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2007年6月27日 (水)

176: 戦場のピアニスト

正面は病院 ロシア戦線の負傷兵ばかり
隣は都市防衛警察
こんなに安全な場所はないさ・・・・・

Pianist001

原題 : THE PIANIST
制作 : ロマン・ポランスキー
脚本 : ロナルド・ハーウッド
原作 : ウワディスワフ・シュピルマン
音楽 : ヴォイチェフ・キラール
監督 : ロマン・ポランスキー

出演 : エイドリアン・ブロディ , トーマス・クレッチマン , フランク・フィンレイ , モーリーン・リップマン

収録時間 : 148分
制作 : 2002 フランス・ドイツ・ポーランド・イギリス
レンタル開始日 : 2003-08-22

受賞履歴
2002年     第75回     アカデミー賞監督賞 : ロマン・ポランスキー
2002年     第75回     アカデミー賞主演男優賞 : エイドリアン・ブロディ
2003年     第27回     日本アカデミー賞最優秀外国作品賞
2002年     第55回     カンヌ国際映画祭パルム・ドール

ポランスキーでなければ撮れなかった、魂を揺さぶる真実の物語。ポランスキーは幼い頃をクラクフのゲットーで過ごし、母を収容所で亡くした経験を持つ。これまで彼は、あまりに心に深い傷を刻んだあの体験と向かい合う準備ができていないと感じ、『シンドラーのリスト』の監督をオファーされた時でさえ断っていた。そんな彼が遂に自らの原点に立ち帰った揮身の一本が本作だ。

Pianist002原作はポーランドの名ピアニストで国民的作曲家W・シュピルマンが自らの奇跡的生還体験を描いた回想録。ナチスの犠牲となった家族や仲間たちの悲劇。立場の違いを越えて命がけで彼を救った人々の闘い。そして最後まで彼を支え続けた音楽への思い。その一瞬一瞬の恐怖、そして時にはユーモアまでもが、抑えた演出で原作に忠実に映画化されている。

眼に焼きつく鮮烈な映像とリアリズム。そして、実話の重み。『戦場のピアニスト』はまさに魂を揺さぶる真実の物語なのである。戦場を生き抜いたひと りの名ピアニストの驚くべき実話1939年、ナチスドイツがポーランドに侵攻した時、シュピルマンはワルシャワの放送局で演奏するピアニストだった。ワル シャワ陥落後、ユダヤ人はゲットーと呼ばれる居住区に移され、飢えや無差別殺人に脅える日々を強いられる。やがて・・・ HP 

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Pianist004 数粒の豆で飢えを凌ぐ様子、目前の建物で行われる殺人、強制労役に耐える様子、壁に囲まれた町、・・・見てるこっちの精神が殺られてくる。戦時下でピアノ を弾ける事は役にたたない。でも、彼に生き抜きたいと思わせたのは、ピアノへの想いだろうし、そんな彼に救いの手が差し伸べられたのも、ピアノを弾いてい たからこそ築けた人脈のおかげだった。

ナチ、ポーランド人、ユダヤ人、地下組織、・・・それぞれの組織の色があるけど、それを構成する個人の色は、必ずしも組織の色と同色では無い。そんなところもちゃんと描かれていて興味深かった。

ラストシーンでは彼に、切なかったり、悲しかったり、幸せだったり、モロモロの感情を感じた。なんていうか、感動・感涙というよりは、その音をしみじみ噛み締めちゃった。Pianist011

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<ポーランドという国>

Pianist013ワルシャワは、ポーランドの首都でかつポーランド最大の都市。マゾフシェ県の県都。第2次世界大戦後、戦火で荒廃したが、「レンガのヒビに至るまで」復元し往時の町並みを回復した1980年にユネスコによって「ワルシャワの歴史地区」として世界遺産に指定された。

ポー ランド侵攻の間、旧市街地区の殆どがドイツ空軍によってひどいダメージを受けた。ドイツ空軍は、恐怖爆撃の際、街の王宮地区および歴史的ランドマークを標 的に絞った。ワルシャワの戦いの後、旧市街の一部が再建されたが、1944年の8月から10月までのワルシャワ蜂起ののち再び、ドイツ陸軍によって計画的 に爆破された。暴動を記念する彫像"the Little Insurgent" は現在旧市街の中世の城壁に建設されている。

