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2007年5月24日 (木)

161: クリムト

美の基準は時代によって変わる 醜いかどうかは時代が決める

Klimt003

英題: KLIMT

監督・脚本:ラウル・ルイス
製作代表:ディエター・ポホラトコ
製作:アルノ・オートマイアー / マシュー・ジャスティス / アンドレアス・シュミット
撮影監督:リカルド・マストバーム
編集:マット / チェス / アロノヴィッチ
セットデザイン:ルディ・ツェッテル / カタリーナ・ウォッパーマン
絵画制作:フランツ・ヴァナ
衣装:バージット・フッター
スチール:ベルンハルト・バーガー

キャスト:ジョン・マルコヴィッチ  ヴェロニカ・フェレ  サフロン・バロウズ  ニコライ・キンスキー  スティーヴン・ディレイン  ポール・ヒルトン  サンドラ・チエッカレッリ

製作年: 2006年
製作国: オーストリア/フランス/ドイツ/イギリス
日本公開: 2006-10-28

レンタル開始日 2007-04-25

上映時間: 1時間37分 

19世紀末のウィーン。エロスを究極の美に昇華させた天才画家がいた。「エロス」と「タナトス -死-」をテーマに描く究極の愛。クリムトと旅する、絢爛豪華なウィーン世紀末――。

恋人ミディとはプラトニックな関係だった一方で、モデルに触れないと描くことができなかった天才画家の世界を、彼が生きた世紀末ウィーンに漂うデカ ダン美や神秘性とともに描いた作品。『マルコヴィッチの穴』などで常にスクリーンを圧倒するJ・マルコヴィッチがクリムトに扮し、現実と幻想の狭間で揺れ る画家の精神世界を見事に体現する。

――1918年、ウィーン、死の床にいるクリムトを見守る、愛弟子エゴン・シーレ。クリムトは、朦朧とした意識の中で、栄光と挫折の人生を振り返 る。保守的なウィーンでは、彼が描いた裸の女性の絵はスキャンダルとなるが、パリ万博では絶賛され、金賞に輝いた。そして、恋人ミディの嫉妬をよそに、宿 命の女レアに激しく心奪われた思い出が、彼の脳裏に甦ってくる・・・。

◆◆◆さくら55点 レンタルDVD

結構好きな画家であるクリムトを扱っていたので、観てみた。クリムトのポスターは、A1サイズの「水蛇」と「接吻」を額入りで持ってる。どちらの絵も有名だし、特に女性に人気が高いみたいだ。

映画は、芸術家の人生を本人脚色で見せられたといった感じだろうか。舞台のワンシーンのような景色、人物に焦点があたって背景がグルグル回る様子、こんこんと雪が降りしきる様子、迎えにくる謎の男・・・そして、色んな境界線があやふやになっていて、現実と幻想の区別がハッキリしなくて、「‘存在 する’というのは、どういうことだろうか? 現実と幻想は、本人が判別してなかったら、どちらも‘現実’なのでは?」といった、ちょっと哲学的(?)なことを映像で見せられ、なんとも不思議な感じがした。

つまらない事も無いけど、あたしは少し退屈してしまった。^^;

そういえば映画の中で、クリムトは梅毒にかかっていて(街の男半分はそうだなんて医者は言ってたけど・・^^;)、子供も何人もいるっていってたけど、今現在その子たちはどうしてるのかな~って、チョット思った。あたしが、梅毒+子沢山+19世紀で思い出すのが、ポール・ゴーギャン(1848-1903 パリ生まれ)だ。彼の場合は、現在のタヒチに子孫が沢山住んでいる村があるんだよね・・・。

梅毒:主に性行為・オーラルセックスにより感染、皮膚や粘膜の微細な傷口から侵入し、進行によって血液内に進む。これ以外にも母子感染、血液を媒介とする感染もある。母子感染の場合、子供は先天梅毒となる。感染後約3週間で発症する。治療しない限り体内に残り、最終的には死亡する。現代においては抗生物質の発達により、第3期、第4期に到達することはほとんどなく、死亡にまで至るケースは稀。

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◆史上最高額で売却されたクリムトの絵

クリムトの絵は、2006年6月に「アデーレ・ブロッホバウアー1(1907)」が、絵画としては史上最高額の1億3500万ドル(約155億円)で売却され話題となった。

絵はモデルとなったブロッホバウアーさんの米国在住のめいが所有していた。ニューヨークにあるノイエギャラリーの創始者で化粧品会社の会長ロナル ド・ローダー氏が同ギャラリーのために購入した。売買にかかわる詳細は明らかにされていない。絵は、クリムトからブロッホバウアーさんに贈られたが、第2 次大戦中にナチに奪われたとして、所有権をめぐる争いがあったことで知られる。ふんだんに金箔(きんぱく)をつかったきらびやかな作品だ。

