402: GOEMON
監督・脚本・編集・プロデューサー・原案・撮影監督: 紀里谷和明
プロデューサー: 一瀬隆重
脚本: 瀧田哲郎
編集: 横山智佐子
照明: 牛場賢二
装飾: 西尾共未
VFXスーパーバイザー: 野崎宏二
ヘアメーク: 稲垣亮弐
キャスト: 江口洋介 大沢たかお 広末涼子 ゴリ 要潤 玉山鉄二 中村橋之助 寺島進 チェ・ホンマン 佐藤江梨子 戸田恵梨香 鶴田真由 りょう 藤澤恵麻 佐田真由美 福田麻由子 小日向文世 平幹二朗 伊武雅刀 奥田瑛二
製作: 2009年 日本
製作費: 15億円
日本公開: 2009年5月1日
上映時間: 128分
織田信長(中村橋之助)を暗殺した明智光秀が討伐され、豊臣秀吉(奥田瑛二)が天下を取った時代。超人的な身体能力を武器に金持ちから金品を盗み、貧しき者に分け与える盗賊・石川五右衛門(江口洋介)がすい星のごとく現れ、庶民を熱狂させる。そんな中、五右衛門は盗み出した財宝の中に重大な秘密が隠されている南蛮製の箱を見つけるが……シネマトゥデイ
【IMDb】
【YAHOO! MOVIES】
【YAHOO!JAPAN 映画】 ★★★☆☆ 3.92点/73人
【映画生活】 ★★★☆☆ 70点/12人
◆◆◆さくら70点 試写会(名古屋市公会堂)
公開されたら見るつもりだった映画の試写会に誘われたので、いそいそと出かけてきた。試写が行われる名古屋市公会堂に着いた時には、既に長蛇の列が・・・(右画像)。あたし達は、画像左に見切れている男性の後ろに並んだ。
映画の題材的になのか、男性比率の方が少々高く、年齢層は中学生くらいから年配の方まで幅広かったように感じた。
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名前や設定を安土桃山時代に実在した人物から殆どをとってはいるものの、良くも悪くもリアリティの欠如した煌びやかな異次元空間だった。衣装や美術などの独特の世界観に彩られた豪華な役者陣は、老いも若きも幼きも全てが、期待通り美しくかっこ良かった。あと、劇中の音楽も、雰囲気を盛り上げていて良かった。
でも、違和感の残る映画だった。人物関係は把握しやすく物語の展開も単純で明快だった割りに、登場人物の誰にも共感が持てず、かといって第三者として俯瞰するにも映画の空気を読み切れず、笑いが少ない事もあって気楽に見る事も出来ず、アクションシーンでのスピード感にも爽快感を感じ無かったのでアトラクション的に楽しむ事も出来ずで、知らず知らずの内に他所事を考えたりしてしまった。それに、時代や次元を超越している美しい画面に、時代劇風のビミョーな言葉使いをする登場人物が、どうしてもダサく感じられてしかたがなかった。
目は楽しめたけど、気持ちは置いてけぼりをくってしまった。でも、なんだかんだ言って、この映画の熱さは嫌いじゃない。というか好きだ
。(笑)
以下、ネタバレあり。
◆理解不足なあたしの疑問をだらだら羅列。伏線や台詞をぼーっとして見落としたのかもなぁ~。
1) 秀吉が信長を殺した首謀者だと知った五右衛門は、秀吉を討とうとするが、替え玉を殺しただけで失敗。「復讐と強さは違う」みたいな事を小平太に言う。再度、船上の秀吉を討ちに行くが失敗。そして三度目で遂に、町を見下ろす天守閣で秀吉を討つ。この流れにおいて、五右衛門の気持ちの変遷というか、行動の動機が掴みきれない。忠義からくる仇討ち?、茶々のため??、平和のため???
