165: パッチギ!LOVE&PEACE
監督:井筒和幸
脚本:羽原大介
エグゼクティブプロデューサー:李鳳宇
音楽:加藤和彦
撮影:山本英夫
編集:冨田伸子
助監督:式正晴
キャスト:井坂俊哉 中村ゆり 西島秀俊 藤井隆 風間杜夫 キムラ緑子 手塚理美 キム・ウンス 米倉斉加年 村田雄浩 桐谷健太 ラサール石井 杉本哲太
製作年: 2007年
製作国: 日本
日本公開: 2007年5月19日
配給: シネカノン
1974年、アンソン(井坂俊哉)は病気の息子の治療のため、一家で京都から東京に移り住む。妹のキョンジャ(中村ゆり)は芸能プロダクションにスカウトされ、甥の治療費を稼ぐために芸能界入りを決意する。彼女は先輩俳優の野村(西島秀俊)と出会い、彼に恋心を抱く。
◆◆◆さくら59点 劇場鑑賞(ピカデリー・センチュリー豊田ビル レディースデイ)
【観るまえ】、【観たあと】、【映画の背景覚書】にわけて書いてあります。 どのパートも長文です。悪しからず。
【観るまえに書いた】
◆友人
今は外国人の男性と結婚してヨーロッパに住んでいるので、たま~にメール交換したりする程度だけどね。彼女が結婚する前には、ヨーロッパに住んでいた彼女の部屋を起点にさせて貰って、観光旅行にも付き合ってもらった。地元の人しか行かないようなレストランやスーパー、マニアックな教会建築にも車で案内してもらったりして、とても楽しかった。
そんな彼女が3世だとあたしが知ったのは、海外旅行に一緒に行った時で、知り合って3年目。その時はまだ彼女は日本に住んでいて、一緒にアメリカに行ったんだけど、日本国のパスポートが無い彼女はあたしと手続きが違っていて、その時に初めて知った。彼女は小中高・大学とすべて日本の公立・国立で教育を受けているせいか、話していてもまったく違和感がなく、そんな事でもなければ、あたしはズッと気が付かなかったと思う。
彼女は韓国語は話せないし、彼女本人も自分の母国は日本だと思っていると言ってたし、自身でもなんか不思議な感じがすると言っていた。あたしは知った後も、なんていったらいいのか、それを特に思い出すことも無く、以前と変わらず付き合って今日に至っている。あたしの場合、知ったところで「だから???」と思考が止まってしまう。実際、彼女が彼女であることに、何の変わりも無いわけだしネ。でも今にして想えば、彼女にしてみたら、何かしら想うトコ ロがあったかもしれないなぁ・・・なんて感じる。比較的簡単にできると言っていたのに、日本に帰化していなかったわけだしね。
◆在日の有名人
和田アキ子が在日2世だと、週刊文春のインタビューに答えた記事をたまたま読んだ時も、孫正義が在日3世でという、何かのインタビューに答えた記事を読んだ時も、子供のころにイジメられた経験があると話していたので、友人にもあたしが窺い知れないことがあったのかも知れない、どうだったのかな。
あと、知った時にへぇ~と思った人というと、ミュージシャンの布袋寅泰で、自身による著書によると、父親は韓国人で韓国にも家庭があり、母親は日本人(樺太生まれ)とロシア人とのハーフで国籍は日本、そして韓国人男性の日本での妻という立場だったとのこと。映画評論家の町山智浩は、本人が書くところによると、韓国籍の父とは幼くして別れ、日本人の母の町山籍に入ったとのことで、今はアメリカに住んでいる。彼のポッドキャストは面白いのでよく聞いる。この二人に関しては、アイデンティティは日本に(も?)あると感じている。
他にも、wikiカテゴリ‘在日コリアンの芸能人’‘帰化日本人の芸能人’には、ふぅ~んって思った人が何人かいた。『パッチギ』に絡んだネットニュースで知ったのが、映画に主演した中村ゆりの父親が在日3世で母親が韓国生まれだということだ。
公明党との政治活動でも有名な創価学会の幹部には、日本に帰化した人が何人もなっているというし、あたしが意識しないで今まできたのは、あたしがボ~としてるから?
