検索ワードから見る◆マイブログ『バベル』への興味対象のまとめ
あたしのマイナーブログには珍しく、『バベル』関連の備忘録には1日に何人もの人に訪問して頂いています。それで、あたしのブログに訪問して頂いている人の検索ワードから、何に興味があるのかを自分なりに判断して、そのまとめを下記に、本文から抜粋してみました。
微妙にネタバレになっていますが、鑑賞前の人に読んで頂いても、その1~その5までは差し支えない範囲と思っています。でも、その6は鑑賞前なら読まないほうが無難だと思います。
その1◆何が不評なのか?(鑑賞前の人は気になるんでしょう。私もでした。)
海外では上映されたので、海外で見た日本人の感想を読むと、「日本人にマイナスイメージを与える。勘違いされる。」ってコメントが目に付いた。「聾唖者にマイナスイメージを与える。」って抗議している団体もあるみたいだ。
日本試写会で観た感想を読むと、「理解不能」「子供と一緒、恋人同士では見ないで!」とか「話題になったから・・という軽い気持ちで見に行くと、ガッカリしますよ」とか、「耐えられなくて途中退席しました・・・」という女性がいたりと散々だ。
ショッキングな性的シーン、25歳の菊地凛子が女子高生を演じる不自然さ(まぁ、本当の女子高生だったら、年齢的にNGだけどね)、こじつけっぽい強引な展開の仕方、分かり難いテーマ・・・・・が不評みたいだ。
他国のシーンを褒めている人も、「日本のシーンは必要ないんじゃ」「日本のシーンがなかったらイイ映画なのに」という人も結構いた。絶賛している人 もモチロンいるけど、「言語による分断、コミュニケーションの難しさからくる孤独・・・」云々って感じで、あたしにはピンとこない。映画を観終えた後に、観た本人がその意味を探るタイプの映画みたいだから、その良さを表現して上手く伝えるのが難しいようだ。
その2◆東京パート必然性の理由は?
この映画では、先進国の日本と、発展途上国のメキシコやモロッコの格差が、浮かび上がるけど、チエコの暮らしは、日本国内(チエコとあたし)の格差 も象徴しているかのようだ。チエコの住む高層マンションが、現代のバベル(最新技術を駆使した高層建築)として扱われていると感じた。あたしのポジション は、先進国に住んではいるものの、現代のバベルに住む人たちから、見下ろされる立場だ・・・・・。
もし、チエコが一般的日本人の生活をしていたら、この映画を観る先進国の人は、メキシコ、モロッコを見下ろすだけで、見下ろされる立場にならない。 もし、日本の狭い住居なんかだったりしたら、下手したらアメリカ人は、日本も含めて見下ろす立場をとっちゃうかもしれない。おそらく、それを避けるための 設定なんだろう。
「先進国」を「アメリカやヨーロッパ(白人)」にするよりも、「東京(黄色人種)」のほうが‘先進国に住む彼ら’には、‘経済格差’が伝わる。自分 も見下ろされたほうが、地球規模でも、国内でも、おこっている‘格差社会’を実感するはずだから。それが、東京パートの必然性の理由のひとつだと思う。
■監督インタビューより抜粋
2000年に東京国際映画祭でアモーレス・ペロスの紹介を行うためはじめて東京に訪れたのですが、いつの日かここで撮影を行うために戻ってくると確信していました。とても魅惑的で、日本の文化、矛盾、神秘的な側面を愛しています。私の故郷とはあまりにも違う。東の象徴として東京を選んだのは正しい選択だったと思います。
その3◆ハンディキャップを描いた理由は?
‘耳は聞こえなくても 目は見えるんだ!’
‘バケモノを見るような目で見られた!!’
‘気にしても しかたないよ’
ハンディキャップがあることがバレーボールのシーン、トイレでの友達との会話などに描かれていたけど、だからといって同情を誘う描き方はされていま
せんでした。上記セリフにもあるように、表面的には‘強い!’と感じさせられる表現だったと思います。(チエコの露出が高いのは、ハンディキャップである
事を描いたのではないと思ってます。)
聾唖であること、難聴であることは、当人たちの努力では治しようがありません。自分ではどうしようも出来ないことに対して、誰であっても‘同情の視線’‘かわいそうな視線’を向けられたくはありません。
ハンディキャップに対して向けられる‘かわいそうな視線’、つまり“経済格差”とはまた別の“格差”、それを跳ね除けるような描き方は、日本人監督だったら出来なかったと思います。
その4◆違和感や、嫌悪感、恐怖を感じる映像があるのは何故?
