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2009年4月12日 (日)

400: サラエボの花

女性監督による女性目線の 戦闘シーンが無い戦争映画

そして それを超えた愛についての物語・・・・・

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英題: GRBAVICA

監督/脚本: ヤスミラ・ジュバニッチ
製作: バーバラ・アルバート / ダミル・イブラヒモヴィッチ / ブルノ・ワグナー
撮影: クリスティーン・A・マイヤー
衣装: レイラ・ホジッチ
編集: ニキ・モスベック
キャスト: ミリャナ・カラノヴィッチ ルナ・ミヨヴィッチ レオン・ルチェフ ケナン・チャティチ

製作: 2006年 ボスニア・ヘルツェゴヴィナ/オーストリア/ドイツ/クロアチア
上映時間: 95分

12歳の娘サラ(ルナ・ミヨヴィッチ)とつましく暮らすエスマ(ミリャナ・カラノヴィッチ)は、修学旅行を楽しみにするサラのため旅費の調達に奔走している。そんな中、戦死者の遺児は修学旅行費が免除されると知ったサラは、戦死したと聞かされていた父親の戦死証明書を学校へ提出するようエスマに提案するが……シネマトゥデイ

    * ベルリン国際映画祭 金熊賞 / エキュメニカル賞 / 平和映画賞
    * コズモラマ・トロンハイム国際映画祭 コスモラマ賞
    * ブリュッセル・ヨーロッパ映画祭 カンヴァステレビ作品賞 / 主演女優賞
    * エルサレム映画祭 スピリット・オブ・フリーダム賞
    * レイキャビク国際映画祭 ディスカバリー賞
    * AFI映画祭 長編外国映画部門審査員大賞
    * テッサロニキ国際映画祭 女性と平等賞
    * ヨーロッパ・テンプルトン映画賞

IMDb★★★★★★★☆☆☆ 7.4/10 2,150votes
YAHOO! MOVIES】 Yahoo! Users: B 44ratings
YAHOO!JAPAN 映画
★★★☆ 3.78点/51人
映画生活
★★★☆☆ 71点/41人

◆◆◆さくら83点 レンタルDVD

映画『ノー・マンズ・ランド』と同じボスニア紛争をテーマにしているので興味を持ったけど、実は内心そんなに期待していなかった。でも、ちょっとビックリするくらい良かった。母親エスマと娘サラの微妙な感情表現がとても丁寧で、無理なくスンナリと理解する事が出来たので、彼女たちの苛立ち、切なさ、辛さ、絶望、愛情、強さに凄く共感した。文字にすると陳腐になってしまうけど、心底この母子に幸せになって欲しいと思った。

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以下、映画の背景やインタビューなど。

◆地図

語源でいうと“こぶのある女性”という意味を持つ原題グルバヴィッツァ(Grbavica)は、サラエボSarajevo)の一区域。サラエボは、ボスニア・ヘルツェゴビナの首都で、同国で最大の人口をもつ都市。

-ボタンをクリックすると、Sarajevoが世界地図上の何処にあるか分かります。

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Photo

◆ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争

ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争は、ユーゴスラビアから独立したボスニア・ヘルツェゴビナで1992年から1995年まで続いた内戦。wiki

~ 民族浄化 ~

女性に対する性的暴力は、残念ながら戦争ではいつも起きている。しかし、この紛争では、女性への暴力行為だけでなく敵の民族の子供を産ませることで、所属民族までを辱め、後世に影響を残すことが作戦として組織的に行われた。

ボスニア・ヘルツェゴビナは、三民族が混在していた。つまり生活していた場所が戦場になったのである。死傷者は戦闘の前線や攻撃で生じるばかりではない。民族浄化のために自宅から追い立てられる際に、男性や子供は殺され、女性はその場で辱められ連行された例も多い。各地に収容された女性は、連日多くの兵士に乱暴され、妊娠すると本人の意思に反して子供を出産させられた。民族間の和解の可能性を消し去るためである。収容所での自殺や、子供を殺した例もある。