あたしは韓流ドラマは苦手だけど、「チャングムの誓い」にだけはハマッタし、韓国旅行にも行って焼肉やチヂミは美味しいなぁって楽しんできた。日本にいても、アカスリエステが流行ったときは体験しにいったし、韓国料理もマッコリも大好きだ。最近マイ・ブームのチムチルバンだって、韓国のにはいったことないけど、韓国のものなんだよね。
◆
そんなこんなで、『パッチギ!』は観てないけど『パッチギ LOVE & PEACE』を観てみる気になった。それに、近くの映画館はもう上映が終わっちゃうし、ちょっと離れた映画館も来週は昼間オンリーの上映になるので、観るならラストチャンスだ!、ということで映画館に行ってきた。
【観たあとに書いた】
で、 観てみての感想なんだけど、やっぱり、とっても書きにくい。民族差別、それも日本での民族差別を扱っているんだけど、まだあたしの中で咀嚼できていないのを感じている・・・。 ( 反戦をテーマにしてたと思ったけど、どうしても民族差別のほうに注目してしまった。 )
◆井筒監督とシネカノン
映画の視線はあきらかに在日の人たちからのモノで、差別を受ける者としての悲しみと、彼らの強さが描かれているんだけど、ちょっとキレイに描きすぎてる感は否めない。でも、そう感じるのは、あたしの偏見なのだろうか。
この映画は、日本で日本の観客向けにも作られているのだから、日本人が持つイメージを払拭したいという井筒監督の意図がある(?)と思うので、その表現には監督なりの意味はあるのだろう。映画の中で藤井隆が演じる役に、感情としては監督自身を反映させていたのではないかと思った。(韓国でもほぼ同時期に公開されている。)
制作にシネカノンが入っているのも、日本で公開する映画としての許容範囲をかなり広くさせているだろうし、内容をリアルにもしているのだろう。 *日本アカデミーを受賞した『フラガール』でも有名なシネカノンは、日本の映画会社のひとつ。その創立者は李鳳宇で在日朝鮮人、その父親は朝鮮総連幹部。この映画のエグゼクティブプロデューサーでもある。
そんなんで色眼鏡で見られがちだけど、色々言われている井筒監督は、日本人としての視線を持っていると思うし、李鳳宇だって日本で生まれソルボンヌ(仏)でも学んでいるし、一概に偏った視線を持っているとは言えないと思っている。
◆電車内での抗争・暴力
オープニング、そしてラスト近くの暴力的シーンには、見ているこっちが痛くなってくる。
このオープニングでの出来事などは、実際にあったことにもとづいているようで、小西克哉のラジオ番組にゲストとして井筒監督が出ていた時にそう話していた。当時その近くで学生生活を送っていた小西克哉は、自分の生活圏であったにもかかわらず、そういった事実を知らなかったと、驚いていた。そんなものなのかも知れない。
◆差別意識・・・
常日頃「日本人」ってあたしが使う言葉には、「日本国籍がある」っていう意味だけでは使っていないように思う。なんていうか、仮に日本に帰化していて日本国籍であったとしても、「○人」であったのなら「○人」だと、それが朝鮮でなくても仮にアメリカであったとしてもそう思ってしまう。それは、差別につながるのだろうか・・・? でも、そう思うあたしなんだけど、自分の友人には日本国籍がないのにあたしの中では「日本人」だと思っているのだ。それは、彼女のアイデンティティは紛れも無く日本にあると感じるからだ。
上手く言えないんだけど、自分の中にも漠然とした差別意識があるように感じる。アイデンティティが韓国(朝鮮)のみにある在日の人で、もしその人たちが反日感情を持っていたら、あたしはどう感じるだろうか。反日感情のある人を、あたしは快く思えないだろうしなぁ。大雑把にひとまとめにした、偏見や差別意識を持たないでいたいと思ってはいるのだが・・・・・。3世とかだと、日本と韓国のダブル・アイデンティティになってるのかなぁ? あたしの友人のように、日本にアイデンティティがあるのは、稀なのかなぁ???