なぜ自分がそれをそう感じるのか、自分の文化的背景や経済的背景に目を向けさせるためではないのかな。
その5◆不可解に感じるチエコの言動に説明がないのは何故?
刑事がコートを掛けたシーン、あるいはベランダで父親と抱き合うシーンに、ちゃんとセリフがあったら、はたまた刑事に渡した手紙の内容が分るシーン があったら、もう少しだけ分かりやすいオチが付いたと思う。そうしたら、ここまで日本で不評を買うことも無かったのに・・・。モロッコパートやメキシコ パートでは、それなりに物語としてのオチがあるのに。
でも、日本パートでオチをつけるという事を敢えて避けているのは、お涙頂戴の安っぽいドラマに成り下がってしまうのを、潔しとしなかったのかなって 感じる。そうなっちゃったら、単なる物語、それも大して面白くない物語になってしまい、全体から伺われる“格差世界”・・・経済格差、医療格差、身体格 差、情報格差・・・や、“コミュニケーションの難しさ”・・・言語の違い、文化の違い、身体の違い、思いやりの欠如・・・なんかがボケてしまうからね。
上記の、あたしが感じたことに興味を持っていただけたら、以下も読んでもらえたら嬉しいです♪ 「なんじゃそりゃ、屁理屈じゃないか!?」と感じた方は、それでもここまで読んで頂いてありがとうございます。
その6◆チエコから刑事への手紙の内容は何だったのかな?
1) 淡い恋心を抱いた刑事に渡した手紙はラブレター・・・?
2) あたしは、この手紙には、父親は母親の猟銃自殺に関係ない、もう猟銃はない、逮捕しないで!みたいな、父親の釈明みたいなことが書いてあったと思った(父親への愛情)・・・?
3) あるいは、それはもう違うって納得していて、自分があんなこと、嘘付いたり、ハダカになったりした釈明、受け入れて欲しかった、寂しかった、みたいなことが書かれていたんじゃないかな(母親の喪失感)・・・?
4) これ以上は、あたしでは想像できません(笑)。
5)追記: この備忘録にコメが付けられました。それは、チエコの手紙の内容です。nono1さん、ありがとうございます。
この手紙をあなたが読んでいる時、私はたぶん、もうこの世にいません。
何が悲しいのか、何に怒っているのか、私には解りません。でも世界が素直に私のことを受け入れてくれない気がして、私は誰にも愛されていないような気がして…、とてもつらい。
誰も解ってくれない。私がいたって、いなくたって、どうでもいいこと。母は、なぜこんな私を残して、一人にしてこの世を去って遠い世界へ行ってしまったの。
こんな重い身体をするりと脱ぎ捨てて私は解放されたい。
偶然あったあなたにこんな手紙を書いたのは、ふと、もしかしてこんな気持ちが少しでも解ってくれて、一緒に泣いてくれる人かも知れないて思ったから。ごめんなさい…、さようなら…。やっぱり解ってくれないよね、ほんとには。
チエコの手紙の内容が上記だとすると、それを見た刑事の反応は、ちょっと冷たすぎるような・・・・・^^;。まぁ、父親が帰宅したことを知っているからね。
それに、この手紙の内容は、映画からは伺えないので、映画を観た人が想像して楽しむトコロだと思う。だから、こういう解釈の一例と考えて、自分でも想像を楽しむほうがイイと思います♪ でも、nono1さんの「チエコの手紙」、真に迫っていますよね。^^
エコノ研究所さん 映画 『バベル (BABEL)』 (2006) を読むと、上記手紙のような内容(寂しさ)も書かれていたのがわかります。DVDを停止させて読める文字を拾ったモノだそうです。リンクフリーとしてあったので、リンクさせていただきました。
追記: 映画の画面に映っていたチエコの手紙は、監督に書いていいと言われて、菊地凛子が想像で書き記したものだそうです。
上記の、あたしが感じたことに興味を持っていただけたら、以下も読んでもらえたら嬉しいです♪ 「なんじゃそりゃ、屁理屈じゃないか!?」と感じた方は、それでもここまで読んで頂いてありがとうございます。
【未来記事 ^^】
5/6 初体験!?好き度が変化してきた!