第二次世 界大戦の後、廃墟と化した旧市街は再びポーランド人自身によって厳密に再建された。もともとの建物に使用された煉瓦はできるだけ再利用された。破片は再利 用できる装飾的な要素に変えられ、それらはもともとあった場所に再度挿入された。ベルナルド・ベロットの18世紀のヴェドゥータ(都市風景画)は、戦間期 に建築学科の生徒が描いた写生と同様、再建努力の根本的なよりどころとして使用された。1971年まで爆破後の廃墟のままの姿であった王宮は、1970年 代前半に再建が開始され、ワルシャワの戦いの最中に隠されていた美術品や装飾が再び配置され、1970年代半ばより国立博物館の一部や祭典会場として使わ れるようになった。

世界遺産登録の際、破壊からの「復元文化財」は登録に値しないという理由から登録が危ぶまれたが、世界遺産登録の中心となったワルシャワ工科大学の関係者は「復元されたからこそ登録に値する。もしワルシャワ市街が破壊と復興の歴史がなく、残っていならば登録しようとも思わない」と説得した。この結果「ワルシャワ旧市街」は「破壊からの復元および維持への人々の営み」が評価された最初の世界遺産となった。Pianist006

Plack_1 ◆ポーランド料理は、基本的に家庭料理である。肉を中心に長時間煮込む料理が多い。脂肪分、塩分が多いのも特徴。使用する肉は、牛肉、豚肉、鶏肉が多く、 羊やウサギの肉も売られている。ハムやソーセージの種類も多い。肉に添える野菜はジャガイモが多い。魚はあまり食べないが、鮭やニシンを食べることもあ る。

代表的な料理は、ビゴス、バルシチ、コトレットなど。 ポーランド料理

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<映画の時代背景 概略>

1939年 

ポーランド侵攻  (映画 オープニング)

・9月1日に、ドイツ軍とドイツと同盟したスロヴァキアの軍部隊が、ポーランド領内に武力侵攻。

・9月3日に、ポーランドの同盟国であったイギリスとフランスがドイツに宣戦布告し、ポーランド侵攻は第二次世界大戦に突入。

・9月17日に、ソ連軍がまだ戦闘地域ではなかったポーランド東部国境地帯に武力侵攻。

・ ワルシャワは、ドイツ軍の激しい攻撃に対し、他から退却してきて再編成された部隊、義勇市民、ミリシアが応戦し続けたが、ついに9月28日に開城した。ワ ルシャワ北部のモドリン要塞はモドリンの戦いと呼ばれる16日間の激しい戦闘の後、9月29日に降伏した。各地のポーランド守備隊のいくつかはドイツ軍に 包囲されても長い間戦い続けた。多くの場合、西から進撃してきたドイツ軍と東から進撃してきたソ連軍は互いに出会うことになった。ポーランド陸軍最後の作 戦部隊となったフランチシェック・クレーベルク将軍の独立作戦部隊「ポレシェ」が10月6日に投降した。これによってポーランド侵攻9月作戦は終了した。

・ポーランド政府は降伏せず、残存する陸軍および空軍の部隊と共にルーマニアとハンガリーへ脱出した。パリそしてその後にロンドンに亡命、亡命ポーランド政府を組織した。

1939年時点のヨーロッパの情勢 ポーランドはドイツ(薄青)とソ連(薄緑)によって東西から侵攻を受けた

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~1940年 

・ドイツ軍司令官はユダヤ人の大半が居住していた旧市内の地域に「伝染病汚染に付き立ち入り禁止区域」を設営し、ドイツ兵の出入りを禁じた。

・1940年10月から11月にかけて「ユダヤ人居住地区」を設営した。それは旧隔離地区の三分の二の広さであった。13万8000人のユダヤ人がそこに入り、さらに7万2000人のユダヤ人がワルシャワ西部からゲットーに送り込まれた。

1942年

・ドイツ軍はワルシャワ・ゲットーからトレブリンカ絶滅 収容所に集団移送の準備をしはじめて、ユダヤ人評議会は、ユダヤ人の名簿とゲットーの街路地図を提供するように命じられた。 1942年7月22日に、ユダヤ人評議会は、すべてのワルシャワ・ゲットーにいるユダヤ人が、東に追放されることになる手順書を受け取った。指令はさら に、ユダヤ人警察による摘発のために評議会が作成した名簿から優先して、1日あたり6,000人の移送を始めることを要求していた。

