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2007年11月 2日 (金)

226: ツォツィ

アパルトヘイト時代に生まれ 

アパルトヘイト撤廃後に生きる 

19歳の少年“ツォツィ”

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人生はサイコロゲームのようだ

生まれた時には環境や親や 社会経済状況は選べないが

それは人生を決定づける要因である

だが同時に 人生は 選択の連続でもあるのだ

自身の選択が その後 歩む道のりを決める 

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原題 : TSOTSI

監督 : ギャヴィン・フッド
製作総指揮 : ロビー・リトル
原作 : アソル・フガード
脚本 : ギャヴィン・フッド
音楽 : マーク・キリアン 、ポール・ヘプカー

出演 : プレスリー・チュエニヤハエ 、テリー・フェト 、ケネス・ンコースィ 、モツスィ・マッハーノ 、ゼンゾ・ンゴーベ 、ZOLA 、ジェリー・モフケン

製作年度 : 2005年
製作国・地域 : 南アフリカ/イギリス
上映時間 : 95分
日本公開 : 2007-04-14~

アパルトヘイト後も続く南アフリカ共和国の過酷な現状と、未来への希望を見つめ、第78回アカデミー賞外国語映画賞を受賞した作品。

映画では、原作の時代設定である1960年代から現代に移し、アパルトヘイトを廃止してから10数年経過しながら、いまもなお残る差別と格差社会に 苦しむスラム街の不良(「ツォツィ」は、いわゆる「不良、犯罪者、ギャング」を意味するスラング)と呼ばれる主人公が、ある出来事を契機に人間性を取り戻 してゆく過程を描いた作品。サウンドトラックにソウェト育ちの南アフリカの人気歌手ゾラ (Zola) を起用し注目を集めた。

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思ったより淡々とした作品だった。

Tsotsi02_2感 情の揺らぎや変化は、役者の表情で表現されることが多く(そのため役者に焦点が当たるように、背景にはボカシがかかっていたり、陰影が調節されていたりし た)、空気感や流れは、色彩と南アフリカの音楽(KUWAITO/クワイド)で感じる事が出来た。暴力的シーンはそのものを描くというよりは、その爪跡が 映像として映されていた。

そして、この映画全体が、アパルトヘイト(人種隔離政策)の爪跡を表現していた。

 

以下、かなりネタバレ有り。まとまらないまま、ダラダラ書いてます。^^;

 

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Tsotsi09_2リー ダーの ツォツィ(中左)とその仲間三人・・・アープ(右)、ブッチャー(中右)、ボストン(左)・・・は、分かりやすい特性が分かりやすく表現されていた。従順 なアープ、残虐なブッチャー、彼らはツォツィと同じように幼い頃から「自分で生きてきた」のだろうし、自分の状況に苛立ちを感じているボストンは「自分で 生き始めたばかり」だ。

彼ら三人それぞれとツォツィの関係性が、興味深い展開を見せていく。

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炭鉱事故で足が動かなくなった男モーリス とのシーンが印象深かった。駅のシーン、それに続くコンクリートの橋桁の下のシーン、そしてラスト近くの駅のシーン、どんどんツォツィの視線が変化していくのが感じられる。

駅で初めて見た時には、相手を馬鹿にした態度だったのが、その強気な姿勢に「なんで?」と思い、興味を惹かれ後を付けると、路上で知り合いと競馬の 話を楽しそうにする姿を見て「なんで?」と不思議に思い、「ホントは足が動かないのは嘘なんだ。だから、あんな風に強気になれたり、楽しそうに出来るに違 いない。」と思い、そしてコンクリートの橋桁の下で、「何故(自分より不幸なのに)生きていられるんだ」と問う。この一連のシーンには、そういった発想を してしまう「ツォツィの不幸」が感じられ、見ているこちらのココロが痛かった。そしてラスト近くの駅のシーン・・・、車を売ったお金(苦笑)をあげに行く んだけど、その時ツォツィは、膝を突いて目線を下げて渡す。明らかな変化!

