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2008年8月19日 (火)

『調査報告 日本軍と阿片』

被害者がいれば加害者がいる 加害者がいれば被害者がいる

それらが混沌として存在する「戦争」という「悪」

それを支える 冷静で持続する「狂気」

Burma_thailand_railway
‘Hospital ward, Thailand Railway’ by Murray Griffin, 1945-46

 

8月15日を挟んで、戦争関連のドキュメンタリーや特集がTV放映されているので、何本かを録画してポツポツと見ている。

  • テレビ朝日テレメンタリー『最後の巡礼~元陸軍通訳の終わらない戦後』~2008年8月11日放送~ 。タイとビルマ(ミャンマー)を結ぶ“泰緬鉄道”建設工事で陸軍通訳をしていた永瀬隆さんのドキュメンタリー。
  • NHKスペシャル『果てなき消耗戦 証言記録 レイテ決戦』~2008年8月15日放送~ 。フィリピン中央部レイテ島で、太平洋戦争の一大転換点となる決戦が行われた。その悲惨な戦場を生き抜いた人々が今回、重い口を開いた。
  • 日本テレビ NEWS リアルタイム特集 ‘名古屋空襲(8/12)’、‘三菱軍需工場への爆撃(8/13)’、‘沖縄戦(8/14)’、‘沖縄集団自決(8/15)’・・・

上記の一つ、NHKスペシャル『調査報告 日本軍と阿片』の雑感と覚書が下記。

Kesi

NHKスペシャル 『調査報告 日本軍と阿片』

Kesi_b昭 和12年(1937年)に勃発した日中戦争―。広大な中国で、日本は最大100万もの兵力を投入し、8年に渡って戦争を続けた。武力による戦闘のみなら ず、物資の争奪戦、ひいては金融・通貨面でも激しい闘いを繰り広げた。「戦争はどのようにして賄われたのかー」。最新の研究や資料の発掘によって、これま で全貌が明らかにされてこなかった中国戦線の「戦争経済」の様々な側面が浮かび上がっている。

その一つとして注目されているのが、当時、金と同様の価値があるとされた阿片(アヘン)である。19世紀以降、イギリスなど欧州列強は、中国やアジ アの国々に阿片を蔓延させ、植民地経営を阿片によって行った。アヘンの国際的規制が強化される中、阿片に“遅れて”乗りだしていった日本・・・

 

・・・・・ 雑感 ・・・・・

1945年8月15日のポツダム宣言受諾、玉音放送を経て、日本は太平洋戦争の敗戦国になった。それから63年が経過した今に至るまで、日本は戦争を直接経験していない。反戦と平和を唱える日本人は少なく無いが、その思いを支えるのは、敗戦の色濃くなった戦地における悲惨な経験や、空襲や原爆投下などの悲惨な経験などの、‘被害者’としての情報だ。

太平洋戦争(1941 - 1945年)のきっかけは日中戦争(1937 - 1945年)だが、ここには‘加害者’としての日本人の姿がある。占領地で当事の人々に行った非道な行為を認識する事は、それを繰り返さないために必要だし、そこに今生きる人々の気持ちの理解のためにも必要だ。戦時中には、被害者ばかりでなく、加害者になる事もあるという当たり前の事に恐怖を感じた。あたしは被害者になりたくないが、加害者にも絶対になりたくない。

加害国としての過去を顧みれる詳しい情報が日本人に広く知られる事は、将来自分を含む日本人が戦争の当事者にならないための抑止力として有効だと思うが、資料や証言が少ないという事や、被害事実より加害事実を晒す事の方が日本人の感情を逆撫でするという事からだけでなく、日本の戦争責任に対する責任の取り方と絡んで、色々と難しいんだろうなあ。 。。

 

・・・・・ 内容の覚書 ・・・・・

痛みを和らげる成分があるためケシは医療用にも使われる。青い実から出来る液体を乾燥させたものがアヘン。大量のアヘンが採取できるこの品種は、日中戦争の前の年、日本で開発された。強い麻薬性を持つアヘンを利用して、日本は戦争をしていた。

 

