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2009年3月 5日 (木)

390: おくりびと

夢破れて 山河あり

Okuribito01

監督:滝田洋二郎
脚本:小山薫堂
音楽:久石譲
撮影:浜田毅
照明:高屋齋
録音:尾崎聡
美術:小川富美夫
編集:川島章正
衣装監修:北村勝彦

キャスト:本木雅弘 広末涼子 山崎努 余貴美子 杉本哲太 吉行和子 笹野高史 峰岸徹 山田辰夫 

製作:2008年 日本
日本公開:2008年9月13日
上映時間:2時間10分

本木雅弘が、1996年に青木新門・著『納棺夫日記』を読んで感銘を受け、青木新門宅を自ら訪れ、映画化の許可を得た。その後、脚本を青木に見せる と、舞台・ロケ地が富山ではなく、山形になっていたことや、物語の結末の相違などから、映画化を拒否される。本木はその後、何度も青木宅を訪れたが、映画 化は許されなかった。「やるなら、全く別の作品としてやってほしい」との青木の意向を受け、『おくりびと』というタイトルで、『納棺夫日記』とは全く別の 作品として映画化。wiki

楽団の解散でチェロ奏者の夢をあきらめ、故郷の山形に帰ってきた大悟(本木雅弘)は好条件の求人広告を見つける。面接に向かうと社長の佐々木(山崎努)に即採用されるが、業務内容は遺体を棺に収める仕事。当初は戸惑っていた大悟だったが・・・シネマトゥデイ

IMDb★★★★★★★★☆ 8.2/10 265votes
YAHOO! MOVIES】 -
YAHOO!JAPAN 映画
★★★★ 4.45点/1,533人
映画生活
★★★ 84点/422人

◆◆◆さくら 80点 劇場鑑賞(ピカデリー)

誘われて行って来ました『おくりびと』。そうです、アカデミー賞効果が波及した結果です(笑)。受賞後の週末に見に行ったせいか、映画館のチケット売り場には長蛇の列で、客席は満杯だった。でもって映画の内容的に当然だけど、かなり年配の方が多かった。

「死」を生きている観客に伝えるために、色々なエピソードが時に笑いを交えながら綴られていく。その中で山崎努が演じるNKエージェント社長の佐々木は、台詞が無いときでさえ目を惹く独特の存在感を醸し出していた。広末涼子の薄っぺらな役柄(←あくまで主観)妻の美香も、彼女自身が持つ普通でない普通っぽさによって、浮いた存在にならず場面に馴染んでいた。(モックンの実年齢43歳、ヒロスエの実年齢28歳だけど、その年齢差を感じさせなかったのは、ある意味スゴイ。モックンが若作りしたわけでも、ヒロスエが老け作りしたわけでも無いのにねぇ。)脇を固める如何にもな登場人物も、余貴美子、杉本哲太、吉行和子、笹野高史、山田辰夫らの演技力によって、映画で切り取られた以外の見えない時間を感じさせる厚みを持った人物になっており、その他大勢に埋もれてしまわない強い印象を残した。この作品の公開後に亡くなった峰岸徹に至っては、その風貌だけで人生の重さを語っていた。

そして何といっても、本木雅弘が演じる大悟の所作は息を呑むほど美しく、見ているこちらの背筋がピンと伸びる気がした。最初はスクリーンに映る「納棺の儀」を好奇心で見つめていたのに、大悟の心の変化と共にだんだんと厳粛に受け止めるようになっていった。Okuribito11時どき川べりでチェロを弾くイケメン主人公ではあるけど、‘言えずに一人で背負ってしまう損な性格’なのが、彼に人間的な奥行きを与えていた。・・・見方を変えれば彼の性格は、伝えた方が良いことを伝えられない軟弱な性格、言わずに我を通す我儘な性格ともいえるけど、そう受け取らせないのは、強引な展開を陳腐にすることなく、自然に人生の深遠と儚さを感じさせる、この映画が持つ世界観のなせる業なのかもしれない。

この映画は庄内平野(山形県酒田市)が舞台になっている。遠くに見える雪化粧した鳥海山、流れる月光川、仰ぎ見る広い空、大悟と美香が住む三方角地の古びた元喫茶店&スナック、NKのレトロな事務所と緑溢れる社長の住処、それらがこの映画をより魅力的に見せていた。風景や建物といった背景も、現実と虚構の狭間にある映画にとって、そのテーマを伝えるための重要な役者なんだなぁ・・・なんてつくづく思った。この映画の中で、登場人物たちが激するシーンがいくつかあるけど、いくら感情を爆発させようと、あたしは熱さを感じず、何だか淡々と受け止めた。それは、人間の営みを吸収して霧散させてしまうような力を、背景が持っていたからじゃないかと思っている。背景さえも、この映画のテーマ「生と死」を上手く体現している様に感じた。

主人公・大悟の姿を通して、生きていればやり直せる、再出発のチャンスがある、人間は変わっていくし変われるんだ、という事が伝わってきた。生きていればこそ、だ。そして、今の日本人にとっては非日常な死人を見ることで、「死」というのは亡くなった本人だけに属するのではなく、残された生きている人にこそ属するのだと再認識した。「死」を通して「生」を見せてくれる、しみじみした映画だった。

 

焼き白子、美味しそうだったなぁ。 。。

 