紛争により、子供たちへのPTSDと見られる影響も出ている。情緒不安定などの症状を親や学校で把握しており、援助団体によるセラピーも一部では行われている。紛争中に、母体の中におり、紛争がおさまった頃に生まれた子供でも、同様の症状が見られる。着弾音が聞こえ、母親が常に緊張し怯えていた状態が、胎児にも伝わったと言われている。

~ ボスニア・ヘルツェゴビナ略史 ~

1878年 ベルリン条約によりオーストリア=ハンガリー帝国の支配下に

1914年 サラエボ事件。第一次世界大戦勃発

1918年 「セルビア人、クロアチア人、スロベニア人王国」建国

1929年 ドイツ軍侵攻。傀儡国家「クロアチア独立国」の支配下に、チトー率いる共産党パルチザンとドイツ占領軍の主戦場となる

1945年 ユーゴスラヴィア連邦人民共和国の成立

1980年 チトー大統領死去

1984年 サラエボ冬季五輪開催

1987年 ミロシェヴィッチがセルビアの政治権力を掌握、民族主義傾向が強まる

1991年 スロベニアとクロアチアが独立宣言、独立を反対するセルビア人勢力と戦闘に

1992年 3月、ボスニア・ヘルツェゴヴィナで独立を問う住民投票実施。4月、紛争激化。セルビア人勢力、クロアチア人勢力による領土獲得合戦。セルビア人勢力が国土の約7割を制圧

1995年 7月、スレブレニッツァの虐殺。8000人のムスリム人が虐殺された。8~9月、NATO軍による空爆。アメリカが和平仲介に乗り出す。11月、三民族和平合意。12月、パリで和平正式調印

1996年 9月、戦後初の総選挙を実施

◆サッカー日本代表のオシム監督からのメッセージ 映画公式サイト   

Grbavica_1 映画の原題になったグルバヴィッツァ地区で生まれ育ったサッカー日本代表のオシム監督が、脳こうそくで倒れる3日前の11月13日、日本公開に向けたメッセージを寄せた。
   

映画“グルバヴィッツァ”(邦題“サラエボの花”)は、出来るだけ多くの方に観て頂きたい 映画だ。この映画は、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ全域、首都サラエボ、そしてサラエボの一角、グルバヴィッツァで20世紀、人類として恥じるべき、また運命的な悲劇が繰り広げられた物語を語るなかで、人類は二度と決してこのような悲劇をいっときも、如何なる場所においても繰り返してはならないというメッ セージを発している。グルヴァヴィッツァは、20世紀、人類の良心モラルがかき消され、憎悪心にあやつられた武装兵士たちによって計画的に組織された民間 へのレイプ行為が繰り広げられたことで、この紛争の一大悲劇の舞台となり、世界史上においても類なく稀な場所となってしまった。

ベルリン映画祭で最高賞を受賞したこの映画は、自活しているシングルマザーのエスマと娘、サラの生活を通し、母親エスマの娘サラに対する2つの心の葛藤: キャンプで武装兵士によって犯され、生まれた自分の娘に対する測り知れない愛、一方レイプした武装兵士たちを憎しみ、留まることを知らない恐怖心、トラウマに駆られている自分自身を描いている。

我々、グルバヴィッツァの住人は、かつてサラエボのこの地区が、すべての者がともに共存し、生活を営み、サッカーをし、音楽を奏で、愛を語らえる象徴的な場所であったことを決して忘れない。我々はいまだに、そのような場所で紛争という悲劇が起きたことによって、殺戮や武装兵士による集団レイプ、諸々の憎悪に満ちた行為が繰り広げられたことを信じがたいと同時に、この様な事 実を決して忘れ去ってはならない。グルバヴィッツァはいつの時代でも、慈愛深い人、スポーツ選手、インテリといった偉大な人々を生み出して来たが、他の場 所からやってきた野蛮な悪人たちによって汚され、服従されようとされてしまった。しかし、この先もグルバヴィッツァの精神は生き続けるだろう。グルバヴィッツァとそこに生き続ける精神はそう生易しくかき消されることはない。