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病気(エイズ)で臥せっているツォツィの母に、あんな態度しか取れないツォツィの父 に対しては、複雑な感情を抱いた。南アフリカに限らずエイズの情報が少ない場所では、ああいった扱いになってしまうのが少なく無いという事を、日本のTV ドキュメンタリーで何回も見ているからだ。

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Tsotsi06映 画の中では赤ん坊が、重要な位置を占めていた。赤ん坊がツォツィ(19)自身のメタファーとして扱われていて、赤ん坊に接する内に、日ごろ接している仲間 と一緒の時には、蓋をして閉じ込めている自身の想いを、呼び覚ましていく。その象徴たるシーンが、ツォツィの本名を仲間のボストンがしつこく聞いた時は無 視したのに、授乳しているミリアムが赤ん坊の名前を聞いた時に、思わず自分の本名「デヴィッド」を言ってしまうシーンだろう。

赤ん坊の世話をする内に、自身の幼い頃の想いを思い出すようになり、赤ん坊に愛情を感じるようになり、赤ん坊の幸せを願うようになり、赤ん坊に自身を重ね合わせ、自分のような想いをさせたくない、と思うようになっていく。徐々に、徐々に、本人も気付かない内に。

ちなみに、赤ん坊は男の子と女の子のそっくりな双子で、泣き役は男の子が、笑ったり眠ったりは女の子が“担当”したらしい(笑)。赤ん坊の顔に付いていた死んだアリ(冷凍アリ)以外は、CGで合成したものだって。だよね、じゃなかったらチョットねぇ・・・。^^;

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なぜ彼は赤ん坊を連れていくのか? 

ギャヴィン・フッド監督の音声解説より 彼の優しい面が顔をのぞかせたから・・・ もしくは、親に電話をして金を要求する目的かも・・・ だがどちらでもない 赤ん坊が大声で泣いていれば 大抵は“助けなければ”と思う  

確かに、赤ん坊がすやすやと眠っていたら、連れ帰らなかったかもしれないなあ~。 。。。泣いたってのがポイントかも。

主演プレスリー・チュエニヤハエのインタビュー 一つに自分と重ね合わせたからだと思います。彼はある意味で親に捨てられた子供ですよね。もし赤ちゃんをあのまま放置していたなら、きっと自分のように なってしまうと思ったんじゃないでしょうか。そしてもう一つの理由としては赤ちゃんと視線を合わせることで、そこに人間としてのコミュニケーションが生ま れたからだと思います。あの瞬間、彼らの間に絆ができたんです。それによってツォツィの中に良心が芽生えたんですね。彼は赤ちゃんによって、彼の中にあっ た自分でも気付かない感情を認識するようになります。

視線ね、なるほど、なんか納得。確かに、赤ん坊が目を閉じてすやすやと眠っていたら、連れ帰らなかったかもしれないなあ~。 。。。泣き声と視線、これがポイントだったんだ。そこに生まれた何かがあったんだね。うん。
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Tsotsi05_2ミ リアムの行動は、母性の象徴のように描かれている。昨今の日本を見ていれば分かるように、母性(父性も)は子供が出来た瞬間に授かるモノでは無く、子供の 世話をしている内に育まれていくものなのだと思う。これは南アフリカでも同じだろうから、ああいった言動がとれるのは、無き夫を本当に愛し、自分の子供を 本当に愛しているからだろう。既婚の印である布を常に頭に巻いていた事からも分かるように、ツォツィに惹かれる想いがあったからこその言動では無いと感じ た。

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赤ん坊の家に盗みに入る前後のツォツィの様子には、目を惹かれた。ミリアムに 言われて赤ん坊を返す気にはなったが、母親は死んじゃってるかもしれないし・・・・、で、ボストンの学費に託けて、仲間と赤ん坊の家に盗みに押し入り、母 親が生きている事を確認し、子供部屋で幸せに育てられていた事を確認する。で、赤ん坊の父親を殺そうとするブッチャーを、赤ん坊の事が脳裏をかすめて、思 わず撃ち殺してしまう。警察を呼ばれ、車を盗んで逃げだす。

ツォツィの事情を何ひとつ知らないアープとの別れ。従順なアープが、初めてツォツィに対して反論し、自立する道を選ぶ。事情を知らないアープの台詞 は、ちょっと悲しみを誘うけど、ツォツィにしてみたら、アープが自立したほうがイイと思うようになっているから、内心ヨカッタと思っているに違いない。そ れから、足の悪いモーリスに会いに行く。盗難車を売ったお金の半分をアープに渡し、残り半分はこのモーリスに渡す・・・・・。