5/6 『バベル』それは世界のたった5日間の出来事の一部!?(5/18訂正) : 時系列
【過去記事 ^^】
5/29 『バベル(5/18訂正)』 :この文を抜粋した本文
4/20 『バベル』あまりの不評さに興味を抱く (笑) :監督インタビュー・他
2/27 『バベル』に興味津々 :「バベル」は聾者にマイナスイメージ?・他
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コメント
この手紙をあなたが読んでいる時、私はたぶん、もうこの世にいません。
何が悲しいのか、何に怒っているのか、私には解りません。でも世界が素直に私のことを受け入れてくれない気がして、私は誰にも愛されていないような気がして…、とてもつらい。
誰も解ってくれない。私がいたって、いなくたって、どうでもいいこと。
母は、なぜこんな私を残して、一人にしてこの世を去って遠い世界へ行ってしまったの。
こんな重い身体をするりと脱ぎ捨てて私は解放されたい。
偶然あったあなたにこんな手紙を書いたのは、ふと、もしかしてこんな気持ちが少しでも解ってくれて、一緒に泣いてくれる人かも知れないて思ったから。
ごめんなさい…、さようなら…。やっぱり解ってくれないよね、ほんとには。
投稿: nono1 | 2007年5月 2日 (水) 20時50分
★ nono1 さん、コメントありがとうございます。
大変申し訳ないのですが、無断で本文のほうに掲載させていただきました。
投稿: さくらスイッチ | 2007年5月 2日 (水) 22時45分
こんにちは、nono1です。
バベル検索で さくらスイッチさんのところに
おじゃましました。映画の紹介、感想、リンクなどがとても立体的で詳細なすてきなページですね。
(^^Vヨロシク
投稿: nono1 | 2007年5月 3日 (木) 06時27分
★nono1さん、コメありがとうございます!!
基本的には、忘れっぽい自分の記録用なので、気に入った映画はダラダラと長く書いてます。でも、そう言って頂けると嬉しいです。^^
ヨロシク♪です! ^^
投稿: さくらスイッチ | 2007年5月 3日 (木) 20時58分
ちなみに、DVD からわかる Chieko (Rinko Kikuchi) から刑事への手紙はこんな感じ?
…母…
…の中で
…なことに
…でした。
…け入れてほしかった。
…しなければ自分の
…しまいそうだったからです。
…でも人は何かでつながって…
いるんだなと知りました。それが
…わからないけど
…(是)非(←?)見つけなくちゃいけない…
それが母からのメッセージで、私は
…母から愛されていたのかもし…
それは刑事さんに手をのばして分…
ありがとう
http://econo.twinkle.cc/movie/babel.php?print=y
このHPの手紙は自殺志願者的なものであるが
リンク先のは刑事との接触によって母に受け入れられていたかもしれないというものである
どっちが正しいんだ???
投稿: アンパンマソ | 2007年5月10日 (木) 03時12分
★アンパンマソさん、コメありがとう! です。
さて、どちらが正しいんでしょうか???
どちらも正しくないし、どちらも正しいのでは? 想像したのがnono1さんか、菊池凛子さんかの違いだから・ね。(刑事に渡した手紙は、監督に書いていいと言われて、凛子さんが想像で書き記したものみたいですよ。)
映画の中では示されていないから、“正しい答え”は“アンパンマソさんが考える”というのが正しいと思いますが、それじゃダメ?
あ、まじめに答えちゃったけど、アンパンマそさん、もう来ないかも!? ^^;
投稿: さくらスイッチ | 2007年5月10日 (木) 05時18分
なるほど。
私は、実は母は私が撃ったのだ、と
告白したのかなと思っていました。
窓辺で立っていたのは自殺を考えていた
というのは、辻褄としてはいいですね。
投稿: gegen | 2007年5月14日 (月) 23時31分
★gegenさん、コメありがとう! です♪
あれは「告白の手紙だった」という想像も興味深いですよね。
「母は私が」・・・うっ、悲しい! 何がそこまで彼女を追い詰めたんだろう?障害のあるチエコに、母親が必要以上に厳しくしたのかな~、それを勘違いして、衝動的に近くにあった猟銃で・・・。
今の世の中だったら、そんな想像も絵空事とばかり思えない出来事ですよね。
投稿: さくらスイッチ | 2007年5月14日 (月) 23時50分