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2008年9月 3日 (水)

『アリラン特攻兵 日本と朝鮮半島の狭間で』

日本の特攻隊に配された朝鮮人の若者たち
日本が負ければ 祖国朝鮮は解放される
にもかかわらず 何故死ななければならないのか
朝鮮人特攻兵たちは 命の意味を問い続けた・・・
「俺は天皇のために死ぬ事は出来ない」

8月15日 
ソウルでは日本からの解放を祝う式典
第63周年光復節が 盛大に行われていた
韓国のために戦った功績者が称えられる一方
日本のために死んだ特効兵に 関心が払われる事はない

Nnn

日テレ NNNドキュメント’08 『シリーズ・戦争の記憶(3) アリラン特攻兵 日本と朝鮮半島の狭間で』の覚書。

番組フル動画24分48秒


◆“アリラン特攻兵”

太平洋戦争末期、航空機ごと敵艦に突っ込む「航空特攻」による戦死者は約3900人に上った。そこには17人の朝鮮人兵士が含まれていた。今年(2008年)5月、沖縄で特攻死したとされている日本陸軍士官学校卒業のエリート、高山昇こと崔定根(チェジョングン)さんの弟(81歳)が来日した。戦後、朝鮮人特攻兵とその遺族は“日本軍に協力した親日派”として厳しい視線にさらされてきた。「兄は何を想い、死地に臨んだのか?」届かなかった戦死通知、婚約者との恋愛秘話、当時の兄を知る男性との出会いなどを通して“アリラン特攻兵”の実像に迫る。

◆韓国で2005年に親日派が処罰される法律が制定された

韓国では歴史の見直しが進み、三年前には日本の侵略戦争への協力者も、親日派と処罰される法律が制定された。複雑な思いで8月15日を迎えたチェチャングンさん。彼は日本軍の将校だった兄のため、政府機関の調査を受けている。「俺は天皇のためには死ねない、自分は民族が違うと兄は言っていました。日本に忠誠を尽くして死んだとの見方は間違っていると思います」。

◆2000年に石川県に建立された“大東亜聖戦大碑”

Daitouaseisennhi_5 石川県金沢市、処罰される親日行為があったのか、チャングンさんが調査をを受けるきっかけとなった石碑がここにある。その2000年に石川護国神社に建立された“大東亜聖戦大碑”で、戦争は天皇のための、そしてアジア解放のための聖戦だったと称えている。

大東亜
おほみいくさは
万世の
歴史を照らす
かがみなりけり

草地貞吾

この石碑に「俺は天皇のために死ねない」と語った兄の崔定根始め、8人の朝鮮人の名が、多くの日本人の名と共に刻まれている。遺族への連絡はなかった。韓国政府はこの石碑に崔定根(チェジョングン)の名があることから、遺族のチャングンさんを調査した。「驚いています。ビックリしています。兄も驚いていると思います。私は兄の考え方をよく知っていますから。この石碑に名前が刻まれて不名誉だと考えているでしょう。名前を削除してほしいと願っているでしょう。この刻銘には賛成していないはずです」。

◆1995年に沖縄県に建立された“平和の礎”

年間600万人の観光客が訪れる沖縄の美しいビーチに激戦の面影は無いが、朝鮮人特攻兵の多くは沖縄の海に散っていった。1995年に建立された沖縄戦跡国定公園にある沖縄戦戦没者24万人の名を刻む“平和の礎”には、朝鮮半島出身者の氏名も刻銘されている。しかし、チェジョングンの名前はコースンと誤って刻まれていた。日本人として刻銘されている朝鮮人特攻兵もいる。沖縄県は刻銘当事の調査が間違っていたもので、修正には遺族の申請が必要としている。