◆国際連盟の機関と関係を停止し世界から完全孤立した日本

・国際連盟脱退

「日本はこの条件を到底受け入れることはできない!」。昭和8年(1933年)、日本は満州国(1932 - 45年)が承認されなかった事を不服として国際連盟を脱退していた。しかし、完全な孤立を避けたいと、その後も重要な委員会に協力を続けていた。その一つが国際連盟アヘン諮問委員会。アヘン戦争(1840 - 42年)以後、植民地支配にアヘンを利用してきたヨーロッパの列強国では非人道的だという声が高まり、国際的な規制へと舵をきっていた。アヘンで不当な利益を得る国を、厳しく監視していた。

・日本外交と中国外交

昭和13年6月(1938年)、日本の外交にとって大きな打撃となった第23回アヘン諮問委員会が開かれた。傍聴席は各国記者団や政府委員らで満員となった。日本の外務省は国際的な孤立を避けたいと、エースの天羽英二を代表として送り込んだ。天羽は、日本軍の占領地では麻薬対策がきちんととられていると、日本の立場を主張した。「日本人による天津での麻薬密造がたびたび問題となっているが、日本当局の取り締まりによって、現在では麻薬密造がなくなったと断言できる」。それに対し、中国代表の胡世澤は、激しく反論した。「南京が日本軍に占領されて以来、アヘンや麻薬が公然と販売されている。日本軍は長期的な破壊力をもつ麻薬と軍事力を組み合わせて、中国を侵略している」。

日中戦争前まではアヘンを野放しにしていると非難されているのは中国だった。国民政府の財源の一部も、アヘンによって賄われていたからである。蒋介石はアヘンの根絶を宣言し、日本との違いを内外にアピールした。中国は、アヘン諮問委員会で上映するため、日本のアヘン戦争を糾弾する映画も準備し、アヘン諮問委員を含む200人の前で上映した。日本との全面戦争になったため、中国は他国の支援を必要としていたので、アヘンの問題を議題としたのだ。世界の多くの国がアヘンに反対していたから、中国への同情は日本への圧力になると。

アメリカは、日本の占領地からの麻薬の流出とアヘンの生産が、日本軍の拡大と結びついていると警戒していた。日本は密輸したアヘンの一部をモルヒネやヘロインに加工して、それを中国やアメリカの西海岸へ密輸するようになっていた。麻薬で得た金を戦争に使うことは正当化できないし、日本は自らの立場をさらに悪くしたのだ。

・経済制裁発動

その年(昭和13年/1938年)の9月、中国は国際連盟に対し、日本の中国侵略を提訴。経済制裁を発動するよう求めた。それを受け連盟は、各国に制裁を発動する権限を与えた。天羽代表は日記に、外交努力が遂に行き詰ったと記している。「理事会 16条(経済制裁)ニ適用シ得ルト決定 行ク所迄来レリ 連盟ト分ルル時来レリ」。日本政府は、国際連盟に対し全ての機関との協力停止を通達。日本は完全に世界から孤立した。戦後天羽は、軍部を中心となって連盟との協力を断つべしとの声が高まったと回想している。

 

◆アヘンが軍費獲得の手段として深く浸透した日本軍

・軍費拡大と軍費獲得

日中戦争の拡大は続いていた。日本軍の占領地には、次々に傀儡政府が作られた。軍事費の増大にまったく歯止めが利かず、国家予算の7割を越す異常事態となっていた。国際的なアヘン規制の枠組みから外れた日本、日本軍のアヘンへの依存が加速していた。取材を続ける中、陸軍中央の了解のもと、アヘンで兵器を購入した、という事実が浮かび上がってきた。「陸軍省大日記」、この中に大規模なアヘン売買が記されていた。大量のアヘンをどう資金に変えるのか、軍中央は現地軍との間でやりとりを交わしていた。軍中央が関与したアヘン売買は、およそ33トン。関東軍を通じ満州国へと売却、現在の末端価格に換算すると110億円相当の量であった。その資金は、北京にあった傀儡政権の兵器購入にあてられていた。

