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2008年1月22日 (火)

274: KAFKA 迷宮の悪夢

無彩色の日常 有彩色の悪夢 

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原題 : KAFKA

監督 : スティーブン・ソダーバーグ
制作 : スチュアート・コーンフェルド
脚本 : レム・ドブス

収録時間 : 94分
制作 : 1991年 アメリカ

出演 : ジェレミー・アイアンズ , テレサ・ラッセル , アレック・ギネス , イアン・ホルム

実 在の作家フランツ・カフカが、悪夢的な恐怖の迷宮に巻き込まれてゆくという独創的なフィクション。第1次世界大戦後、1919年の混沌とした暗黒のプラ ハ。新進気鋭であるが偏執症に悩まされている作家のカフカは、友人の溺死の調査中、官僚社会の破壊を目的とするアナーキスト達に巻き込まれる。全ての謎を 解く鍵がある丘の上の“謎の城”へと向かうが、そこには人間の存在を全く無意味にする官僚社会のマッド・サイエンティスト、ムルナウ博士による恐怖の実験 室があった……allcinema

【 IMDb ★★★★★★  User Rating: 6.9/10 (2,992votes)
YAHOO! MOVIES ( ABCDF ) The Critics : none  Yahoo! Users : B/54ratings
YAHOO!JAPAN 映画  ★★★ 4点/3レビュー
映画生活 ★★ 60点/1レビュー

◆◆◆さくら70点 レンタルDVD

“カフカ”に惹かれてレンタルしてみた。舞台は1919年のプラハ、カフカ36歳。

1991年作なのにモノクロなんだぁ~と思っていたら、“城”ではカラーだったので、「なるほど・・・」と妙に納得してしまった。色鮮やかな“現実 の悪夢”が印象に残った。特に顕微鏡で拡大されていたものが何だったかが分るシーンではゾッとした。・・・・・灰色の日常、鮮やかな悪夢、そんな毎日だっ たら嫌だなあ。 。。。

全体主義の恐怖を表現しているのと同時に、カフカから見た父親との関係も表現しているんだろうなぁ・・・とボンヤリ思った。
 
 

ラストシーンが、なんか哀しい。 。。。と、あたしはボンヤリ思った。

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フランツ・カフカ wiki

Kafka フランツ・カフカ(Franz Kafka, 1883年7月3日 - 1924年6月3日)は、出生地に即せば現在のチェコの小説家。ユダヤ人の家庭に生まれ、作品はドイツ語で発表した。

1883年、プラハで高級小間物商を営むユダヤ人の家庭に生まれる。当時オーストリア・ハンガリー帝国の都市であったプラハで公用語だったのはドイツ語であり、カフカもドイツ語を母語としている。教育を受けたのもドイツ語であり、家庭は西欧的な同化ユダヤ人だったので青年期までほとんど、自らをユダヤ人と意識することはなかった。反ユダヤ暴動が起こった時もカフカの家は暴徒から「この家はドイツ人も同然だ」と見逃されている。

プラハ大学在学中に生涯の友マックス・ブロートと出会い、影響を受ける。化学のほか少年期から興味のあった美術史やドイツ文学も学ぶが、将来の職業を考えて専攻は法律学だった。1906年、法学博士号を取得した後、地方裁判所の研修を経てベーメン王立労災保険局に勤務。勤務態度は非常にまじめで、労働災害の減少を目的に書かれたイラスト入りの詳細な報告書を残している。

知人が彼について述べた言葉に「ドクトル・カフカは非常に礼儀正しい紳士で、挨拶をすれば品のいい微笑とともに穏やかな会釈を返し、部屋がノックされれば、他の人のように『どうぞ』と怒鳴るのではなく静かな声で『お入り』と言った。感じのいい人で聖人のように思えるくらいだったが、いつもガラスの壁の向こうにいるように感じた」というものがある。勤務時間は早朝から午後3時ころまでであり、午後から深夜までを創作にあてた。後には錬金術師小路に小部屋を借りて創作のための仕事場にしている。

カフカの作品に大きな影響を与えているのは父との関係である。痩身長躯で芸術家肌の性格だったカフカは、恰幅よく活動的で貧しさの中から裕福な家庭を築いた父へルマンに対して強い劣等感を持っていた。自分への無理解を嘆く言葉を連ねた非常な長文の手紙が『父への手紙』として死後出版されている。強力な家父長としての父の存在は、女性との正常な関係を持つことにも悪影響を与えた。カフカは生涯に四人の女性と親密な関係になったが、そのいずれとも結婚することはなかった。最初の交際相手フェリーツェ・バウアーとは2回婚約して2回破棄しており、その苦悩は『判決』の冒頭に「Fに」とだけ書かれた献辞から感じることができる。

カフカは肉体的劣等感のせいもあって健康には非常に気をつかい、ヒポコンデリー(=心気症)気味なところがあったが、身体は健康で、寒中水泳やハイキングなどを楽しんだ。しかし1917年に結核と診断され、様々な保養地を回る生活になる。療養滞在のほかは生涯のほとんど全てを生地プラハで過ごしたが、死の前年に半年だけベルリンに移っている。プラハに戻った1924年6月3日結核により死去した。

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