日本のドラマや映画や音楽は、韓国の若者に受け入れられているというし、「韓流ブーム」とまでいわれた韓国ドラマは、日本に受け入れられている。とはいえ、日本でもなんでもかんでも韓国の人気者がすることを受け入れているわけじゃない。ペ・ヨンジュンやユンソナなんかは日本で人気があるけど、反日ともとれる発言をしたとかしないとかで、「日本で稼いでるのに、云々」って記事になってたこともあった。
韓国でも、「靖国参拝」に対してのバッシングにもみられるように、反日感情が根強いのも事実だと感じてる。日本の“終戦記念日(つまりは敗戦日)” は、韓国や北朝鮮では“独立記念日”だしね。Googleマップの「日本海」という表記で揉めたりもしている。北朝鮮がテポドン発射、核実験をしたと報じられてからは、在日の北朝鮮籍の人が韓国籍に変更する人が増えたって記事になってたし、民団と総連の和解が白紙になったとも記事になっていた。
そういうニュースを聞いたり読んだりすると、日常では感じられない在日の人の存在を感じたりもする。
◆・・・・・
と、まぁ映画のモチーフには色々と考えさせられるけど、単純美化した作り(と、あたしは感じた)には、やっぱり冷めた目を向けてしまった。基本的には、観る前と観た後で自分の中の意識の変化は感じられなかった。^^;
あ、舞台でキョンジャが父親のことを語るときは、ジ~ンときた。
以下ネタバレあり
【映画の背景覚書】
1970年代半ば(1974-76)の東京が舞台になっていた。へぇ~って感じたりしたことの覚書♪
女性自身 : 1958年創刊
anan : 1970年 3月に男性向けファッション誌平凡パンチの女性版として創刊
GORO : 小学館が1974年から1992年に発行していた総合男性誌
週刊プレイボーイ : 日本の男性向け週刊誌 集英社が発行する 1966年創刊
◆芸能界
「CMが出来るのはロッテくらいだよ」
「クイズ番組なんて みんなアメリカの番組のパクりだからね」
「在日がいなかったら 紅白なんて赤組も白組も成立しないんだからね」
アイドル水泳大会 :
メジャー系ならばアイドルの水着姿がグラビアで楽しめる様になった、1960年代後半には行われていたと考えられる。水泳大会はアイドルブームと共に放映
本数・内容とも高まりを見せ、ビキニの露出度が高くなっていった1970年代半ばから、1980年代初頭が最もピークだったとされる。
錦野旦 : 父親が日本人。書籍「コリアン世界の旅」にて、元在日韓国人であり現在は帰化済みであることをカミングアウトしている。1970年代初めに歌手として大人気であった。1970年代後半は東映映画やドラマ等で絶世の美男ぶりが見られる。
力道山 : 力道山(りきどうざん、1924年11月14日 - 1963年12月15日)は、第二次世界大戦終了後に日本のプロレス界の礎を築いたプロレスラー。大相撲の力士出身。日本プロレス界の父と呼ばれる。出身 は太平洋戦争前の日本植民地統治下の朝鮮半島(現在の北朝鮮統治範囲)。後に長崎県大村市の農家・百田家の養子となった。
◆飲み物
コーラに対して「骨が溶けるらしいぞ
アメリカが日本を弱体化・・」のと同じシーンで、ワンカップを一気飲みするんだけど、もうこの頃にあったんだねワンカップ。あと、どのシーンだったか忘
れてしまったけど「ホッピー(ノンアルコールビール)」と言っていたのも、ビックリした。あたしは最近の飲み物だと思ってたら、発売開始は1948年だったんだね。
◆ファッション
キョンジャは、サイケな柄のシャツやワンピを着てたりした。西條秀樹や沢田研二が人気があった時代だから、男性の長髪は流行ってたのだろう、うん。あ、アフ
ロヘアの芸能事務所のおにーちゃんがでてきたけど、流行の先取りなのかな? アメリカでの流行はジャクソン5なんかのモータウン・サウンドの全盛期だった60~70年代で、日本で流行ったのはその少し後だと思ったけど、どうだったのかな?