日本軍は戦費獲得のためには手段を選ばなくなっていた。最前線の証言者がいた、日本軍第39師団232連隊の情報将校だ。部隊では補給が常に欠乏し、民間人からの略奪で凌いでいたという。敵からの情報をとるにも、アヘンに頼るしかなかった。「密偵を、密偵というのは中国人を教育してスパイに使うわけですよね。スパイに使っても、当時日本人が使ったのは軍票(軍事紙幣)といって軍隊だけに通用する札です。それは、中国人には価値がないんですよ。だから敵陣へ行かす時には、アヘンが一番有効なんですよ」。軍票と呼ばれる、物資調達のための軍事紙幣は、前線では紙屑同然だったという。頼りになるのは、アヘンだった。「アヘンをどうやって手に入れるかというと、一般の人には手に入りませんよ。県庁に寄って、いわゆる我々日本が強制的に作らせた偽県庁(傀儡政権の県庁)ですから、アヘンをよこせと言って、毎月なんぼと持ってきて、足らんと時また要求して、死活問題だったんですよ」。陸軍の中央から最前線の兵士まで、アヘンは深く浸透していた。

・日本軍の政策によりアヘンが蔓延

日本の占領地が大都市にも拡大するにつれ、アヘンも広く蔓延していった。上海の超高層マンションの谷間の取り壊しを待つばかりの一角に、かつてアヘン窟があった場所が残っていた。それまで中国国民政府によってとられていたアヘンの全面禁止政策、日本軍が上海を占領して以降、中毒者救済のためだとして政策を転換した。「若い頃は見ました、この界隈がそうでした。アヘンを吸う人は、みんなこの町へやってくる。アヘンだけでなく、ヘロインを吸う人もいました」。

上海以外に置かれたアメリカの大使館や領事館からも、本国に情報が上げられていた。「南京ではヘロインは広がっていなかったが、推定では40万の人口のうち5万人がヘロイン中毒になっている。天津の日本人居留地内のアヘン窟は中国の支配地へも広がり、少なく見積もっても500軒ある(1938年11月)」。

 

◆巨額なアヘンマネーがどこに流れていたか

・民間日本人のアヘン商社“宏済善堂”

民間日本人のアヘン商社“宏済善堂”の活動の目的は、戦争期間中アヘン業務を日本の把握下に置くことだった。その商社の組織構成は、日本人理長 里見甫(中国名 李鳴)の下に、副理事長、理事と8人の中国人アヘン商人の大物が並んでいる。昭和16年(1941年)のアヘンの売り上げは、当事南京にあった傀儡政権の国家予算に匹敵する3億元ほどもあった。陸軍は国際社会の風当たりが厳しくなる中、自分達がアヘンに関わっている事が知られないよう、民間人の里見を表に立てたのだ。

上海のアメリカ領事から財務省に送られた報告書には、“宏済善堂”とアヘンマネーの動きが追跡されている。そして、日本陸軍“特務部”の名前もある。“特務部”とは中国の日本占領地に設けられ、現地の傀儡政権の育成指導などにあたった。アメリカの関心はただ一点だけ、“宏済善堂”の巨額アヘンマネーがどこに流れているのか・・・。

「日本当局は、中国における麻薬政策に対する国際的な批判がこれ以上高まるのを防ぐため、アヘン売買を“宏済善堂”と呼ばれる‘慈善団体’の名前で偽装する予定です。この組織はアヘン商人で構成されており、副会長に日本人が選ばれる予定です」と、“宏済善堂”が設立される3ヶ月も前に、アメリカ財務省に報告があがっている。

日本の国家機関“興亜院”

アメリカが宏済善堂のアヘンマネーの全貌を把握したのは、戦後のことだった。「アヘンの収益は最初は陸軍特務部に、南京の国民政府ができてからは南京政府に金を流した。“興亜院”、ここが蒙きょうや満州国など生産地から集められるアヘンの年間総生産を管理した。大消費地である北京や上海への配給を仕切ったのも“興亜院”だった。アヘン流通の中心にある“興亜院”は、昭和13年(1938年)占領地経営のために設立され、れっきとした日本の国家機関である。

・大東亜共栄圏確立の鍵はアヘン政策

興亜院主催の“支那阿片需給会議”が、昭和17年(1942年)8月、東条内閣の時に開かれている。会議には、陸軍を筆頭に日本の関係省庁、満州国、全ての植民地行政と占領地行政に携わる官僚達が、一同に会していた。太平洋戦争が激しさを増す中、阿片の流通にも支障がでるため、日本の植民地、占領地の中で、自給自足する計画が練られていた。「大東亜共栄圏確立ノ鍵ハ阿片政策」。

