みは「しんぷうとくべつこうげ きたい」であるが、初出撃を報じる「日本ニュース」第233号のナレーションで「かみかぜとくべつこうげきたい」と読んで以降、「かみかぜ~」が定着し た。

神風特攻第1号

深夜、大西瀧治郎中将や飛行長中島少佐たちの前で、突然隊長指名を受けた関行男大尉は、頭を抱えて考え込んだという。彼は結婚したばかりで妻も年老いた母もいた。しばらくの沈黙の後、「承知しました」と答え、自室に遺書を書きに戻っていったという。(これは戦意昂揚の為の「神話」であり、実際には即答を避けて一晩悩んだ末、翌日になってようやく応諾した、と言われている。)

First_kamikaze_attack_2この後、当時このマバラカット基地にいた海軍報道班員のインタビューに対し関はこう答えている。「僕には体当たりしなくても敵空母に50番(500キロ爆弾)を命中させる自信がある。日本もおしまいだよ、僕のような優秀なパイロットを殺すなんてね。僕は天皇陛下のためとか日本帝国のためとかで行くんじゃないよ。KA(海軍の隠語で妻)を護るために行くんだ。最愛の者のために死ぬ。どうだ、すばらしいだろう」。これは彼だけでなくこの後散っていった多くの特攻隊員たちの気持ちを代弁したものと考えてよいと思われる。

陸軍の特別攻撃隊

Tominaga_2 陸軍の(航空)特別攻撃隊は、当初は海軍の「神風」のような統一した隊名を用いなかった。フィリピン戦線に投入された富嶽隊(浜松、四式重爆撃機)と万朶隊(鉾田、九九式双発軽爆撃機)に始まり、その都度命名された。その当時の陸軍特攻隊指揮官は悪名高い富永恭次中将である。

Sugawara_2し かし、沖縄戦が始まり、回数が増えると、やがて「第○振武隊」のような命名が増えていった(丸には数字が入る)。沖縄戦では知覧・都城などを基点に作戦が 遂行された。陸軍の特攻を指揮したのは菅原道大中将であった。 また、海上から海上挺身戦隊など(所謂、連絡艇・レ艇)による攻撃も行われた。

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海軍  映画の登場人物たち

関行男:的場浩司  /海軍大尉。戦斗第301飛行分隊長。
大西瀧治郎:伊武雅刀  /海軍中将。第1航空艦隊司令長官。特攻隊作戦の発案者。

陸軍  映画の登場人物たち

中西正也:徳重聡  /陸軍少尉。第71振武隊、中西隊隊長。
田端絋一:筒井道隆  /少尉。第47振武隊、荒木隊隊員。
金山:前川泰之  /少尉。第47振武隊、荒木隊隊員。朝鮮人。
河合惣一:中村友也  /軍曹。第71振武隊、中西隊隊員。
加藤:渡辺大  /伍長。第47振武隊、荒木隊隊員。
石倉:宮下裕治  /伍長。第71振武隊、中西隊隊員。
安部:木村昇  /少尉。第35振武隊、安部隊隊長。
荒木:田中伸一  /少尉。第47振武隊、荒木隊隊長。
松本:蓮ハルク  /軍曹。第47振武隊、荒木隊隊員。
大島茂夫:古畑勝隆  /伍長。第71振武隊、中西隊隊員。
川口:遠藤憲一  /少佐。第6航空軍参謀。
東:勝野洋  /大佐。第6飛行団長。

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同期の桜     作詞:西條八十  作曲:大村能章

貴様と俺とは 同期の桜 同じ兵学校の 庭に咲く
咲いた花なら 散るのは覚悟 みごと散りましょう 国のため

貴様と俺とは 同期の桜 同じ兵学校の 庭に咲く
血肉分けたる 仲ではないか なぜか気が合うて 別れられぬ

貴様と俺とは 同期の桜 同じ航空隊の 庭に咲く
Oreha_903_2仰いだ夕焼け 南の空に 未だ還らぬ一番機

貴様と俺とは 同期の桜 同じ航空隊の 庭に咲く
あれほど誓った その日も待たず なぜに死んだか 散ったのか

貴様と俺とは 同期の桜 離れ離れに 散ろうとも
花の都の 靖国神社 春の梢に 咲いて会おう

 


特攻隊と学徒動員・知覧高女・鳥濱トメ  参考になります。水上特攻、空中特攻(菊水)、人間魚雷(回天)、人間爆弾(桜花)などについても書かれています。読むだけで、恐怖で身が竦みます。そして、なぜ生き残ってしまったのだろうか・・・という言葉に、胸が熱くなります。

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コメント

 こんにちは。TBありがとうございます。
 
 この映画の出来は、私も高く評価はしていません。しかし、この人物の存在を広く多くの方に知らしめるきっかけになった事は嬉しい事です。

 この手の題材で映画が出来ると、左側の人は必ず「戦争賛美」だと言います。しかし、そうでしょうか。石原さんも決して「戦争賛美」などとは思っていないと思います。

 あの時代・・・・あなただっらたどうするのか?今の時代・・・・無法者の国が攻めて来たらあなたならどうするのか?を問われているような気がします。「話し合いで」などとはきれい事ではないでしょうか。

 私は右でも左でもないと思っていますが、こんな状況におかれたら行きますよ、君のため、家族のため、国のため。

 しかし、映画の出来がイマイチなのが残念でした。

投稿: 紫電改 | 2007年5月21日 (月) 10時26分

★TB&コメ、ありがとうございます。^^

北朝鮮の核開発、防衛庁から防衛省へ、沖縄の米軍基地開発(辺野古)、イラク特措法改正案延長、国民投票法の成立、ライセンス生産と言う形で国産された兵器は世界最高クラスの水準といわれ、その日本製の兵器を装備した「自衛隊」・・・・・“こんな状況”になるのは、そう遠くない未来かもしれませんね。

その遠くない未来に戦うのは、今は10代~20代の若者、もしくは、今はそれより小さな子供たちなのかもしれませんね。“こんな状況”になるを止められなかった今を生きる大人のツケを払うのは、子供たち・・・映画にもあったように、親はやりきれないだろうと思います。

でも、おっしゃるように、キレイ事ばかりは言っていられないと思います、“こんな状況”になってしまっては・・・・・。

投稿: さくらスイッチ | 2007年5月21日 (月) 12時10分

さくらスイッチさん、
コメントありがとうございました。

私自身は皆さんのように、感想とかが書けないので
リンクをさせてもらってます。

追加のコメントがすごくいいですね。
いろんな情報があって、勉強になります。

また、参考にさせてもらうと思いますが
よろしくお願いします。

投稿: ロイ from 週末映画! | 2007年5月21日 (月) 22時32分

★こちらこそ よろしくお願いします。

投稿: さくらスイッチ | 2007年5月21日 (月) 22時57分

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