イヴィッツア・オシム(サッカー日本代表監督) 2007年11月13日 東京にて

◆ヤスミラ・ジュバニッチ監督インタビュー 映画公式サイト

ヤスミラ・ジュバニッチ 脚本/監督

1974年にサラエボで生まれる。ドラマティック・アート・アカデミー舞台・映画監督科を卒業。本作が初長編作品。映画の世界に入る前は、人形師としてバーモントを基盤とするブレッド・パペット劇場で働き、ピエロとして活動していた経験などもある。

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Q―この映画の源は?

戦争が勃発したとき、実は喜んだんです。なぜかというと、数学のテストがキャンセルになったので。当時ティーンエイジャーだった私の一番の興味はセックスでした。愛の最高の形がセックスだと信じていました。

でも1992年からはすべてかが変わりました。自分がまさに戦争の真っ只中に生きていることを実感したのです。セックスは戦争戦略の一つとして、そして女性に屈辱を与える手段の一つとして利用されました。ボスニア戦争中、2万人の女性がレイプされたのです。当時その地域の100メートル隔てたところに住んでいた私は戦争よりもそのことに恐怖を覚えました。

それ以来、レイプとその残虐な行為の果ての結果に、私は執着するようになりました。このトピックに関連するものはすべて読み、追いかけました。何故私はこれらを調べたのか、何を知りたいと思ったのかわかりませんが、答えは私が出産したとき見つけました。その経験は愛に満ち溢れていて、母性のすばらしさを実感したのです。

そのとき、いろんな感情の塊が私の引き金になりました。ショックでした。そして自分に問いかけたのです。憎しみという感情の中で生まれてしまった子供を持つ女性の、心を襲う感情とはすさまじいに違いないと。この瞬間、私はこの映画を撮ろうと思いました。そして子供に授乳しながらシナリオを書き上げたのです。

Q―エスマとサラの物語は悲しいですが、同時にどこか楽観的な部分もありますね。
実はサラの父親に対して “許し”が隠されて存在すると思うことは可能ですか?

始めに思ったのが、戦争加害者には悔悛の念が必要であるということでした。そして被害者側から許しがおりる・・・。

ボスニア・ヘルツゴヴィニアの問題点のひとつは、起こった出来事に対して多くの人々が悔悛していないということなのです。10万人以上の人々が死に、100万以上の人々が追放されました。でもほとんど悔悛という思いがないのです。良い面としてはーこれは興味深いのですがー“復讐”がほとんど存在しない。エスマは許しも復讐も考えていない。サラは被害者であり、犯罪を思い出させる因子なのです。

◆「サラエボの花」 ジュバニッチ監督に聞く  映画の森

Grbavica_2_2ボスニア・ヘルツェゴビナの首都・サラエボで生まれ育ち、10代の多感な時期に紛争を経験したヤスミラ・ジュバニッチ監督がこのほど来日し、「レイプ被害の事実だけでなく、女性が人間としての尊厳を取り戻す姿を描きたかった」と話した。

 ──紛争終結から12年。今、このテーマで撮ろうと思った理由は。

 長年、(ボスニア紛争中の戦略的)レイプについての映画を撮りたいと思ってきた。戦争の過程で最も過酷なのが、レイプにまつわるできごとだ。しかし私 は、敵に自分の尊厳を破壊されるこの行為を、ドキュメンタリーでは描きたくなかった。暴力を受けた事実以外のものを見せたかった。(被害を受けた女性たち の)証言だけでなく、「人間の物語」を伝えなければならなかった。悲惨な体験を経た後、どう人間としての尊厳を取り戻し、一人の女性としてどう生きていく か。それが重要だった。