そういえば、2月に行ったライブハウスに出てたインディーズ・バンド「鶴」、アフロヘア(カツラ)だったなぁ。最近は、幅広のスカーフ調カチューシャが流行ってるし、この時代が今新しいのかな(笑)。流行に関係なく、イタリアのプッチのサイケな柄は、今でも人気があるしね。
◆モナリザ
小料理屋で店主が「こないだ見たモナリザよりキレイだ」みたいなことを言っていた。
レオナルド・ダ・ヴィンチ「モナリザ」の日本展示が決まったのは1973年9月、当時の田中首相とフランスのポンピドー大統領との会談であった。そして翌74年4月、モナリザは、パリ・ルーブル美術館から東京・上野の東京国立博物館にやって来た。4月20日から6月10日まで開かれた「モ ナリザ展」には、延べ150万人が訪れた。
入場料は大人200円、当初は前売り券が売れ残り、一日3万人の入館者を見込んでいた文化庁は当惑したが、後半に入場者が増え、最終日曜日には6万1,000人が訪れたという。
◆多摩動物公園のライオンバス
チャンスが乗りたいって言ってた「ライオンバス」。
多摩動物公園は1958年5月5日に開園。アフリカ園のライオンバスは、サファリ形式によってライオンを見ることが出来る、日本国内の動物園における初の施設として有名。。。。。らしい。
◆済州島(チェジュドウ)
大韓民国の成立時に済州道として単独の道になり、2006年に特別自治道になった。韓国では伝統的に厳しい済州島差別があり、現在も続いている。1948年4月3日に起った済州島四・三事件では、少なくても死亡者7万人 死亡者2万5000人~3万人にのぼり、それから逃れる為に、自ら日本に渡って来た在日コリアンも多い。しかし、在日コミュニティーの中にもやはり済州島差別が残っている。
済州島四・三事件は、1948年4月3日に現在の大韓民国南部、済州島で起こった人民遊撃隊の武装蜂起にともなうとされる虐殺事件。南朝鮮労働党が関わっているとされ、政府軍・警察による粛清と鎮圧によって、多くの島民が虐殺された。
500万円をポンと貸したおばちゃんが、自分が25歳の時は“4・3事件”で・・・みたいなことを言っていたよね。・・・・・そういえば「チャングム」が、奴婢に貶められ追放(島流し)されたのって済州島だったな。
◆筋ジストロフィー
筋ジストロフィーとは、筋線維の破壊・変性(筋壊死)と再生を繰り返しながら、次第に筋萎縮と筋力低下が進行していく遺伝性筋疾患の総称である。発症年齢や遺伝形式、臨床的経過等から様々な病型に分類される。その内、最も頻度の高いのはデュシェンヌ型である。
デュシェンヌ型:進行性筋ジストロフィーの大部分を占め、重症な型である。おおよそ小学校5年生くらいの10歳代で車椅子生活となる人が多い。昔は
20歳前後で心不全・呼吸不全のため死亡するといわれていたが、最近では「非侵襲的人工呼吸法」(気管切開などの方法を用いない)など医療技術の進歩によ
り、5年から10年は生命予後が延びている。しかし、未だ根本的な治療法が確立していない難病である。このデュシェンヌ型は、伴性劣性遺伝(X染色体短腕
のジストロフィン遺伝子欠損)で男性のみに発病する。
◆ヤップ島
ヤップ州はミクロネシア連邦に属する州で、西太平洋カロリン諸島にある島々。スペイン・ドイツ・日本・アメリカの占領統治を経て1986年に独立した。 日本統治時代(1914年~1945年)には日本語教育が行われた。その為、ある世代のヤップ人は日本語話者である。
◆ベトナム
1976年4月 南ベトナム消滅による南北統一。初の南北統一選挙を行う。ベトナム民主共和国をベトナム社会主義共和国に改名。