そしてラストシーン。最初に車を盗んだ時に、座席で泣き出した赤ん坊を見捨てられなかったのと同じように、門の前で泣き出した赤ん坊を、そのまま放置して去る事が出来なかったツォツィ。あやす間に警察が来る。


そして、赤ん坊の父親が、周りを囲む警官に「銃をおろせ」といい、門の外に出て行く。 。。。赤ん坊の父親とツォツィが交わす視線が、v(≧∇≦)v イイ!



◆自問自答 ^^


ツォツィのやった事は悪い?

もの凄ぉ~く、悪い!!!


“ツォツィ(ギャング)”になったのは、ツォツィのせい?

環境のせいもあるけど、「でも!」とあたしはやっぱり思う。「本人次第なんじゃないの」と。

ただ、もし彼の父親が彼に愛情を与えていたら、そして教育を与えていたら、ああはなっていないだろう。母親は彼に愛情を持って接していたから、彼は 愛情を知らない分けではないし、本来はやさしいココロを持っているのだと思う。けど、エイズで隔離されちゃってる母親-----エイズに関する情報も少な く、触っただけで感染すると思われていたから、ツォツィを呼び戻す時にも、父親自身は部屋に入らなかったよね-----、飲んだくれて、飼っていた犬を 蹴って歩けなくするような父親。そして、ツォツィは家を飛び出し土管生活に・・・・。「親のせいなんじゃないの」と思いたくなる。

ただ、この頃はまだ、アパルトヘイト時代で、黒人は住む地域も限定され、就職、賃金、医療、教育、諸々の差別政策の下で、貧しい暮らしを余儀なくされている。個人では、どうしようも出来ない現実が、あったんだよね。「社会環境のせいじゃないの」と思いたくなる。

「本人次第」ではあるけど、「親のせい」でもあるけど、そう言い切ってしまうのは、あまりにも過酷だと感じた。(ノ`0)ノ「アパルトヘイトのせいだぁ~~!!!」

アパルトヘイトが撤廃された後も、親がいなくて学校に通えない子供や、アパルトヘイト時代に成長期を過ごした大人も、教育を受けられていない。だから、撤廃されたからといって、なかなかちゃんと職にありつけない。つまり、貧しい・・・・・。


警察に捕まったツォツィはその後どうなるのかなあ~

傷害、窃盗、殺人、誘拐、余罪も沢山、う~んん、やっぱり悪い。許したい気持ちにさせる範疇を越えている。許されるべきじゃないと思う。けど、そう言い切ってしまうには、なんともモヤモヤしたものが心に残る。

仮に、罪を償って許され、人生のセカンドチャンスを与えられたとしても、すんなり彼を受け入れるほど、社会は甘く無いだろう。再犯の可能性も、低くないだろう。でも、デヴィッド(ツォツィの本名)なら、更正の可能性も、低くないと感じさせられた。

南アフリカの場合、その貧困の根源に過去のアパルトヘイトがあり、1994年に撤廃されているが、アパルトヘイトが作り出した経済格差・教育格差は、一朝一夕には埋まらない。

仮に、“アパルトヘイトが作り出した格差”が無くなったとしても、また別の格差が生まれるだろうし、“現状のような貧困”が無くなったとしても、犯 罪に走る少年が皆無になることは無いだろう。日本にだって、貧困とは関係なく人間性を失った少年たちが、数多くいるしね・・・。

でも、南アフリカが、肌の色なんか関係なく、子供の目の前に色んな可能性の道が開ける社会になれば、“ツォツィ”は少なくなるんじゃないのかな、当 然。この映画の主人公を演じた、プレスリー・チュエニヤハエみたいな子もいるわけだしね。今後、ツォツィみたいな子が“ツォツィ”にならなくて済むように なっていく、そんな未来を想いたい。

 