例外はドイツの工場で働いている者、病院のスタッフ、評議会のメンバーと家族、ユダヤ人警察のメンバーと家族だけだった。

1943年

・4月19日 - 5月16日 ワルシャワ・ゲットー蜂起
ナチスドイツによって、ポーランドに住むユダヤ人を強制収容するためにワルシャワ市内に設けられた区域であるワルシャワ・ゲットーでの、武装蜂起である。この反乱は、強制収容所に送られることが死を意味することに気がついたユダヤ人が命をかけてドイツ軍に対して起こしたものである。

1944年

・すでにイタリアへの上陸を成功させたものの、フランス への再上陸による西部戦線の構築をきっかけとした本格的な反攻のチャンスを伺っていた連合国軍は、この年の6月6日に、アメリカ陸軍のドワイト・アイゼン ハウアー将軍指揮の元、ドイツ軍に占領されている西ヨーロッパ戦線の中核である北フランスのノルマンディー地方に対して、イギリス軍とアメリカ軍を中心に 大陸反攻作戦「オーバーロード作戦」(ノルマンディー上陸作戦)を行い、多数の死傷者を出す激戦の末見事に上陸を成功させた結果、1940年6月のダンケ ルクからの撤退以降約4年ぶりに西部戦線(フランス戦線)が再び構築された。

・8月1日 ワルシャワ蜂起  (映画 クライマックス)
1944年、ソビエト軍によるバグラチオン作戦の成功によりナチス・ドイツは敗走を重ねた。解放地域がワルシャワ付近に及び、ソ連軍はワルシャワ市 民に蜂起を呼びかけた。そして、ワルシャワ蜂起を指導したのは亡命ポーランド政府である。ヒトラーはワルシャワを放棄することを決定する。それに呼応する ような形で8月1日、ワルシャワでレジスタンスポーランド国内軍を中心に武装蜂起が行われた。しかし、ソビエト軍は18マイル(約30km)の地点で進軍 を停止する。これをみて、ヒトラーはソ連軍がワルシャワを救出する気が全くないと悟り、蜂起した国内軍の弾圧とワルシャワの徹底した破壊を命ずる。

・レジスタンスポーランド国内軍は、イギリスやアメリカの航空機に対する飛行場での再補給や、西側連合国による反乱軍の航空支援に対し同意せず、 質・量に勝るドイツ軍に圧倒され、蜂起は失敗に終わる。その後、ドイツ軍による懲罰的攻撃によりワルシャワは徹底した破壊にさらされ、蜂起参加者はテロリ ストとされ、レジスタンス・市民約22万人が戦死・処刑で死亡したと言われる。しかし、イギリス政府がワルシャワのレジスタンスを処刑した者は戦犯とみな すとラジオを通して宣言したため、レジスタンスへの処刑は止んだ。

・10月3日、レジスタンスポーランド国内軍はドイツ軍に降伏しワルシャワ蜂起は鎮圧された。降伏した国内軍は武装解除され、捕虜として扱われて捕虜収容所に送られた。死亡者数は18万人から25万人の間であると推定され、鎮圧後約70万人の住民は町から追放された。

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1945年

・1月17日 (映画 ラスト)
ソ連軍は1月に入ってようやく進撃を再開し、1月17日に廃墟と化したワルシャワに入城した。その後、ソ連軍はレジスタンス幹部を逮捕し、自由主義政権の 芽を完全に摘み取った。しかし、生き残った少数のレジスタンスは地下水道に逃げ込み、共産政府樹立後も、要人暗殺未遂などしばらく混乱が続いた。

   

第二次世界大戦、1939年から1945年にかけて連合国と枢軸国の二つの陣営で行われた人類史上二度目の世界大戦。主な戦場はヨーロッパ戦線とアジア・太平洋戦線の二つ。両陣営合わせて、数千万人の死者を出す人類史上最大の戦争となった。戦争は連合国の勝利で終わった。