◆イムジン河
「イムジン河 」は、朝鮮民主主義人民共和国の曲。高宗漢 (コ・ジョンハン) 作曲、朴世泳 (パク・セヨン) 作詞。原題は『臨津江』(リムジン江)。
日本語詞のついた『イムジン河』として最もよく知られているのが、1968年にザ・フォーク・クルセダーズが歌ったものである。臨津江 (リムジン江) で分断された朝鮮半島についての曲であり、主人公は臨津江を渡って南に飛んでゆく鳥を見ながら、なぜ南の故郷へ帰れないのか、誰が祖国を分断したのかを鳥 に問いかけ、故郷への想いを募らせる内容である。
もともとは、のちにフォーク・クルセダーズやミカバンドの作詞を担当することになる松山猛が、京都での中学時代、朝鮮学校の学生たちと喧嘩に明け暮れていたころに耳にした曲で、朝鮮学校の生徒からメロディーと歌詞を教えてもらったことがきっかけだった。松山は後にフォーク・クルセダーズのメンバーと知り合いになり、加藤和彦に口頭でメロディを伝えた。それを加藤が採譜したものがこの曲であり、原曲の『臨津江』とは全く成り立ちが異なる。
松山の歌詞では、北の幸せさに対し南を哀れむもともとの二番の歌詞は、分断に対する疑問を訴える歌詞に変わっており、まったく違う物となっている。松山の歌詞には、オリジナルにはない三番がある。
東芝音楽工業に対し朝鮮総連は、これが朝鮮民主主義人民共和国の歌であることと作詞作曲者名を明記すること、原詩に忠実に訳すことを求めていた。後者に関しては、洋楽の日本語訳詞でも原詩と完全に一致する訳で無い物も多かったためあまり問題ではなかったものの、レコード会社は国交のない朝鮮民主主義 人民共和国の名を出すことを躊躇し、大韓民国も朝鮮民主主義人民共和国の曲が日本国内でヒットすることを望まなかったためレコード会社に圧力をかけ、結果 発売自粛となったようである。
1968年11月25日には朝鮮総連が指定した李錦玉による訳詩でザ・フォーシュリークが『リムジン江』というタイトルでレコードを発売し、当時 20万枚以上を売り上げた。日本国内では1970年前後の過敏な状態も1990年代~2000年代前半頃には表面的には収まっている。ザ・フォーク・クル セダーズを扱った番組や、ラジオ局の開局記念番組などで「音楽史の一部」としてながらも放送されている。
しかし、2006年現在でも放送の自粛が完全に終わったとは言えない状況である。たとえば、映画『パッチギ!』のプロモーションで各放送局を廻った担当者は、どの局でも『イムジン河』と聞いただけで難色を示されたという。また、この歌が昼間からラジオあるいはテレビから流れることは滅多にない。
◆歴史背景 色々
◇松代大本営跡(ま
つしろだいほんえいあと)は、太平洋戦争末期、海岸から近く広い関東平野の端にある東京は、防衛機能が弱いと考えていた陸軍は、本土決戦を想定し海岸から
離れた場所への中枢機能移転計画を進めていた。そのために長野県埴科郡松代町など(現在の長野市松代地区)の山中に掘られた地下坑道跡。
松代大本営建設作業にあたっては朝鮮半島より徴用された労働者が中心となった。また壕周辺に慰安所は3か所あって4~5人の朝鮮人の慰安婦がこれらの施設を回っていた。
◇在日韓人歴史資料館より抜粋 「労務動員計画(1939-1941)」、「国民動員計画(1942-1945)」で、延べ72万人以上が、朝鮮から日本国内・南樺太・南洋群島に連行されました。そのうちのほぼ半数は炭鉱に、残りは鉱山・土木建築・工場・港湾荷役・農場へと送り込まれました。 朝鮮人強制連行とは?
