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2007年11月14日 (水)

240: 善き人のためのソナタ

盗聴されているのを知らない彼ら

彼らを盗聴する彼 

その両方を観るあたし

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原題 : Das Leben der Anderen (英題 The Lives of Others)

監督・脚本 : フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク
製作 : クヴィリン・ベルク / マックス・ヴィーデマン
音楽 : ガブリエル・ヤレド / ステファン・ムッシャ
撮影 : ハーゲン・ボクダンスキ
編集 : パトリシア・ロンメル
美術 : ズィールケ・ブーア

キャスト : ウルリッヒ・ミューエ マルティナ・ゲデック セバスチャン・コッホ ウルリッヒ・トゥクール トーマス・ティーメ ハンス=ウーヴェ・バウアー フォルクマー・クライネルト マティアス・ブレンナー

製作 : 2006年 ドイツ
日本公開 : 2007年2月10日
上映時間 : 2時間18分

第79回アカデミー最優秀外国語映画賞受賞

ベ ルリンの壁崩壊直前の東ドイツを舞台に、強固な共産主義体制の中枢を担っていたシュタージの実態を暴き、彼らに翻ろうされた芸術家たちの苦悩を浮き彫りに した話題作。監督フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルクが歴史学者や目撃者への取材を経て作品を完成。恐るべき真実を見つめた歴史ドラマとして、 珠玉のヒューマンストーリーとして楽しめる。

シュタージ(国家保安省)の局員ヴィースラー(ウルリッヒ・ミューエ)は、劇作家のドライマ ン(セバスチャン・コッホ)と恋人で舞台女優のクリスタ(マルティナ・ゲデック)が反体制的であるという証拠をつかむよう命じられる。ヴィースラーは盗聴 器を通して彼らの監視を始めるが、自由な思想を持つ彼らに次第に魅せられ……

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歴史的背景のある時代を描いているけど、詳しいことを知らなくても、十分に魅せる作品だった。見ている最中には、哀しくて鼻の奥がツンとしたけど、見終えた後にはなんか温かいものが残った。

以下、ネタバレあり。
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舞台を見つめる観客、その舞台の脚本家ドライマ ンと主演女優クリスタを見つめるヴィースラー、彼らを描いた映画を見つめるあたし・・・。

オープニングでのヴィースラーの尋問&講義を見て、あたしは凄く嫌な気持ちになった。その上、ヴィースラーがドライマ ンの部屋を盗聴するに至っては、憤慨ものだった。狭い部屋の中で日がな一日、目を付けた人物を盗聴して、その報告書を作成する、・・・・・ストーカーじゃ ん、キモッ。あ!?、これは現代じゃなくて、世界が東側とか西側とかって呼ばれていた時代でしたね、ヴィースラーは国家の敵を摘発するお仕事をしてるんで すね、・・・・・ヒャ~、コォ~ワァ~イィ~!!

ヴィースラーの持つ東側思想に対しての反発心から余計に、自由な思想を持ち、それを表現したいと思うドライマ ン達を、ハラハラしながら頑張って!と応援したくなってくる。

あたしが、あ・もうダメかも ・と思うと、幾度となくヴィースラーが助ける。あたしは ホッとしつつ、あんなに遠くかけ離れていたヴィースラーとあたしの気持ちが、少しづつ近づいているのを感じ、いつの間にかあたしは、ヴィースラー目線で、 映画を観るようになっていた。いや、ヴィースラーが、あたし目線で、ドライマ ンたちを見守るように変化していた。“あたし達”は共に、ドライマンたちの続きが見たい(聴きたい・笑)と思い、彼らに感情移入していった。

      
     
The_lives_of_others55 ヴィースラーのココロに最初に芽生えたのは、自由な思想を表現した芸術に対する好奇心と‘芸術’に感動する心だった。だから、‘本’を持ち出して読んだ り、ピアノに感動したりね。階級によるものではなく、芸術の表現者を尊重する気持ちも芽生える。だから、クリスタに「あなたは素晴らしい女優だ。だか ら・・・」と助言したりね。寂しいという気持ちも芽生える。だから、「もう少し居てくれないか」と頼んだりしてね。ヴィースラーはある時を境にして、いき なり変化する分けじゃない。「許さん!」と怒りながら、次の瞬間には「今回だけは見逃してやる」と言ったりしている。そんな様子が何気に興味深かった。

最後に芽生えたのが、それは何だったのだろうか。「良心」とも違うし、「人間らしさ」というのも変だし、そういう西側っぽい基準じゃなくて、えっと、う~ ん、・・・・・「自分とは違う相手を思いやる気持ち」だろうか。だからこそ、相手の立場に立ったあの言葉、クリスタを抱き上げて言ったあの言葉が出てきた んじゃないのかなあ。