◇連合国
・主要5ヶ国: * アメリカ合衆国 * イギリス * ソヴィエト社会主義共和国連邦 * フランス * 中華民国
・ヨーロッパ: * オランダ * ベルギー * ルクセンブルグ * チェコスロバキア * ユーゴスラビア * ギリシャ  * デンマーク  * ノルウェー * ポーランド
・英連邦: * オーストラリア * ニュージーランド * エジプト * 南アフリカ連邦 * カナダ * ドミニカ国

◇枢軸国
・主要3ヶ国: * ナチス・ドイツ * 大日本帝国 * イタリア王国

ホロコースト:  大戦中、ユダヤ人や少数民族に対する迫害はドイツ国内および占領地域で継続した。1941年からはユダヤ人は「ダビデの星」の着用を義務づけられ、ゲッ トーに移住させられた。ラインハルト・ハイドリヒの監督下、1942年1月に開催されたヴァンゼー会議では「ユダヤ人問題の最終解決策」が策定されたとさ れる。何千人もの人が毎日強制収容所に送られ、この期間中には多くのユダヤ人、ほぼ全ての同性愛者、身体障害者、スラブ人、政治犯、エホバの証人を系統的 に虐殺する計画が立てられる。また、1,000万人以上がただ働きで扱われた。この大量虐殺はホロコースト、ヘブライ語ではショアーと呼ばれる。ナチスは 婉曲的に「最終解決策」という用語を使用した。

Pianist008国家保安部:  1933年ナチス政権獲得後、政権を強化するためにハインリヒ・ヒムラーは反体制派を封じ込めることが必要であると考え、警察組織の中央集権が不可欠で あることを認識していた。1936年警察組織を親衛隊に吸収し、1939年に彼の右腕ラインハルト・ハイドリヒは親衛隊保安部 (SD) と国家機関の秘密警察局と刑事警察局を親衛隊組織の国家保安本部の傘の下にまとめ、全国的な国民監視機構を完成させた。これは第二次世界大戦の進展と共に ポーランド総督領、ヨーロッパおよびソ連占領地区にも強権を執行し、恐怖支配の尖兵となった。特にゲシュタポはレジスタンスの弾圧、スパイ摘発、ユダヤ人 の狩り立てに大きな役割を果たし、上位組織である国家保安本部以上に悪名高い存在となった。

ゲシュタポとはドイツのみならずヨーロッパ占領地におけるレジスタンスの弾圧、スパイ摘発、ユダヤ人の狩り立て・移送、反ヒトラー陰謀の捜査に関して厳格な取扱いを行い、ヨーロッパ中を震え上がらせたナチスドイツの秘密警察の略称である。

独ソ戦争 
・開戦前: 1939年9月のポーランド侵攻後、ナチスドイツとソビエト連邦は、独ソ不可侵条約によって、緩衝帯であったポーランドを分割。それによってドイツは、ソ連との緩衝帯を自らの手で消滅させた。
・独ソ戦または独ソ戦争は、第二次世界大戦中の1941年から1945年にかけてナチス・ドイツを中心とする枢軸各国とソビエト連邦との間で戦われた戦争を指す。1941年6月22日にドイツ国防軍がソビエト連邦に侵入した。

ユダヤ人
・主にポーランドを中心とした東欧に居住していたアシュケナジー(アシュケナジム)系ユダヤ人は、俗に白人系であると言われた。ドイツ語圏に住む彼らの多くはドイツ語を話し、ドイツ語圏外に住む彼らの多くはドイツ語の方言であるイディッシュ語を話していた。
・19世紀後半に入ると祖先が長く暮らしていたイスラエルの地に帰還してユダヤ人国家を作ろうとする運動(シオニズム運動)が起きた。この運動は第二次世界大戦時のホロコーストをきっかけに盛んになり、後のイスラエル国家建設に繋がっていくことになる

 

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<登場人物のモデル 他>

ウワディスワフ・シュピルマン(1911年12月5日 - 2000年7月6日)は、ユダヤ系ポーランド人のピアニスト、作曲家。

The_pianist800ワルシャワのショパン音楽院でピアノを学び、20歳の頃にドイツのベルリンに音楽留学をするが、1933年、ヒトラーが政権を掌握したことにより2年でポーランドへ帰国。ワルシャワでポーランド放送のピアニストとして音楽家活動を始める。

長男のクリストファー・W・A・スピルマンは、九州産業大学教授。


シュピルマン オリジナル・レコーディング CD  (Amazon)