2) 秀吉の暗殺に失敗して捕らえられた才蔵を五右衛門が救ったために、才蔵の妻は殺され子はさらわれてしまう。才蔵の五右衛門に対する怒りは、ある意味仕方がないと思う。釜茹でされる時に、子供の命と三成の命令があるから、名を騙るのは分るし、とっさに五右衛門の名前が浮かぶのも分る。そのとき才蔵は、子供の命を救いたいし、三成の命令も守るべきと考えていたんだろうけど、五右衛門の名を騙る、そこに五右衛門を追っ手から解放するためという気持ちはあったのかな? 釜茹でされる前にした演説、あれが心の叫びなんだろうけど、なんだか才蔵にそぐわなかった。だから、釜茹でになる時、「あとはお前次第だ」と、才蔵が五右衛門に託した思いがピンとこない。この流れだったら、自分の子供に対する思いを、言葉で残しても良さそうなのに、その思いは何処に消えちゃったの?って感じ。・・・・・どこで空気を読み違えたんだろう???
釜茹でされそうな才蔵を見ながら、「俺が五右衛門だ」と叫ぶ五右衛門は、どういう気持ちだったのかな? 「俺が五右衛門だ 俺を釜茹でにしてくれ そいつは五右衛門じゃない だから釜茹でにしないでくれ 殺さないでくれ」という意味にはならないよね? だって、才蔵は秀吉暗殺に失敗して、顔バレ状態で追われているのだから、五右衛門じゃなくても釜茹でされるに違いないという事を、五右衛門は理解しているはずだから。どういう気持ちで「俺が五右衛門だ」と五右衛門は叫んだの?
秀吉に才蔵の名前を告げたのは誰なのか?、子供の命を掛けられているのだから才蔵自身ではないよね??
3) 五右衛門は“パンドラの箱”を小平太に渡して、「最後に残った一欠片(=希望)は自分に無いもの」みたいな台詞を言った。希望が無いなら、なぜ強いられている分けでもない戦いに赴いたのか。信長の甲冑を着た五右衛門から感じられたのは、欲と競争に躍らせられ、口先だけで大義名分を唱える人達に対する怒りだけだったような気がした。「復讐と強さは違う」みたいな事を小平太に尤もらしく言っていたけど、怒りに身を任せているようにしか見えない五右衛門も五十歩百歩にしか思えなかった。それとも、何か別の思いがあったのか。どういう思いを遂げたくて五右衛門は戦いに赴いたのか。
4) 最後に五右衛門が、石田三成を討ったのはまだしも、なぜ家康を討つ真似をしたのかが分らない。あれは完全に自殺行為だよね。茶々が待っているのになぜ・・・・・?
5) 佐助が五右衛門を刺した後の「褒美をくれ」と言うシーンで、なんじゃそりゃ!とシラケテしまった。信長を光秀が裏切る。光秀を秀吉が裏切る。秀吉を三成が裏切る。五右衛門を佐助が裏切る(ま、子分になる前は、佐助は五右衛門の命を狙っていたんだけど)。敵と味方がめまぐるしく入れ替わる。という事で、このシーンには無常観を見出すべきなのか、人間の欲は人情なんて吹き飛ばすのねと見るべきなのか、秀吉の言う“運命”と捕らえるべきなのか、これが“自由”に対する最後の代償なのかと重く受け止めるべきなのか、・・・な~んて考えたけど、いずれもしっくりこない。どう捕らえるとしっくりくるのかなぁ?
6) 天守閣から見下ろす町を絶景とした秀吉とは対照的に、「絶景かな 絶景かな」と五右衛門が見上げる先には空があった。その晴れ晴れした気持ちをもたらす事が出来たのは何故なのかが分らない。最後の五右衛門の行為が、母、信長、才蔵、茶々、自分自身の思い(=平和への願い)を果たしたものだとは考えにくかったから、理解出来ないのだと思う。怒りを発散して気が済んだのかな(苦笑)、“自由”に絶望して死にたかったのかな、未来を小平太と家康に託して自分の役目は終わったと思ったのかな、くらいにしか感じられなかった。最後、五右衛門はどんな気持ちで死んでいったのかな?
