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2007年5月20日 (日)

158: 王と鳥

過去の慣例に従えば・・・                    Le_roi_001_1 Le_roi_006 Le_roi_005

英題: LE ROI ET L'OISEAU

監督:ポール・グリモー
原作:アンデルセン「羊飼い娘と煙突掃除人」
脚本:ジャック・プレヴェール/ポール・グリモー
台詞:ジャック・プレヴェール
音楽:ヴォイチェフ・キラール/ジョセフ・コズマ

キャスト:パスカル・マゾッティ  ジャン・マルタン  レイモン・ビュシエール  アニエス・ヴィアラ  ルノー・マルクス  ユベール・デシャ  ロジェ・ブラン  フィリップ・デレーズ

製作年: 1980年
製作国: フランス
日本公開: 2006年7月29日
上映時間: 1時間27分

独裁王国の高層宮殿を舞台に、肖像画から現実の世界へ抜け出てきた人物たちが繰り広げる騒動を描く傑作アニメのディレクターズカット版。監督のポー ル・グリモーと脚本家ジャック・プレヴェールが未承認のまま、1952年に『やぶにらみの暴君』として発表されるや世界中で絶賛され、高畑勲、宮崎駿など 多くの作家に影響を与えた。その後作品の権利とフィルムを取り戻したグリモーが手を加え、1979年に完成。現代にも通じる時代を鋭く捉えた隠喩(いん ゆ)の数々が痛烈。 公式HP

◆◆◆さくら78点 レンタルDVD

ゲド戦記の公開とだぶって東京では公開されていた。名古屋は無いのかなぁ~って思ってたら、少し遅れて公開されたんだけど、ちょっと遠い映画館での公開で、あたしがボヤボヤしているうちに公開が終わってしまった。

で、やっとレンタルして鑑賞! ^^;

制作が古いので、レトロな感じなのかと思ってたのに、意外や意外!? 内容だけでなく、絵も含めて、まったくといっていいほど古さを感じさせなかった。スゲ~よ、ホントに!

Le_roi_004ま ず、その絵!、とっても絵になるんです。あれ?、絵になるって表現は変だね、アニメなんだから・・・う~ん、とにかく、とにかく、カッコイイんですよ。 きっちり描き込まれた背景、絨毯の模様の美しさ、石張りの床の照り返し、楽器のカッコよさには、目を見張ります。あと、色彩の選び方!、微妙な明度の色が 使われていて、その組み合わせがとってもお洒落なんです。動きも、スムーズさには欠けるものの、なんというかスゴく優雅でした。まるで踊っているかのよう に、軽やかでリズムを感じさせるんです。指先、つま先の動き1つとっても、ウッ・うわぁ~っ・・・て感じ!(って、どんな感じだ!・笑)

物語は寓話っぽくて、単純なんだけど比喩に富んでいます。王は愚かな施政者に、鳥は賢者に、‘鳥たち’は貧しい国民・煽動されやすい国民に、そし て、お茶を飲みながら窓から見下ろしてた人は特権階級(勝ち組)に、なんてあたしは置き換えて見てたら、面白かったです。(他の人が見たら、また別の比喩 が見付かりそうだけどね。)権力への抵抗、肌の色の違い・職業による差別を超えた恋心にも、キュンとします。ラブストーリーとしても楽しめます♪  

ラストの“小鳥を捕る罠”を潰すシーンに、作者の想いを感じました。・・・・・とっても、大人なアニメでした。

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監督ポール・グリモーが語る「王と鳥」 公式サイトより抜粋

Le_roi_002 ◆「王と鳥」プロジェクトはいつ頃誕生したのですか?

 1946年、ジャック・プレヴェールと私に、この作品のアイデアが生まれました。最終的に2、3の物語で迷いましたが、アンデルセン童話「羊飼い 娘と煙突掃除人」を選びました。ただ実際は、この物語も土台としての役割に留まっていて、完成したものは極めて今日的な要素を盛り込んだものとなっていま す。元の物語から残っているのは、羊飼い娘と煙突掃除人の登場人物だけと言ってもよいですね。

◆1953年にフランスで公開された「羊飼い娘と煙突掃除人」(邦題「やぶにらみの暴君」)は、あなたが当初企画していた内容とは異なるものでし た。13年後、この映画の権利とネガフィルムを取り戻し、希望どおりの作品として生まれ変わらせる機会を手に入れましたね。「王と鳥」を鑑賞しましたが、 前作のシークエンスが殆ど確認できないほど変わっています。前作と変わらない部分は何分くらいですか?

 1950年に私は「羊飼い娘と煙突掃除人」の制作から外されました。私が反対した前作は62分で、そこから、ジャックと私の考えていたものとは異 なる部分を20分カットしました。現在、最終版「王と鳥」は87分です。つまり、断片的にですが、前作の約半分を作り直したことになります。大変細かい作 業でした。技術的にも、様々な問題に立ち向かわなければなりませんでした。

◆ネガフィルムを取り戻した1967年から、映画を完成させた1979年まで、12年間という歳月が流れています。ご苦労された点は何ですか?

 1967年、この映画を本来あるべき形に戻したいと言い出すと、みな反対しました。完全にあきらめるか、短編として再生させるか、2つに1つだと 言われました。しかし、短編にするという解決方法は全く考えていませんでした。当初制作するはずであったものを完成させることだけに関心があったのです。 「羊飼い娘と煙突掃除人」という題名で観客が鑑賞した映画は、私にとってはニセモノ、もしくは別の映画ですから。この考え方を理解してもらうのに大変苦労 しました。

◆最後に…

 私にとって「王と鳥」は30年続いた格闘であり、それ以上のものでもあります。それは、人のキャリアに匹敵する時間ですが、私にとっては、友人や自分の考えへの忠実さの証なのです。

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コメント

おもしろそうですね。(見てみたいと思います)


  ’’・・・とっても、大人なアニメでした。’’

という感想のフレーズに魅かれました。^^


投稿: nono1 | 2007年5月21日 (月) 18時13分

★★下敷は童話なんだけど、隠喩に皮肉が利いていて、苦笑いしちゃいます。教育的指導が隠喩されていないのが、大人な感じでした。^^

投稿: さくらスイッチ | 2007年5月21日 (月) 22時23分

ヾ(^∇^)見ました、見ました。

絵から抜け出るなんてとてもファンタジック♪♪

そうそれからやっぱり絵がきれい! 「絵になる」^^
また、王の暴君ぶりは、何の悲しみによるものかについて、
展開されそうで最後まで展開されずに終わったのが期待に反したのでした。^^

投稿: nono1 | 2007年6月 7日 (木) 07時08分

なるほど、言われてみれば‘王の悲しみ’・・・その孤独については、描きこまれていなかったなぁ。そういう意味では、全体的に人物描写は浅かったよね。

王は、射撃の練習にも見られたように「ハダカの王様」状態で、イエスマンとタイコモチしか回りにいないから、自分の暴君ぶりに気付いてさえいない感じだった。おまけに、まだ描かれて日の浅い、イーゼルに乗せられてた「絵の中の王」に、その座を奪われちゃってたもんね。とってもマヌケに見えた。

「生身の王」には悲しみがあったかもしれないけど、見た目は大人でも「絵の中の王」は‘悲しみ’が何たるかさえ知らなかったのかも・・・なぁ~んてネ。

新たな視線を与えてくれて、サンキュ(^^)♪ です。

投稿: さくらスイッチ | 2007年6月 7日 (木) 20時09分

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