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コメント

おー アカデミー賞効果ですな
数々の受賞 きっといい映画なんだね

>しみじみした映画だった。


さくらさんの素敵な評論で
nono1の 見に行こうリストに入ったよ
o(*^▽^*)o

投稿: nono1 | 2009年3月 6日 (金) 05時16分

この映画 随所に拘りを感じる割に
ストーリーの完成度は高くない
にもかかわらず
な~んか良い印象だけが残った

アカデミー賞効果で
アバタmoエクボ状態なのかも? ┐('~`;)┌

投稿: さくらスイッチ | 2009年3月 6日 (金) 06時06分

さくらさん、お元気ですか。

予告編で、広末妻=幼妻、のあほくささに辟易。いくら現代の日本であろうと。。こんなアホがいるわけないだろう、と、観にいかなかった。

いなかでも今ではセレモにすべておまかせ、だけど、昭和30年頃までは、自宅で全てやっていたはずだ。曾婆さんが死んだとき、母らが身体を拭いて白い衣装を着せていた。

納棺師、というのがあるのを知らなかったが戦後まで田舎では自分らでやっていた。わらぶき屋根を葺くようなもの。日常仕事の一部。

でも今では廃れてしまったからこういう教育映画もあってもいいのか。わたしが4歳ころだったか、近所の爺さんが危篤になりハァハァ苦しげに息をしている爺さんを近所の一同が死ぬまで見送っていた(わたしは、それ以後しばらく死が怖く、夜、眠れない日が続いた)。

投稿: 古井戸 | 2009年5月 9日 (土) 06時51分

お久しぶりです古井戸さん。コメント、ありがとうございます。あたしは、そこそこ元気です。

映画自体は評判が良いですが、広末の演技は男女問わず評判が悪いですね。あたしは、彼女の演技に対して、さして嫌悪感を抱かないので、結構不思議に思っています。でも、アホクサイという表現には、ちょっと笑ってしまいました。否定はしません。あたしは、そのアホクササを、好ましく感じています。

あたしの父は病院で亡くなり、臨終の際には、幸い立ち会う事が出来ました。その後のお通夜、お葬式、そして七回忌までは自宅で行いました。実家は築20年ほどですが、庭に面した和室に仏間が設えられ、和室の間にあるふすまを取り払うと24畳になる田舎造りの間取りになっています。しかし今では、自宅で法要を行わなくなりました。時代の流れですね。

身近に「死」が無い今、「死」が特別なものでない納棺師を主人公に据えた本作には、やはり何か特別な感慨を抱きました。「死」は怖いけど、すごく普通の事なんですよね。 。。

投稿: さくらスイッチ | 2009年5月 9日 (土) 19時31分

この原作者は、この脚本による映画化を拒否したため本木が独自のストーリでつくったようですね。
森敦『月山』の地元でしょうか、この映画を撮った場所は。日本全国どこでもひとの死に対するふるまいは同じだったのだ、とおもいます、これまでは。。。

私が脚本家なら、この映画、セリフ一つ無く、音楽も出来だけ少なく、自然音だけでたんたんと進むストーリにします。ちょうど、新藤兼人の『裸の島』のごとく(『裸の島』の葬式もこの映画のひとつのピークをなすところです。次男=小学校1年くらい?が死ぬ。さくらさん、見ましたか?まだだったら是非見て欲しいな)

この映画はまだ観ていないのでホントの評価は出来ないが、予告編やハナシに聴く限りでは、つまらないとおもっていた『お葬式』(伊丹監督)がなんだか、いい映画に思えてきます。

投稿: 古井戸 | 2009年5月13日 (水) 08時16分

連発失礼。おもいだしたことがあります。
この映画は海外で評価されたらしいが、米国では特に田舎で、この映画と同じように死者を清めて埋葬するというのは家族が行っています。ニッポンと同じように最近はすべて業者任せなんだろうか。

映画、プレースインザハート(大不況時代のアメリカ南部)では、殺された夫を妻が清めている場面があったとおもいます。田舎では今でも自宅で家族がやっているんだろうか?

投稿: 古井戸 | 2009年5月13日 (水) 08時19分

映画を見た頃に、記事を流し読みしただけなので、うろ覚えですが・・・

本木自身は当初、もっとアートフィルムのような構成を考えていたそうです。でも、なるべく多くの人に知って貰いたい世界だと考え、もっと一般に受け入れられるようにと、電波媒体作家の小山薫堂に脚本を頼んでいます。原作には無い軽妙なシーンが随所に盛り込まれているのは、脚本家の筆に拠るものです。

舞台地が原作と違うのも、原作者の意に反したようです。しかし監督は、庄内平野の風景がとてもイメージに近いという事で、当初から決めていたそうです。

『納棺夫日記』は、アカデミー賞効果で、あたしが利用している図書館でも大人気です。今でも予約人数が100人を超えています。おそらく、3ヶ月近くは待たないと借りられません。

...........................

あたしも、他国でのお葬式・・・というか式に到るまでも含めて、どうしてるのかな~、なんてこの映画を見た後に思いました。

あたしは未見ですが、アメリカドラマ『シックス・フィート・アンダー』(ロス郊外の葬儀屋のお話)では、業者が死体をモノのように扱うシーンが出てくるそうです。 ^^;

投稿: さくらスイッチ | 2009年5月14日 (木) 22時47分

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