人生はサイコロゲームのようだ

生まれた時には環境や親や 社会経済状況は選べないが

それは人生を決定づける要因である

だが同時に 人生は 選択の連続でもあるのだ

自身の選択が その後 歩む道のりを決める 

- ギャヴィン・フッド監督 - 

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以下、映画関連事項

◆アパルトヘイト◆南アフリカ共和国◆ヨハネスブルグ◆エネルギッシュな「ヨハネスブルク」の未来◆監督・脚本:ギャヴィン・フッド◆原作:アソル・フガード◆主演:プレスリー・チュエニヤハエ

 

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◆アパルトヘイト

アパータイ(Apartheid)はアフリカーンス語で分離、隔離の意味を持つ言葉。特に南アフリカ共和国における白人と非白人(黒人、インド、パキスタン、マレーシアなどからのアジア系住民(但し日本人は除く)や、カラードとよばれる混血民)の諸関係を差別的に規定する人種隔離政策のことをさす。

1948年に法制化され、以後強力に推進された。1994年に激しい国際非難を浴び貿易禁止などの経済制裁を受け、主に経済的な理由から法律上は廃止された。国際連合に「人類に対する犯罪」とまで言われた。

アパルトヘイト根幹法(法律の名称ではない。アパルトヘイト政策を支えたさまざまな法律のうち、特に支柱となる「原住民土地法」「集団地域法」「人口登録 法」「バンツー教育法」をまとめて根幹法と呼ぶ)のうち、最後まで残っていた「人口登録法」の廃止が、議決された1991年6月17日をもって、アパルトヘイト 廃止の時期とする説が罷り通っているが、これは誤りである。根幹法には含まれない関連法の中で最重要の「選挙法」が、あいかわらず黒人の選挙権を否定してい た時期に、「アパルトヘイトはなくなりました」などと言えるわけがない。アパルトヘイト批判を行ってきた国際連合も、1991年時点でアパルトヘイト消滅 の確認などしていない。日本においても1991~94年の時期こそ反アパルトヘイト運動の正念場であったという事実を明記しておきたい。アパルトヘイトの終焉は、全人種参加の選挙が挙行された1994年4月27日である。

この政策で、日本人は名誉白人として白人同等の扱いをうけている。アパルトヘイト時代の1987年に日本は南アフリカの最大の貿易相手国(ドルベースの貿易額基準)となり、翌1988年2月5日に国連反アパルトヘイト特別委員会のガルバ委員長はこれに遺憾の意を表明した(ガルバ声明)。

差別の内容

原住民土地法、バンツー自治促進法、バントゥースタン(ホームランド)政策など : 1971年に実施された。白人の何倍もいる多数派である黒人を、国土の13%にすぎない辺境不毛の地に設けたホームランドといわれる「国」を10地区作り、そこに住まわせようというもの。ホームランド10地区は種族別に分かれており、それぞれに自治権を与えて、最終的には独立国としようとするのであった。といっても、それは名目上であって、目的は黒人を他国の国民として扱うことで、彼らから南ア市民権を奪い、参政権を奪い経済的には白人に依存せざるをえない黒人を外国籍の出稼ぎ労働者として扱おうとするものであった。さらに、絶対多数人種である黒人を新独立国へと隔離することで、白人は多数派として、少数派であるカラード、インド系人と、「見かけ上は差別はない」が「実質は白人優位の」多人種社会の再構築をも目論んだのである。黒人の反対にもかかわらず、トランスカイ、ボプタツワナ、ベンダ、シスカイの4地区は「独立」(1976年~1981年)させられるものの、国際的には独立国として承認されず、むしろ国際社会の非難を浴びることになった。

集団地域法 : 人種ごとに住む地域が決められた。特に黒人は産業地盤の乏しい限られた地域に押し込められ、白人社会では安価な労働力としかみなされなかった。

その他 : 就職、賃金、教育、医療、宗教など、日常生活の隅々にわたって非白人を差別する政策が、無数の法と慣行で制度化されていた。

アパルトヘイト廃止後

アパルトヘイト時代に、劣悪な環境下で充分な教育の機会にも恵まれなかった大多数の黒人は、未だ貧困層から脱却出来ないものの、特権を得た一部の黒人による逆差別現象も生じ始めてきている。黒人による経済支配は極めて小規模であるため、この問題が社会問題としてクローズアップされることも無い。更に、アパルトヘイト時代には同志として友好的であった黒人部族間で、相互差別が始まりつつある。

