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2008年4月 5日 (土)

リアルじゃなくてリアリティ

惚れ直しました 「伊丹十三」に!

Itami01


「考える人」編集部編 2007年5月発行

 

「嘘にならない面白さって何だろうね」、その言葉が印象に残っています。 <本文 技斗・高瀬将嗣インタビューより抜粋>

教えられ たってことで言えば、リアルとリアリティの差っていうのもガツンと来た。「はなまるマーケット」っていう番組(TBS)に、ゲストがここ何日間かの行動を 自分で撮ったポラロイドで紹介するっていうコーナーがあるんですけど、伊丹さんは宴会してたときの写真を撮るのに、実際そこにあったシュークリームを「リ アリティがない」ってどかしてた。現実ってむしろウソっぽいってことがよくあるものですけど、それを完全に無くすとこれまたウソっぽい・・・・・。リアル をどうリアリティのあるものにするか・・・・・そのさじ加減が絶妙だったのが伊丹映画だと思うんです。 <本文 伊集院光インタビューより抜粋>

◆◆◆さくら 85点 図書館貸出本にて読了 

Itami02 へぇ~、「それでも僕はやってない」の周防正行監督って伊丹映画のメイキングを撮ってたんだ。へぇ~、「ALWAYS 三丁目の夕日」の山崎貴監督って伊丹映画のSFXに関わっていたんだ。

なんて事以外にも、あたしにとっては驚き満載の本だった。

『“映画俳優、デザイナー、エッセイスト、TVドキュメンタリーやCMの制作、精神分析をテーマにした雑誌「モノンクル」編集長などを経て、51歳になった1984年に映画監督デビューを果たした伊丹十三”の映画』を創るという仕事、それで満たされた本だった。

観客や評論家から見た「伊丹十三の映画」ではなく、39人の出演者やスタッフから見た「伊丹十三の映画」(つまり、映画解釈とは無縁)が、インタビューとし て収録されているのが本書だ。そのため、伊丹十三という人間が垣間見れる面白さと、伊丹映画に関わった人たち自身の人間性が垣間見れる面白さがあった。

「伊丹十三」に興味があって読んだ本で、もちろんその意味でも満足した本だったけど、なんて言うか、・・・‘仕事’の喜び、満足感、誇り、つまり仕 事の醍醐味とは何かを感じさせてくれる本だった。創作の面白さというのはどんな仕事にでもあるんだと再認識し、要求する側と要求される側のクオリティーが 高い時にその面白さは出現するんだ、と思った。

人が存在するって単独ではあり得ない、他人が捉えて初めて人は存在している事になるんだよね。これは著名人に限らない、全ての人に当てはまることだけどさ。で、伊丹十三の存在ってカッコイイなぁ~、と心底感じた本だった。

惚れ直しました、「伊丹十三」に。

そして、こういう男に心底惚れられた、妻であり主演女優であった宮本信子って、幸せな女だなぁ、と思った。


・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・

・今振り返ってみて 監督というのはいかがでしたか?

監督というのは裸になるのが商売です
 
百名に近いスタッフ、キャストの仕事を束ねているのは
最終的には監督の無意識ですね
 
だから 監督は表現の中に露呈してくる
自分の無意識的なものを大切にする義務がある
 
そして そのためには
ある段階からは言語化というブレーキを捨ててしまわねばならぬ

もちろん準備段階では最大限論理的に考えてゆきますが
撮影に入ったら理屈は捨ててしまう

この扉は赤にするか白にするか 赤にしよう
じゃあ なぜ赤なのか ということは現場では考えない

赤なんだから赤なんだという決め方を自分に許してしまう

ですから 僕は今まで いろいろな表現形式を試みてきましたけど
自分を丸ごとすくいとる仕掛けとしては
監督が一番という気がしましたね

自分全体を燃やせて実に効率がいい(笑)

 

・では 最後に観客に対してメッセージをお願いします

はい

まあ われわれこうして映画を作ったわけですが
映画というものは半分しか作ることができないわけですね

どんなに懸命に作っても 作り手に作れるのは半分までであって
残り半分は観客によって完成してもらうしかない

実はこれ サルトルが小説についていっていることなんですがね
つまり小説というものを作家は半分しか書くことはできないんだト

残り半分を完成することは読者の配慮にゆだねるしかない

では どんな読者にあてて小説を書くのか という問いに対しては
あらゆる人間がこの小説を読んだとしたら というのが応えになろうし
では読者の何に対して書くのか というなら
それは読者の自由に対して書くのだト

つまり保障済みの方法で 読者の鼻づらをとって引きまわし
自在に泣かせたり笑わせたりするために書くのではなく
読者の自由に対して書くのだ というのですね

僕は映画も全く同じだと思う

われわれは映画を半分しか作れない

そして 残りの半分の完成を観客の配慮にゆだねるため
観客の自由に対して映画を作る ということです

われわれの映画は
これからもさまざまな観客に出会い
各人の中でさまざまな形で完成されてゆくでしょう

私としては
それぞれの出会いが幸せなものであることを祈るのみです

 
 
・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・

・二〇〇七年三月 宮本信子

そして、最後に。

「カントク! 勿体ないよぅ! 死んじゃって。
本当に、勿体ないよぅ!」

これが、どうしても云いたかったことです。

 



Dvc00003

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コメント

映画におけるリアリティ構築

見る側の人が 「ああそうだよね うーん あるある」
って意識の片隅で感じる その場面への臨在感を刺激する
お膳立てが整っていることなんだな なんて 最近思う。

シュークリームのことも 宴会場という場面では 自然な
納得感より「えっ なに これ」という違和感が発生して
その写真を見てその場面へ感覚が素直に没入していくことを
妨げるからなんだろうな なんて思った

投稿: nono1 | 2008年4月 7日 (月) 05時52分

そうそう そうだよね
宴会+シュークリームには違和感がある
ノン・フィクションだったらリアリティがある・
そういう分けじゃ無いんだよね

映画の中の人物が持つ概念と
今を生きる観客が持つ概念に
共通のモノがある時
リアリティが生まれるんだと感じる

だから 映画監督は
“人間が持つ普遍的な特質”や“今の時代の空気”を取り込む事を
多種多様な観客に
リアリティを感じさせるための 手法として使うんだと思う

もちろん
テーマを表現するための 手法でもあると思うけどね

映画におけるリアリティ構築が上手くいっている時に
スクリーンに映されるのが
異国の地でも 過去でも 未来でも ファンタジーでも
そこに生きる人のココロに入っていける・・・

でも これって微妙なんだよね
あたしがウソっぽいなぁ と冷めて見てる隣で
涙をポロポロ流しながら見てる人が居たりするんだから

そういう時
世間の評判と自分の感覚がズレてる時
自分のココロの中を覗いて見ると とっても面白い発見がある
・・・・・時がある(笑) ^^;
 
 

投稿: さくらスイッチ | 2008年4月 8日 (火) 18時03分

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