◇済州島四・三事件(1948)での虐殺を逃れて、自ら日本にきた在日の人もいる。
◇何故「三国人」が差別用語になったのかより 朝鮮総連が、公安警察に監視されたり、公安調査庁の「調査対象団体」に指定されているのは、過去にこれだけの「実績(1945-52)」があったからです。
◇朝鮮戦争(1950-53)勃発で、大戦中に強制連行され日本に来たまま、祖国に帰りたい人が帰れなくなる。南北分断。
◇帰国事業は、1960年代に在日本朝鮮人総聯合会が全国的に宣伝と推進活動をおこなった在日朝鮮人の日本から朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)への帰還事業。
◇在日特権として、さまざまな制約がある日本在住の外国籍の人々が生活する上での便宜をはかるために整備された色々な制度がある。これを過度の処置であると批判する際に便宜上ひとまとめにくるための呼び方。公に定義されている用語ではない。
この映画の舞台は1974-1976・・・・・色々と考えさせられました。
◇北朝鮮による日本人拉致問題は、1977年から1983年にかけて、多数の日本人が朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の工作員などにより極秘裏に拉致、誘拐、監禁された問題。
北朝鮮による韓国人拉致問題は、韓国人が朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)特殊機関の工作員などにより極秘裏に拉致、誘拐、監禁された問題。韓国政府の公式認定で拉致された人数は486人で日本人拉致被害者の数十倍である。現在は、韓国政府の政策「太陽政策」により、問題は無視されている状態である。
他にも、反日教育や反日感情について書かれた記事、日本国旗を踏みつける写真をみた。どのくらいの重さで受け止めていいのか迷う。そんなものがある反面、在韓日本人の個人ブログを読むと、日本で報道されているような反日の韓国人はどこにいるのかと思ってしまうくらい、普通に親切に接してくれるらしい。う~ん・・・
◆蔑称
チョンは、朝鮮や朝鮮人を侮蔑する言葉。「ばかちょんカメラ」の“ちょん”の語源は別物だが、紛らわしいため、この言葉を敬遠する傾向がある。
ジャップ(Jap)は、日本人、あるいは日本を指す言葉である。英語の "Japanese" および "Japan" の短縮形で、蔑称として用いられることが多い。しばし日本人は、黄色い猿(イエローモンキー)と揶揄されるケースがあり、一部では、白人に劣った民族であると認識されている。第二次世界大戦当時に日本軍が真珠湾攻撃を行った際、アメリカ人が日本軍や日本兵に対して憎しみを込めて「ジャップ」という呼称を使用して以来、太平洋戦線でもアメリカ兵が頻繁に使用し、侮蔑語とみなされるようになったと言われている。
ジャップよりさらに強い意味を持つ蔑称として、Nippon を短縮した「Nip(ニップ)」がある。最近では国名を現地語で表現する流れがあるが、この場合の Nippon の略称は NIP を避けて NPN とされている。
ただし、英語圏以外の国々などでは、Jap を差別語として使用することは少ないため、単にJapanese の略語として用いる場合もある。また、アメリカ以外では単なる略称として Jap を使用することは一般的であるとの見方も多い。
◆分断国家
分断国家とは、通常、一つの国民国家もしくは地域が、第二次世界大戦後の冷戦構造のもと、社会主義陣営と自由主義陣営の縄張り争いに巻き込まれ、二大陣営のそれぞれに帰属するふたつの国家への分裂を余儀なくされた状態を指す。分裂国家ともいう。
現在の存在する具体例としては、朝鮮半島の中に朝鮮民主主義人民共和国と大韓民国とが存在している状況、中華人民共和国と中華民国とが存在している状況もまた分断国家の典型例とされる。
かつてはベトナムにおいてはベトナム民主共和国とベトナム共和国、ドイツにおいてはドイツ民主共和国とドイツ連邦共和国、などがあったが、ベトナムは1976年のベトナム戦争での北側の勝利によって、ドイツは1990年のドイツ再統一による西側による編入によって分断状態が終結した。
日本だって敗戦後に日本分割統治計画が実行されていたら、分断国家なっていたかもしれない。
◆「朝鮮」を扱った映画
「北朝鮮が拉致 テポドン 核実験」、とニュースになるので、その根底にはどういった感情があるのかなと思って、レンタルしてみた以下DVD3本。でも、観てみてもイマイチ理解できない。韓国は太陽政策をとっているけど、上手くいくのかなぁ。確かにかつては一つの国だったのかもしれないけど、今はかけ離れてしまっているように見える。半世紀も経った今、ひとつの国だった時代を知っている世代も少なくなる一方だろう。でも、祖先を大事にする民族だし、民族としてのアイデンティティもあるみたいだから、統一への強い願いは受け継がれていくのかもしれない。
2006年10月16日 38度線
2006年10月19日 ピョンヤン・ダイアリー 1994-1997
2006年10月23日 HARUKO ハルコ
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コメント
4・3事件の犠牲者数は、最近まで数にばらつきがありましたが、2003年に韓国政府がようやく発行した真相調査報告書によりますと、2万5000人~3万人といわれています。
参考までに。
投稿: ミツバチ | 2007年10月29日 (月) 21時15分
★ミツバチさん、ありがとうございます。m(_ _)m
本文も訂正しておきます。^^
投稿: さくらスイッチ | 2007年10月29日 (月) 22時49分