このヴィースラーの変化をどう感じるかは、観客の自由だと思う。観た人のレビューをいくつか読むと、その感じ方によって、この映画が好みか否かが分 かれているみたいだ。評判もイイけど、否の人も少なく無いのが面白い。好みの人は、「‘表現の自由’や‘芸術の力’」、「‘アイデンティティー’や‘人間 の本質’」なんかにフォーカスをしていた。どっちでもない人は、「ベルリンの壁、冷戦、といった時代」にフォーカスをしていた。否の人は、ヴィースラーの 変化が「都合良過ぎ」に感じるみたいだ。なんだか、どの意見にも頷けるものがあって、面白かった。見方によって見えるものが違うのは、当たり前だよねえ。 そんな事が許される社会のほうが、やっぱり好ましいと思った。

     
      
The_lives_of_others54_2 ドライマンの友人が彼に贈った曲「善き人のためのソナタ」、それを盗聴していたヴィースラー、ドライマンがヴィースラーに捧げた本「善き人のためのソナ タ」、そして、フロリアン監督が観客(あたし)に送った映画『善き人のためのソナタ』。贈った側は、どういう思いを込めたのだろうか、受け取った側は、ど う感じ取ったのだろうか。現実は、シュタージが盗聴してたのは事実だけど、ヴィースラーのように変化した人がいたかどうかは分らないし、そうあって欲しい という幻想に過ぎないのかもしれない。でも、“善き人”、それをこの映画に考えさせられ、感じさせられた。

あ、映画の原題は「他人の生活」。 ^^;はは
 
Lives_of_others01

 

Florian_henckel_von_donnersmarckフロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク

フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク(1973年5月2日 - )はドイツの映画監督・脚本家である。ケルン出身。身長206cm。シュレジエン発祥の貴族の家系ヘンケル・フォン・ドナースマルク家の末裔である。本名はフロリアン・マリア・ゲオルク・クリスティアン・グラーフ・ヘンケル・フォン・ドナースマルク。なお、「グラーフ(Graf)」は、姓名の一部ではなく、日本でいうところの「伯爵」にあたる爵位であるという。

ルフトハンザ・ドイツ航空に勤める父のもと、ニューヨーク、ベルリン、フランクフルト・アム・マイン、ブリュッセルで少年期を過ごす。成績優秀で、大学入学資格試験アビトゥアでは平均点1.0を獲っているという(最高点が1.0)。ロシアのサンクトペテルブルクの国立IS研究所でロシア語を2年間学び、ロシア語教師として短期間働いた後、1993年から1996年まで、英国オックスフォードで哲学、政治学および国民経済学を学ぶ。リチャード・アッテンボローに師事した後、ミュンヘン映画映像大学に入学し、短編「Dobermann」などを監督。 2000年よりシュタージを題材とした初の長編映画「善き人のためのソナタ」の製作にとりかかった。

初の長編監督作「善き人のためのソナタ」がアカデミー賞最優秀外国語映画賞を受賞。33歳にしてオスカーを手にした。


Filmpreis1_500 ウルリッヒ・ミューエ

ウルリッヒ・ミューエ(1953年6月20日 - 2007年7月22日 )は、ドイツの俳優。

ドイツ民主共和国(旧東ドイツ)のザクセン州・グリンマに、革職人の息子として生まれる。兄が工房を継いだのに対し、彼は建設関係の専門学校に進む。兵役でドイツ国家人民軍に入隊しベルリンの壁の国境警備兵をしていたが、胃潰瘍にかかり早期除隊した。1975年から4年間、ライプツィヒの演劇高等専門学校で学ぶ。卒業後はカール・マルクス・シュタットの市立劇場に所属するが、1982年に勧誘を受けて東ベルリンの国民劇場に所属。1983年にはベルリン・ドイツ劇場の団員となり、ゲーテの『エグモント』やレッシングの『フィロータス』、シェイクスピアの『ハムレット』などの舞台に出演。劇団の看板役者になった。

旧東ドイツ時代には、シュタージの監視下におかれており、当時の妻であった女優イェニー・グレルマンがミューエの行動を監視し密告していたと言われている(グレルマン本人はこれを否定)。1989年、東ドイツの共産主義支配体制が動揺すると、街頭に出て反政府デモを指導。さらには当局により上演禁止されていた作品を演じた。1990年の東西ドイツ統一後は国外にも進出し、ザルツブルク音楽祭やウィーンの舞台に立った。

世界的な知名度を獲得した矢先、兵役時代の胃潰瘍手術が遠因となって胃癌を発症、アカデミー賞授賞式出席の直後に手術を受け、旧東西ドイツ国境にほど近い町ヴァルベックで静養していたが、癌であることをマスコミに公表した翌日、54歳で急逝した。妻ズザンネ・ロタールと共演した『Nemesis』が遺作となった。ヴァルベックに埋葬された。
    