他にも細かいことは色々あるけど、設定が設定なので、ある程度の御都合主義は許容範囲だった。
◆
パンドラの箱 安土桃山時代 天下布武 楽市・楽座 関が原の戦い 忍者
◆「いかに生きるべきか」 ~紀里谷監督インタビューより~
今の日本は、“自由”や“個性”という言葉が真しやかに囁かれる一方、“責任”は放棄され、どうやって生きていったらいいのかわからない。一体どうしたらいいのか? それを五右衛門を通して見つけていく話・・・シネマぴあ
◆登場人物 ~時空と次元を超えてるね ^^/
石川五右衛門 「俺は自由になってみたい」
浅井茶々 「それで戦が止められるのであれば・・・」
霧隠才蔵 「自由を謳歌するなら 周りを巻き込むな」
猿飛佐助 「厄介な事になるって 俺は何度も言ったよな」
織田信長 「強くなれ そうすれば何も奪われやしない」
豊臣秀吉 「もう逃げられんぞ 運命からは」
服部半蔵 「その幸せのために戦っている」
徳川家康 「ただの競争だ 天下という餌の」
石田三成 「せっかく手に入れた切り札を!」
千利休 「世が荒れると 茶がたちませぬ」
又八 「役人の俺様から盗みたあ よろしくねえ」
我王 「主君を守るために 俺は生まれた」
吉野太夫 夕霧太夫
小平太の母 五右衛門の母
才蔵の妻・お吉 三成の妻・おりん
小平太
蕎麦屋の店主 紀伊国屋文左衛門 遊郭の番頭・弥七
明智光秀 紀里谷和明監督
主題歌 VIOLET UK (YOSHIKI)
◆おまけ
「幸せとは」 ~宇多田ヒカル オフィシャルブック 『点』より一部抜粋~
「自由と責任はセット」ってよく耳にする。フレーズとしてはキャッチーだけど、なんつうか、省略し過ぎじゃね?
「責任をとる」って、好き勝手した結果、周りに迷惑かけたら、また元の場所へ帰ってお返しすること?尽くすこと?謝ること?辞職すること?これからはもうそんな勝手なことはしないよ、って約束すること?――違う。
自由に生きると決めたなら、たくさんの犠牲や痛みが自分にも周りにも生じるだろう。人は、大切なものを犠牲にしたり、失ったり、人を傷つけることを恐れ、日々囚われてる。思いやりと想像力だけでは人は臆病になる。少なくとも私はそんな優しさ見せられても嬉しくない。
「おまえは自由だな~」ってよく言われる。初対面の人からも「なんか自由そう」とか。少し羨ましそうに。
その度に思う、(自由はとても厳しいものだと、分かって言ってるのかな?)って。本気なら、全てを捨てて荒野に飛び出す覚悟があるなら、自ずから選 んだ道を進む上で何度となく人に誤解されたり、責められたり、孤独に心をむしばまれようと、苦しい我慢を強いられようと、それはあなたが選んだこと。
私たちは皆、死を宣告された病人だ。
ナイフのように風に切りつけられながら歩く日が続いても、その場で楽な「死」ではなく、生きることを選ぶ。道しるべも案内人もいない。自由はとてもひとりぼっち。でもイイこともた~っくさんある。険しい道を選んだ者には、他の誰にも見ることのできない絶景を目にするチャンスがある。その権利がある。
厳しさに耐えられずに途中放棄した者は、その後大変な責任を背負うことになるだろう。前よりも不自由になるだろう。
「自由と責任はセット」と本当の意味は、「自由な生き方を選んだら、引き返さない責任があるよ、その覚悟できてんの?」だと思う。
引き返すこと、後悔することは無責任だ。
愛する人たちがどんな気持ちで自由に生きようとするあなたを送り出したか。彼らの涙はなんだったのか。愛する人たちから遠ざかりたいと言ってるんじゃないよ。それはなかなか理解してもらえないかもしれない。時間がかかるかもしれない。でもきっと伝わる。伝えようと努力する責任がある。決して一人で生きているんじゃない。
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