◆南アフリカ共和国

800pxflag_of_south_africasvg アパルトヘイトが撤廃されて21世紀になっても、依然として人種間失業率格差が解消されないでいた理由は、アパルトヘイトが教育水準格差をも生み出していたことが最も大きな要因と考えられる。

アパルトヘイト撤廃によって、即日、雇用平等の権利を得たとしても、当時の労働人口の中心となる青年層は既に教育水準の差が確定してしまっており、アパルトヘイト時代に教育を受ける機会を得られなかった国民は、炭坑労働者など、雇用が不安定な業種にしか職を求めることができなかった。さらに鉱山は商品市況によって、炭鉱労働者の雇用または解雇を頻繁に行うこともあって、黒人の失業率は白人のそれと比べて非常に高い統計結果がでてしまうのである。

しかし撤廃後12年以上が経過し、教育を受ける世代が一巡したことで、白人・黒人間の失業率格差は縮小しつつある。また政府は、単純労働者からIT技術者の育成など技術労働者へ教育プログラムなどを用意し、国民のスキルアップに努めている。今後、失業率の問題は、人種間失業率格差から、数十あると言われる各部族間格差を縮小させるような政策が期待されているが、犯罪率も高く、多くの過激派組織も活動している点は否定できない。

公用語 : アフリカーンス語、英語、バントゥー諸語(ズールー語、コサ語、ぺディー語、ソト語、スワジ語、ヌデベレ語、ツォンガ語、ツワナ語、ヴェンダ語)の11言語。

映画では最初から字幕が付く事が決まっていたので、これら各種の言語で撮影されています。字幕との兼ね合いもあるため、アドリブは一切無かったという事です。

エイズの状況 : HIVの陽性率は異常に高く、15~49歳のHIV感染率が21.5%(2004 NAIDS/WHO)、妊産婦HIV感染率が29.5%(2005 UNAIDS/WHO)となっており、国民の約4~5人に1人の割合でHIVに感染してい現状が浮き彫りになり、異常なまでにHIV感染率が高い数値となっている。

南アの死亡原因の一位となり、益々死者が増加するエイズの蔓延の結果、当然ながらエイズ患者への差別は、同族間ですら存在する。特に「処女と性行為することでエイズが治る」という迷信が広く信じられている結果、エイズ患者による少女への暴行は犯罪としてカウントされないものの、ウイルス感染者を益々増加させる悲劇的な事態となっているとともに、エイズ患者に対する差別を加速させる有様である。しかし、その差別されるエイズ患者が、黒人社会の多数派となりつつある、絶望的状況となっている。

犯罪問題 : ヨハネスブルグをはじめとして南アフリカの都市では、殺人、強盗、強姦、強盗殺人、麻薬売買などの凶悪犯罪が昼夜を問わず多発し世界一の犯罪都市との汚名も付けられる程である。殺人に限っては未遂を含め111.30件/10万人と日本の約110倍となっている。各犯罪件数では軒並み世界平均件数と比べて異常に高い犯罪率となっている。

◆舞台になったヨハネスブルグ(都市圏の人口は800万人。ツォツィが住んでいたのはソウェトのドラミニ地区。)

現在のヨハネスブルクは「世界最悪の犯罪都市」「世界の犯罪首都」とも称される。治安が悪化している現在の南アフリカ共和国の中でも、ヨハネスブルクの危険性は突出している。

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アパルトヘイトの廃止後に職を求めて多くの黒人、国外からの違法(不法滞在)な労働者達が一挙に市街地へと流れ込んだ。しかし、アパルトヘイト時代の黒人に対する教育環境は非常に貧しく、算数の初歩程度といった最低限度の基本的な知識さえ持たない者も珍しくない。さらに南アフリカ外から流入した者の中には、文字の認識さえできない者もいる。こうした黒人達が満足な職を得る機会はかなり乏しい。その結果、一部の者を犯罪へ駆り立て、多くの犯罪組織が作られる事となり治安は際限無く悪化、これを嫌った白人富裕層はヨハネスブルクからサントンなどの近郊へと職場(企業)も住居も移してしまった。こうして益々仕事の機会がなくなり、ついには街の一部(ヨハネスブルク中心部)は完全なゴーストタウンと化し、写真にある近代的な高層ビル群や高級マンションには、逃げ出した白人達に代わって、市街地に流れ込んできた黒人達や周辺諸国からの不法移民等が、不法入居者として住みつき、麻薬取引をはじめとする犯罪の温床と化した。上記展望写真からも明らかなように、近代的なビル群が林立するわりには、車道の交通量が不自然に少ない。