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フレデリック・フランソワ・ショパン(1810年3月1日(2月22日、1809年3月1日説あり) - 1849年10月17日)はポーランドの音楽家。ヨーロッパにおいて作曲家として、またピアニストとして有名であった。

劇中で演奏されたフレデリック・ショパンのピアノ曲

*オープニング・・・『夜想曲第20番嬰ハ短調[遺作]』
ドイツ軍の砲撃を受けるラジオ局で演奏。

*クライマックス・・・『バラード第1番ト短調作品23』
廃墟のワルシャワでドイツ軍の将校であるホーゼンフェルト大尉の求めに応じ演奏。使用ピアノは「Perzina」。

*エンディング・・・『アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ変ホ長調作品22』
使用ピアノは「スタインウェイ」。

※ピアノ演奏はいずれもヤーヌシュ・オレイニチャク

ベヒシュタインは、スタインウェイ、ベーゼンドルファーと並んで、世界三大ピアノメーカーに数えられるドイツのピアノ製造会社である。

ヴィルム・ホーゼンフェルト(1895年5月2日~1952年8月13日)は、ドイツの軍人。陸軍大尉。

もとは教育熱心な学校教師だったが、第一次世界大戦で中尉として従軍。第二次世界大戦でドイツが侵攻したポーランドの首都ワルシャワのスポーツ施設 の責任者となる。ホーゼンフェルトと何人かのドイツ軍将校は、ドイツ軍占領下のポーランドにおいて、ユダヤ人を含むポーランド国民に対して、同情すると共 に、ナチス・ドイツがポーランドで行った諸々の行為を恥じ、シュピルマンと同じ境遇の多数の人々に支援の手をもたらした。

ホーゼンフェルトは、第二次世界大戦の末期、1945年1月17日にソビエト軍の捕虜となる。軍事法廷で戦犯として、25年の強制労働を宣告され た。ホーゼンフェルトの活動から、彼を弁護する多くの人々の証言にもかかわらず、ソ連軍当局によって、ホーゼンフェルトの不起訴と刑の執行猶予は拒絶され た。過酷な労働のため何度かの脳卒中を起こし、精神に異常を来たした末に、スターリングラードの戦犯捕虜収容所で1952年8月13日に死亡した。

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<監督 原作小説>

ロマン・ポランスキー(1933年8月18日 - ) はユダヤ系ポーランド人の映画監督。

フランス・パリで生まれる。母親は第二次世界大戦時にアウシュビッツでナチスに虐殺され、自身も「ユダヤ人狩り」から逃れるため転々と逃亡した。この体験が自身の作品に深く影響を与えることとなった。

1962年に監督デビュー。社会主義体制のポーランドでは黙殺されたが西側諸国で絶賛された。その評判に惹かれるように1963年にイギリスに渡り映画を製作する一方で、アメリカのヒューストンに居を構える。

1977年にジャック・ニコルソン邸で、当時13歳の子役モデルに性的行為をした事により逮捕、裁判で有罪の判決(実刑 懲役50年以上という換算)を受ける。逮捕・収監を避けるため、映画撮影と偽ってアメリカを出国し、ヨーロッパへ逃亡した。以後アメリカへ1度も入国して いない。

『戦場のピアニスト』でアカデミー監督賞を受賞。(上記の問題を恐れ授賞式には参加せず)

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原作小説『ある都市の死』  

『戦場のピアニスト』の原作であるヴワディスワフ・シュピルマンの自伝的小説は、終戦直後のポーランドで『ある都市の死』の書名で1946年に刊行 された。冷戦下の同国では、シュピルマンを救った将校の国籍を史実と等しく旧敵国であるドイツとするのは好ましくないため、止むを得ずオーストリアの出身 と設定したが、刊行直後にスターリン派ポーランドにより絶版処分となった。以降、国内外を問わず再版されることはなく、1960年代におけるポーランド国 内での復刊の試みも同国政府による妨害に遭い実現は叶わなかった。

しかし初版発表から50年余り経過した1999年に英語、ドイツ語、フランス語で復刊され、後にポーランド語でも再販がなされた。英題は「The Pianist:The extraordinary story of one man's survival in Warsaw, 1939-1945」。日本語版は2000年に佐藤泰一の翻訳で春秋社より刊行。

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