 ──被害者のつらい記憶を掘り起こすことになるが。

 一人の表現者として、事実をどう伝えるか。また別の視点をどう伝えるか。私自身、戦争の時代を生き、自分自身にも説明が必要だった。なぜあんなことが起きたか。これからどう生きていくか。サラエボで生きる私にとって、そう考えることは日常的なことだ。

 ──何が被害者の傷を癒すと思うか。加害者側は今後、何をすべきなのか。

 非常に難しい質問だ。理論的には語れるが、現実は理論とは異なる。まず、レイプされた女性たちは戦争被害者として認められていない。他者からの敬意や配 慮を受けておらず、日常生活をうまく送ることができない。一方で戦争犯罪者は今も自由に生活し、被害者は怒りと悲しみを感じている。彼女たちには社会的な 援助もなく、家を追い出されることもある。社会の底辺で生きているのだ。なぜなら政治家のほとんどが男性だから。加害者側の兵士についてはある程度調べら れるが、被害者は表に出たがらず調査が難しい。そのため公式の戦争被害者として認められていない。ベルリン国際映画祭で受賞し、観客に(被害者の尊厳と権 利回復を求める)署名を頂いた。ボスニアでその署名を議会に提出し、彼女らは戦争被害者として認められることになった。映画は社会に対して何か実行でき る。「サラエボの花」が証明したと思う。しかし、まだ本当の意味での尊厳は取り戻されていないのだ。

 ──脚本を書く上で、精神的な負担を感じたことは。

 製作過程でたくさん調査を行い、たくさん本を読んだ。被害女性たちに会って話を聞いた。今どう生きているかを見せてもらった。レイプによって生まれた娘 がいて、娘は事実を知らず、母は語りたがらない。家に行き、コーヒーを一緒に飲み、暮らしている雰囲気を肌で感じるように努めた。彼女たちは今も現実に生 活しているため、距離の取り方がとても難しかった。現実を感情的にとらえすぎると、感傷的になりすぎる。コミュニケーションをきちんと取りつつ、怒りに走 らないようにしなければ。脚本の第1稿は怒りに満ちていた。怒りを取り除き、物語をきちんと伝えることが必要だった。

 ──ボスニアの人々には起きたことを悔いる気持ちも、復讐する気持ちもないという。なぜだと思うか。

 どう説明したらいいか……長い話になる。まずセルビア人のアイデンティティーの問題がある。彼らの中に「ほかの民族より自分たちの方が優れている。神か ら送られてきた人種だ」と信じている人々がいた。そんな人たちに過ちを認めさせることは非常に困難で、解決には時間が必要だ。人間は完璧な存在ではない、 と認めさせなければならない。さらに、新しい世代が自分たちの道を見出し、父や祖父の過ちを知ることが重要だ。「起きたことは正しいことではないが、自分 とは直接関係なく、罪の意識を持つ必要はない」と(若い世代が)感じることも重要だ。同時に糾弾も時間もいる。罪の意識を(セルビア人たちが)今持つよう な状況ではない。未来の世代がすべきことだ。

 最も大きな問題は、スレブレニツァで起きた大虐殺についての認識だ。約9000人が殺された惨劇を「セルビアがボスニアを解放した」と考える人たちがい る。実際に学校でもそう教えられており、子供たちは信じている。被害者は精神的に非常に困難な状況に追い込まれている。(民族浄化の)事実を知った時、子 供は親が嘘をついていたと気づき、また新たな問題が起きるだろう。ボスニアの人たちに復讐心が起こらなかったことは、大変誇りに思う。被害者の大多数は欧 州的でリベラルなイスラム教徒だったからかもしれない。指導者である大統領が「復讐すべきではない。暴力では解決できない」と呼びかけた。加害者は戦犯と してきちんと裁かれなければならない。個人的な復讐は行うべきではない。人としてまず「きれいな状態」でいることが重要だと思う。

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