とりわけヨハネスブルク中央部界隈の治安の悪さは、戦時下にない地域としては世界でも1、2を争うほどとなってしまった。市域全体でも昼夜を問わず殺人・強盗は日常的に生じ、どの店でもショーウィンドーには鉄格子が据え付けられている。市域全体における、人口当たりの殺人事件発生率については、もはや地元の警察ですら実数を把握できない状況にあり、少なくとも殺人被害が、エイズをも超えて死亡原因の一位にあったこともある(現在の南ア国内全体での死因の一位は、既にエイズである)。

南アフリカの都市では、経済的な貧困に加えて、エイズ蔓延による深い絶望感、さらにアパルトヘイト時代に鬱積した不満の反動とが複雑に絡み合い、銃器が簡単に入手できる環境から、実に簡単に殺害行為が引き起こされるようになってしまった。強盗に襲われたら決して逆らわないことである。しかし警告なしで殺してから金品を奪うという犯罪も多いので、危険な地域には決して立ち入ってはならない。

治安の悪化と共に、富裕~中産階級層のオフィスや居住地は北部のサントン地区などの郊外へ移転しはじめた。こうした地区の中心部には、ホテルが併設された大型ショッピングセンターが存在しており、常駐する武装警備員により治安が良好に保たれている。南アフリカの観光ツアーで、単なるショッピングセンターへの立ち寄りが強調される理由はここにある。しかし、こうしたシェルター代わりの施設の内部ですら、宝石店が襲撃され、強盗犯と警備員の間で銃撃戦が発生する事例が生じるなど、もはや緊張を緩められるという場所ではなくなってきている。

日本の外務省からは、南アフリカに対しては危険情報が出されているが、ヨハネスブルグはその中で1項目として挙げられている状態で、ダウンタウンやヒルブロウ地区については「可能な限り公共輸送機関の利用は避け、同地区には立ち入らないように」という勧告も出している。しかし、ヨハネスブルグでは、自動車での移動においても、交差点の赤信号にて停車した日本人ドライバーが武装ギャングに襲撃され殺されたり、乗用車の故障のため高速道路の脇に車を停め、車外に出てボンネットを開けていた白人ドライバーが同様にギャングに殺されたりする事件が発生している。地元警察の見解は「前者では、たとえ赤信号であっても事故の恐れがなければ乗用車でも『停止しない』のが常識であり、後者では、いかなる理由があろうとも、車外に出るとは非常識で、携帯電話で警察の救援を求めるべきだった」という始末である。

白人はもちろん黄色人種は特に目立つため、日本人が駅周辺を歩くことは、昼間であっても自殺行為である。鉄道やバスといった公共交通機関は黒人の低所得層が利用する手段であり、彼らは身の危険を冒してまで、ギャングに襲撃されている「非黒人」を助けてはくれない。空港・商店・ホテルなどの建物内から移動するときは、必ず車を使用すべきである(ほとんどのホテルは送迎を行っている)。夜間は車であっても極力外出しないことである。危険な地区では、決して停車しないように警告されているが、むしろ今では危険地域の方が多くなってしまった。

このように、極端に治安が悪い地域が多いため、もはや観光目的で行くような場所ではないとも言われ、ワールドカップの試合の開催予定都市ではあるが、かえって南アフリカでの開催そのものを不安視させる要因の一つになっている。 wiki