これまで1枚の絵に支払われた最高額は、04年にニューヨークで開かれたオークションでピカソの「パイプをもつ少年」が記録した1億417万ドルとされる。 Klimt_102_2

◆ルイス監督の会見の概要

 ──クリムトについて撮る話が最初に来た時、どう思ったか。

Klimt_101代 表作「接吻」などの肖像画は知っていたが、彼についてはよく知らなかった。映画を撮ることになり調べて、デビュー直後は宮廷画家で、晩年は風景画をよく描 いたことを知った。デカダンスの画家とばかり思っていたので、多く異なる側面を持っていることに驚いた。たとえば彼は、英を代表する風景画家・ホイッス ラーを最初は非常に嫌っていた。ところが実際にホイッスラーの絵を見たら好きになり、「ホイッスラー風」の絵を描くようになった。私は彼のそんな柔軟性 と、自分の好みに対する信頼の欠如が非常に気に入った。

 ──映画はどこまでが史実で、どこまでがフィクションなのか。

たとえばクリムトがパリへ行ったのは事実だし、友人らによる批評も当時出たものだ。しかし(彼が何をしたかという)真実と、彼を取り巻く人々による 彼に対する意見を判別するのは難しい。私はクリムトの伝記映画を撮ったのではなく、彼をめぐるファンタジーを撮ったつもりだ。仮に私がインターネットで、 私自身のことを調べるとする。すると出てくることの半分は作りごとだ。しかし、それを含めて、人々が作り出す情報は、すべて「現実」なのではないか、と私 は思うのだ。

 ──クリムトはどんな人間だったと思うか。

女性に対してぼんやりとしてイメージしかない人、固定した女性観を持つことのできない人だったと思う。また、自分の国にいながら、ある種の「亡命状 態」にある人。彼は貧しい階級に生まれたが、作品が認められたことで貴族や政治家と付き合うようになった。そんな逆説的で矛盾に満ちた世界から、彼は抜け 出そうとしていたのではないだろうか。

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◆グスタフ・クリムト

Klimt006 グスタフ・クリムト(Gustav Klimt, 1862年7月14日 - 1918年2月6日)はオーストリアの画家。

すでに装飾家として名声を得ていたクリムトは1894年にウィーン大学大講堂の天井画の制作を依頼される。『学部の絵』と名づけられたこの天井画は『哲学』、『医学』、『法学』の3部からなる。人間の知性の勝利を高らかに歌いあげるという依頼者が意図したテーマに反し、これら3枚の絵は理性の優越性を否定する寓意に満ちたもので、その是非をめぐり 大論争を引き起こした。1896年に提出された構成下絵を見た大学関係者により行われた抗議は一旦は沈静化したものの、1900年と1901年に『哲学』 および『医学』がそれぞれ公開されたことで論争が再燃し帝国議会において依頼主の文部大臣が攻撃される事態にまで発展した。

あまりの論争の大きさにクリムトは契約の破棄を求め、事前に受け取った報酬を返却した。美術館および個人に売却された3枚の絵は後にナチスによって没収され、1945年にインメンドルフ城において焼失している。

この事件をきっかけとして保守的なウィーン美術家組合を嫌った芸術家達によって1897年にウィーン分離派が結成された。分離派は古典的、伝統的な美術からの分離を標榜する若手芸術家のグループであり、クリムトが初代会長を務めている。分離派は展覧会、出版などを通してモダンデザインの成立に大きな役割を果たした。Klimt002

◆エゴン・シーレ

エゴン・シーレ(Egon Schiele, 1890年6月12日 - 1918年10月30日)は、20世紀初めのオーストリアの画家。シーレは20世紀初頭のオーストリアで活動した画家だが、当時盛んであったグスタフ・ク リムトらのウィーン分離派、象徴派、オスカー・ココシュカに代表される表現主義のいずれにも属さず、独自の芸術を追求した画家であった。

シーレは28歳年長の画家クリムトとは師弟というよりは生涯を通じた友人という関係にあった(両者はたまたま同じ年に没している)。エロスが作品の重要な要素になっている点はシーレとクリムトに共通しているが、作風の面では両者はむしろ対照的であ る。世紀末の妖しい美をたたえた女性像を描き、金色を多用した装飾的な画面を創造したクリムトは「表現対象としての自分自身には興味がない」として自画像 をほとんど残さなかった。これに対して、シーレの関心はどこまでも自分の内部へと向かい、多くの自画像を残した。Klimt005

◆パリ万博

1900年パリ万博では法隆寺ふうのものなど、伝統的様式で建設され、エキゾチックな印象を与えて好評を博した という。しかし日本の出品物は酷評され、明治政府は輸出振興のためにデザインの必要性を認識し『図案』誌を発行するなど、日本の芸術・産業にも大きなイン パクトを与えた。