Stasi_2_2 シュタージ

シュタージ(Stasi)とは、東ドイツの秘密警察・諜報機関である国家保安省(Ministerium für Staatssicherheit、略号:MfS)の通称である。英語の「state security」に相当するドイツ語の「Staats-sicherheit」の太文字部分を読んで 「Stasi」 と呼ばれた。徹底した監視態勢で東ドイツ国民を震え上がらせるばかりでなく、西ドイツにもスパイを送り込み、東西両ドイツ国民から恐れられた。

シュタージ解散後、米国とドイツ間でエージェントの名前が記された「シュタージ・ファイル」の獲得を巡る暗闘が始まった。シュタージ・ファイルとは、一種のカードであり、情報源の項目にはエージェントの登録番号と偽名、本文の項目には提供情報のレジュメと日時が記載されていた。


Berlinermauerベルリンの壁 (画像は1986)

時として「ベルリンは東西ドイツの境界線上に位置し、ベルリンの壁は、その境界線の一部」と思われがちだが、これは誤解である。そもそも、ベルリンは全域が東ドイツの中に含まれており、西ドイツとは完全に離れていた。そして(東)ベルリンは東西ドイツ分断前からそのまま分断後も引き続いて旧東ドイツの首都であったのである(旧西ドイツの首都はボン)。

Berlinwallmap_2 つまり、東ドイツに囲まれていたベルリン市がさらに国としてのドイツの東西分断とは別に、ベルリン市としても東西に分断されたのである。 この時、分断されたベルリン市の東側部分が「旧東ドイツ領」となり、西側部分が「旧西ドイツ領」(正確には連合軍管理区域)として「西ドイツの飛び地」となった。このため西ベルリンは結果的に地形的に周りを旧東ドイツ国に囲まれる形となってしまった為、この旧西ドイツ領である西ベルリンを東ドイツから隔離して囲む形で構築されたのが「ベルリンの壁」である。壁はベルリン市西半分をぐるっと取り囲む形で建設されたのであり、東西ベルリン市の間だけに壁があったわけではない。

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Besatzungszonen_ohne_text_3 第二次世界大戦後のドイツが連合国(米・英・仏・ソ)に分割統治されることになった際、連合国は、ドイツの分割統治とは別にベルリンを分割統治したことに由来する。つまり、ドイツおよびベルリンにおいても、東(ソ連統治領域)と西(米・英・仏統治領域)に分断したのであった。

なお、東西ドイツそれぞれで国家が生まれると、東ベルリンは(東ドイツを統治していた)旧ドイツ民主共和国の首都となったが、西ベルリンは地理的に西ドイツと離れていたことから、形式上「(西ドイツを統治していた)ドイツ連邦共和国籍の人が暮らす、米・英・仏3か国の信託統治領」となり、西ドイツ領とはならなかった。そのため、ドイツ連邦共和国の航空会社であるルフトハンザの西ベルリンの空港への乗り入れは禁止されていたりしたが、事実上はドイツ連邦共和国が実効支配する飛び地の特別州であった。

また東西ベルリンは往復が可能で、通行可能な道路が数十あったほか、UバーンやSバーンなど地下鉄や近郊電車は両方を通って普通に運行されており、 1950年代には東に住んで西に出勤する者や、西に住んで東に出勤する者が数万人にのぼっていた。しかしこの往来の自由さゆえ、毎年数万から数十万人の東ドイツ国民がベルリン経由で西ドイツに大量流出した。こうして西側から東ドイツを守るため、東西ベルリンの交通を遮断しベルリンの壁が建設されることになる(実質的には、西ベルリンを封鎖する壁というより、東ドイツを外界から封鎖する壁といえる)。
   

ベルリンの壁崩壊 

ベルリンの壁崩壊(ベルリンのかべほうかい)は、1989年11月9日に突如として東ドイツ政府が、東ドイツ市民に対して旅行の自由化(実際には旅行許可書発行の大幅な規制緩和)を発表した事によって、実質的に意味を持たなくなったベルリンの壁が、東西通行の自由に歓喜した東西ベルリン市民(東ベルリンと西ベルリン)によって、ハンマー、建設機械その他によって粉砕された事件のこと。

より広義には、ベルリンの壁に象徴されている東西ドイツの自由往来の制限が緩和され、 東西ドイツの統合(1990.10.03)に至るまでの一連の経緯を指していうこともある。又、東西対立の象徴であるベルリンの壁の物理的な崩壊がニュース映像によって全世界にリアルタイムで伝えられたことなどから、「ベルリンの壁崩壊」をして東欧革命(1989)のことを指しているテキストも多い。この場合の「ベルリンの壁崩壊」は最広義の捉え方になる。このページのリンクの中にもこの意味で「ベルリンの壁崩壊」との言葉を用いている記事がある。

この事件は、東西ベルリン市民のみならず、東西ドイツ市民、世界中に「感動」と「歓喜」を生み出した。この「感動」と「歓喜」こそがその後の驚異的なスピードでの「ドイツ再統一」の原動力となった。

1989.12 ブランデンブルク門  ↓
Brandenburgertordezember1989


1990.01.01 ベルリンの壁  ↓

Berlinermauer1990

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