◆エネルギッシュな「ヨハネスブルク」の未来に出会う 2007年06月 

勢いと若さ、そして新しさ。ヨハネスブルクはそんな印象を人に与えるまちだ。

070602_img_02_2 1991年にアパルトヘイトが撤廃されて以後、南アフリカでは豊かさと平和を取り戻すための努力が続いている。クロム鉱石やチタン、プラチナ、金といった地下資源や魚介、農作物などの豊富な天然資源を活用しながら、必要に応じて海外資本を取り入れ、技術を学んでいるのが現在の南アフリカの姿だ。その勢いを後押しするのが、2010年に控えたサッカー・ワールドカップの開催である。(画像は建設中のサッカー・ワールドカップ競技場)・・・続き 

訪れたソウェト地区は、反アパルトヘイト暴動の拠点となったタウンシップ(居住区)。ヨハネスブルグで1、2を争う治安が悪い場所として知られるが、地区の中にはネルソン・マンデラ氏の旧宅やこの地で起きた反アパルトヘイト暴動の記念館などの見どころもあり、ツアーで訪れる外国人観光客も多い。 2006年度アカデミー外国語映画賞を受賞した「ツォツィ」は、ヨハネスブルグのソウェト地区に生きる青年を描いた南アフリカ産の映画だった。エイズで母を失い、とことん貧しく無知で荒んだ主人公ツォツィや周辺の暮らしの描写はアパルトヘイトの傷の深さを物語っていたが、少なくともここソウェトの観光スポットの周辺は街路も整備されむしろ雰囲気は明るい。

070622_img_03 明るさの理由のひとつは、子供の多さと彼らのかもしだす空気だ。下校の時間帯に居合わせたのか、道行く子供たちはみな制服や襟付きシャツ姿でかばんを提げている。広いソウェトの中でもとりわけ貧しい、崩れそうなバラックが建ち並ぶエリアは外国人は下車するだけでも危ないと言われるが、そこでも学校帰りらしい子供たちが走り回っている。交差点では、通りがかりの大人が子供たちの道路横断を手伝っているのも見かけた。古びていても清潔そうなその服装からは、彼らがきちんと世話されていることが伝わってくる。
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続き

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ヨハネスブルクのソウェト(Soweto)  Googleマップ

 

 
Fugard◆原作:アソル・フガード

1932年南アフリカのミドルバーグ生まれ。

白人系イギリス人とアフリカーナーの両親を持ち、英語を母国語として育てられるが、自らのことは“英語で物書きするアフリカ人”と呼んでいる。

人間の権力構造から生まれる矛盾(アパルトヘイトを題材にすることが多い)をテーマに作品をつくるが、中心にあるのはあくまでも人間。強さと脆さゆえに社会に適合できない人間、そして支配的な女性がしばしば登場する。「劇作家としての私の得意の分野は、秘密に満ちた世界と、それが人間の行動に及ぼす影響、そしてそれが暴かれて生じるトラウマを描くことだ。これらは、私の舞台を動かす心臓だと言える」と語っている。

フガードがツォツィを主人公にした小説を書き始めたのは一九六〇年。一九六一年には、フガードの戯曲『血の絆』が南アフリカで上演された。ロンドンから来ていた出版社の人がこの芝居を観て感動し、彼に小説はないのかとたずねたらしい。そのためフガードは一旦中止していた『ツォツィ』の執筆を再開した。が、気に入らず「やっぱり自分は劇作家だ」と思って出版を断念する。書いた本人はその存在を忘れ去っていたが、原稿は破棄されないまま残っていた。七〇年代の半ばそれが他の原稿と一緒に荷造りされて国立英国文学博物館のフガード作品保管庫に送られ、何人かの目にとまる。編集をして出版をすべきだと勧められ、フガードはよく考えた末にそれを受け入れた。約二〇%を削る形で編集された原稿を、ほぼ二〇年ぶりに読み直し、出版を承認。一九八〇年、南アフリカ、アメリカ、イギリスで出版のはこびとなり、絶賛される。

その後この物語に魅了された人々により何度か映画化が試みられ、数本の脚本が書かれた。が、主に主人公の心の変化を描いた作品だったため、映像化は難しい。プロデューサーのピーター・フダコウスキ、監督・脚本を手がけたギャヴィン・フッドによってようやく映画化に成功したのが二〇〇五年。出版からさらに二十年以上の時がたっていた。映画は各国の映画祭で評判になり、二〇〇六年アカデミー賞外国語映画賞を受賞した。