◆フランスワ=オーギュスト=ルネ・ロダン

フランスワ=オーギュスト=ルネ・ロダン(François-Auguste-René Rodin, 1840年11月12日 - 1917年11月17日)は、フランスの彫刻家。19世紀を代表する彫刻家とされ、『近代彫刻の父』と称される。代表作に『地獄の門』、その一部を抜き出 した『考える人』など。

◆アルフォンス・マリア・ミュシャ

アルフォンス・マリア・ミュシャ(Alfons Maria Mucha, 1860年7月24日 モラヴィア・アイベンシュッツ(イヴァンチツェ) - 1939年7月14日)は、アール・ヌーヴォーとボーテンヌーボを代表するグラフィックデザイナー。多くのポスター、装飾パネル、カレンダー等を制作し た。ミュシャの作品は星、宝石、花などの様々な概念を女性の姿を用いて表現するスタイルと、華麗な曲線を多用したデザインが特徴である。

◆クリムトの「黄金の騎士」

愛知県美術館の常設展にクリムトの「黄金の騎士」があり、企画展覧会があるたびに常設も観るので、この作品に限っていえば本物を何回も見ている。凛とした感じが好み♪

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人生は戦いなり(黄金の騎士) 1903年 油彩・テンペラ・金、麻布 100.0×100.0cm

ウィーン近郊バウムガルテンに生まれる。オーストリア工芸・産業博物館附属の工芸美術学校に学んだ。アカデミックで歴史主義的な作風で建築室内装飾 に携わって売れっ子作家となり、1894年文部省よりウィーン大学大講堂の天井装飾を委嘱された。1897年オーストリア造形美術家連盟(ウィーン分離派)の結成に参加し初代会長に就いた。1903年ヨーゼフ・ホフマン、コロマン・モーザーらとともにウィーン工房を結成。大学天井画を巡る大論争に巻き込まれ、1905年自ら契約を破棄するに至った。また、同年内部対立から分離派を脱退した。1908-09年〈クンスト・シャウ〉展開催。1911年ローマ国際美術展で1等を受賞した。ウィーンで没。

クリムト回顧展として開催された第18回ウィーン分離派展の出品作。分離派の会長として芸術の刷新に立ち上がり、大学講堂の装飾画を巡るスキャンダ ルでは無理解な世論の批判の矢面に立たされていたクリムトは、世紀転換期のウィーンの新しい芸術の旗手としてこの作品の題名そのまま文字どおり闘ってい た。ただ戦闘の舞台が地上ではなく、後に隠栖したクリムトが描き出す官能美の世界が繰り広げられる楽園に設定されていることは、クリムトの心境に重大な変 化が起きつつあったことを示している。論争の渦中萎えかけた自信を奮いたたせて表明された、クリムト最後の芸術姿勢のマニフェストといえる作品である。造形的には金などの工芸的要素が大胆に導入され、絵画・彫刻などの純粋美術と応用美術との境界の撤廃が試みられており、生活全般に芸術を取り入れようとしたウィーン工房に参加したクリムトの姿勢とも重なりあっている。 (H.Ma.)

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コメント

初めまして。TBありがとうございました。
私はクリムトという画家がどんな絵を描いたかもよく知らずにこの映画を観たので、こちらで勉強させて頂きました。
今もう一度観たなら、また違った感想になるかも☆

映画の1シーン、あの金箔は「アデーレ・ブロッホバウアー1(1907)」製作だったのかしら♪

投稿: 杏子 | 2007年5月27日 (日) 00時21分

★コメ、ありがとうございます♪

あ、あのシーンですねきっと、金箔が花びらか雪のように舞って、とってもキレイで幻想的だった。。。^^

「アデーレ・ブロッホバウアー1(1907)」製作だったのかなぁ・・・って考えたりすると、なるほど、ホント楽しい♪ですね。(今、チョット思い出してます。)

投稿: さくらスイッチ | 2007年5月27日 (日) 08時28分

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2006年10月28日公開 1918年、第一次世界大戦のさなかに、病院で死を迎えようとしている男がいた。彼の名はクリムト(ジョン・マルコヴィッチ)。ウィーンを代表する天才画家だ。見舞いに来た弟子エゴン・シーレの存在にも気づかず、彼の頭に人生が走馬灯のように去来する。19世紀末、保守的なウィーンでの酷評をよそに、彼の描く絵画はパリでは絶賛される。パリ万博のサロンで美しい女性と出会ったクリムトは、彼女から肖像画の依頼を受けた。ウィーンに帰ったクリムトは大臣から助成金の打ち切りを聞くが、作品制作を続ける... [続きを読む]

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