◆生涯独身を貫いた朝鮮人特攻兵の日本人婚約者

Hide2 チェジョングンを良く知る人物が千葉市に住んでいる。高橋せつ子さん(77)だ。亡くなった姉がチェジョングンの婚約者だった。姉の梅沢ひで(右画像)は、飛行場の医務室で働いていた昭和19年に背の高い将校と知り合った。高山昇ことチェジョングンだ。ひでが書きかけの書類を清書したことで二人の恋が始まった。高橋せつ子さんは言う「やっぱり魅力的な方でしたよね。私と母でお給仕をするととても喜んで、御礼をちゃんとね、これは美味しかったとか必ずおっしゃるんですよ。人柄がそういう、相手の立場が分かる、そういう感じが一番好きでしたね」。朝鮮人への差別が根深い時代だったが、ひでの気持ちが揺らぐ事はなかった。昭和19年11月、二人は結婚を近い合った。そのわずか3ヵ月後、チェジョングンは帰らぬ人となったが、ひでの想いは生涯変わらなかったという。「やっぱり気持ち・・・本当に心と心で結ばれたんじゃないかと思いますね」。17年前、ひでがチェジョングンの兄に宛てた手紙(AIR MAIL)がある。兄は既に亡くなっていたために届くことは無かったが、切々とした想いが綴られている。

思えば懐かしさで泪がこぼれます。弟様は日本の為にそう烈な戦死をなさいました。私は弟様の死の傷ましさに、悲しみの泪に暮れていました。異国の為に散ってしまった若い命が、たまらなく悲しかったのです。弟様は本当に立派なお方でした。誇り高く堂々としていらっしゃいました。お兄様にお返事を頂けると思っておりませんけど、私は来世はあの方とご一緒に幸せになりたいと思います。お兄様、人の心の中に国境は無いのです。

3年前の冬、ひではひっそりと息をひきとった。ひでの遺言どおり、遺骨は愛する人が散った沖縄の海にまかれた。

◆祖国を思いながら異国に散った朝鮮人特攻兵を巡るジレンマと真実

Tye チェジョングン(右画像)は敵艦への爆撃を任務としていたとかかわらず、特攻で死んだとされている。その根拠は、これから敵艦に突っ込むと無線連絡があったとする証言だ。ところが軍の記録には、チェジョングンの無線は不能の記載されている。いまとなっては確かめる術はない。

兄が戦死する二週間前、日本で面会した弟チャングンさん。この時兄は戦争を行き抜く覚悟を語っていた。「家族のためにも婚約者のためにも兄は必ず生きて帰ってくると、絶対に死なない自信があると兄はいっていました。家族には生きて帰ると伝えてほしいと言っていました」。

63年前、兄が飛び立っていった鹿児島の万世飛行場跡地、当事を忍ばせるのは滑走路の跡に作られた長い道だけだ。兄は日本の軍人として死んだ、そして、特攻で死んだとされた事で陸軍少佐となった。しかし、日本からは補償はおろか戦死の報せさえ届かなかった。祖国では処罰対象の親日派ではないかとして調べが続いている。兄は家族のためにも生きて帰ってくると語っていた、婚約者のためにも絶対に死なないと語っていた。

「63年振りに、知覧平和記念会館で兄貴の生前の写真を見て、本当に感慨無量でした。涙を流すほど悲しかったです。昔を思わざるを得ないんですが、私の兄貴が確実に戦死だという事を、今さら確認しました。真実か真実でないかという事を、そりゃ兄貴が恨んでいるんでないかと思っています。私は、真実が欲しいんです」。

◆彼らの本当の思いとは・・・

63年前、日本の軍人として散っていった朝鮮半島の若者たちがいた。ある者は望郷の念を歌に込め、ある者は民族の誇りを胸に秘め操縦席に乗り込んだ。そして今、ある者の慰霊碑は故郷に打ち捨てられ、ある者は戦争は聖なる戦いだったと称える碑に名前が刻まれている。朝鮮人特攻兵を巡る真実、彼らの本当の思いは歴史に記録されないまま、日本と朝鮮半島の狭間に深く埋もれている。

★戦争ドキュメンタリー

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