Gavin_hood◆監督・脚本:ギャヴィン・フッド

1963年5月12日、南アフリカ生まれ。

南アフリカの大学を卒業し、一時俳優として活動。その後アメリカに渡り、UCLAで脚本と監督業について学ぶ。


◆主演:プレスリー・チュエニヤハエ

1984年南アフリカ生まれ。かつて“ホームランド”と呼ばれ、黒人を隔離し居住させた北西 部ポプタツワナの都市マフィケンに生まれた。治安の悪い地域で育ったが、13歳の時からドラマ・クラスに通い始め演劇の道へ。数々の舞台に立つようにな る。高校生の終わりの時に『ツォツィ』のエージェントに見出される。当初はブッチャー役でオーディションを受けたが、主人公のツォツィに大抜擢され、映画 デビューを飾った。

Tsotsi監督は、ツォツィが突然良い人になったりとか、何かがきっかけで突然、同情をよせられるようになったり、観ていてすぐに分かる、まさにこのタイミングで 彼は目覚めたんだと分かるような作品にはしたくないと話してくれました。ツォツィは、作品の最初と最後では明らかに違うけど、それは少しずつ変わっていく 心の旅でもあるのだと。
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.南アフリカで公開されたときの人々の反応はどうでしたか?

とても気にいってくれました。スラムの現状を知っているからこそ、とても身近に感じられたのだと思います。それに、白人が南アフリカ言語のコーサを話しているのもとても新鮮だったのです。「おい、白人がコーサ喋ってるぜ」って。劇場はいつも満員でした。

格差が描かれていますが、そのような社会をどのように思いますか?

アパルトヘイト時代には金持ちは白人、貧乏人は黒人というような分け方がありました。でも今回の作品に描かれているように、今は金持ちの黒人もいます。実際には幸運なことに、公共の政府の住宅政策というものがあるんですよ。作品に出てくる状況も一つの真実ではありますが、それと同時に地域社会を良くしていこうという動きもあるんです。この映画に出てくる金持ちが黒人であるところがおもしろいですよね。

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プレスリー自身も劇中に描かれているような治安の悪い地域で幼少期を過ごしたそうだ。「母が僕の将来を心配して演劇学校に入れてくれたから、ツォ ツィみたいな奴らと関わらずに済んだんだ」と苦笑するが、故郷の少年たちが抱える過酷な現実は、彼にとって他人事ではない。「2010年のサッカーW杯南 アフリカ大会の際には、子供たちの劇団を組織して、観光客に見せるためのストリートシアターをやろうと計画してるんだ。
通りでたむろしている少年の多く は、『お金が欲しい』という以上に『他人から認められたい』と感じてるから、彼らのチャンスになればいいと思う」と話してくれた。

本作がアカデミー賞を受賞したことで、監督とキャストの面々はアパルトヘイト撤廃に尽力した元南アフリカ大統領ネルソン・マンデラ氏と対面を果たし た。そのときの様子を聞くと、「小学校のときから彼がどんな人物か勉強してきたんだ。夢が叶ったような気分だった。彼から『欠点があるからこそ人間なんだ よ。もし私のことを映画化したとして、完璧な人物として描かれていたらそれは全くの嘘だ』って言われたのを覚えてるよ」と、マンデラ氏の物まねを交えなが ら嬉しそうに語った。

最後に観客に向けて、「僕自身アパルトヘイトを知らない世代で、映画も現代の話だから、アフリカ史を知らずに見てもいいと思う。でもそういう歴史が あったからこそ貧しいスラムがいまだに残っているんだし、出来れば南アフリカについて知った上で見て欲しい」とメッセージを送った。

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エキストラで出演した土管生活を送る子供たち。
このうちの2・3人は、2005年撮影当時、本当に土管生活を送っていた子供だそうです。

 

 

 

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 『拳銃を持つその手で、小さな命を拾った。』  コチラの「ツォツィ」は、2006年アカデミー賞外国語映画賞をアフリカ映画としては初めて受賞した作品で、4/14公開となったパワフルなヒューマン・ドラマなのですが、観て来ちゃいましたぁ〜♪  ツォツィ<不良>と名乗....... [続きを読む]

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