日本を盟主としてアジアの共存共栄を図るというスローガン“大東亜共栄圏”、そのもとで叫ばれたのはアヘン増産の掛け声だった。

 

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<上記会議が開かれた1942年の日本>

大東亜共栄圏へ行こう!  『家の光』昭和17年7月号の付録「大東亜の仲良し国めぐり」

「ヨイコドモ(良い子供)」に告ぐ(東条英機)

真珠湾攻撃・プロパガンダアニメ映画『桃太郎の海鷲』 制作

真珠湾攻撃・プロパガンダ特撮映画『ハワイ・マレー沖海戦』 公開

Daitouakyoueiken_2 ・右画像は大東亜地図を示した昭和17年発行の10銭切手

・下方にある「日本地図」!

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◆アヘンとの関係を隠蔽した軍人や政治家たち

・避難するにも頼りはアヘン

昭和20年(1945年)8月9日、突如100万を越すソビエトの大軍が国境を越えて満州国に侵入した。中国における日本の戦争の終わりの始まりだった。混乱の最中、逃げる日本軍人が頼ったのもアヘンだった。「もう金は仕えない、アヘンだと。ようするに避難するために、アヘンがなければ行動もできないし」。

・“宏済善堂”を止めるきかけは学生デモ

昭和18年(1943年)末、南京や上海で学生による反アヘンデモが起こり、“宏済善堂”に膨大な損失が生じていた。“宏済善堂”から買っていた数多くのアヘン窟が火を付けられ壊された。この事が“宏済善堂”を止めるきかけになった。

・隠蔽

関東軍司令部が最後に行ったのは、大量のアヘンの隠蔽だった。「やがてソ連軍が新京に進軍してくるに違いない。そのとき関東軍司令部に阿片の山があったことが明るみに出たら、それこそ日本軍は弁明の余地がなく非常な恥辱となるであろう。徹夜で穴を掘り、夜明けまでに大部分の阿片を埋めてしまった」。戦後、日本軍とアヘンの関わりが始めて白日のもとにさらされた極東軍事裁判。A級戦犯として死刑になった東條英機、そして板垣征四郎らの起訴理由の中に、アヘンも数えられた。

「国際条約違反は分かっていました。しかし我々の戦争は、アヘン無しではできなかった」。

戦後63年、アヘンに関わった多くの軍人や政治家たちは過去を隠蔽し、何も語らぬまま戦後を生きた。日本軍とアヘンとの関わりは、私たちの記憶に残らなかった。

*岸信介(安倍晋太郎の祖父)

 

◆地図

JAPANESE EMPIRE AUG 1942 Map
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太平洋戦争地図
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「我々の戦争は アヘン無しではできなかった」Kesi_c 

◆余談 アヘンの原料ケシ&マリファナの原料アサ(大麻)の平和利用 ^^♪

・七味唐辛子に含まれる“ケシの実”は、発芽しないように過熱処理されたケシの種(輸入品)だ。

・新潟麦酒の“麻物語”は、消化吸収に優れたタンパク質と食物繊維を豊富に含む“麻の実”を使用し、エコロジカルで健康的なビールとして販売している。

・大麻の茎からは丈夫な繊維がとれる。日本でも戦前は、麻繊維の原料として大量に栽培されていた。

・自然派化粧品ザ・ボディショップのヘンプシリーズは、大麻種子オイルを使用している。

注1: アヘンはケシの未熟果に傷をつけると出てくる乳液から作られ、食用の種子は熟し切った実から採られ、その種子には既にアヘンとなる成分は含まれない。鑑賞用のヒナゲシには、麻薬成分は含まれないので、栽培しても問題はない。

注2: 現在の日本では、ケシの栽培はあへん法で、大麻の栽培は大麻取締法で禁止されている。

注3: 日本でも1982年から、許可を受けて栃木で麻布用の大麻を栽培している。おまけに「那須高原 大麻博物館」なんて物凄いモノもある。産業大麻には、陶酔成分が生成されないよう改良された品種が用いられる。

Hemp01

★戦争ドキュメンタリー

 

 

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