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2009年12月 8日 (火)

453: 明日への遺言

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「本望である」

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監督・脚本: 小泉堯史
プロデューサー: 原正人
原作: 大岡昇平
脚本: ロジャー・パルバース
撮影: 上田正治 / 北澤弘之
照明: 山川英明
美術: 酒井賢
ナレーション: 竹野内豊

キャスト: 藤田まこと 富司純子 ロバート・レッサー フレッド・マックイーン リチャード・ニール 西村雅彦 蒼井優 田中好子

製作: 2007年 日本
上映時間: 1時間50分

第二次世界大戦終了後、戦争末期に名古屋を空爆した米軍捕虜を処刑した責任を問われ、B級戦犯として裁判にかけられた岡田資中将(藤田まこと)。裁判で彼は「一般民衆への無差別爆撃の責任は誰が負うのか、命令により実行した部下の責任は誰が負うべきなのか」と堂々と信念を主張し、戦勝国アメリカによる法廷を戦い抜く。シネマトゥデイ

IMDb★★★★★★★☆☆ 7.2/10 25votes
YAHOO! MOVIES
YAHOO!JAPAN 映画★★★☆ 3.81点/222人
映画生活★★★☆ 72点/104人

◆◆◆さくらスイッチ 73点 (レンタルDVD)

情ではなく理性に訴える戦争映画だった。だからか、戦時責任を扱っているけど、もっと普遍的な「責任」というものについても考えさせられた。

岡田 資 wikipedia

01_3 岡田 資(おかだ たすく、1890年4月14日 - 1949年9月17日)は、大日本帝国陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。

岡田資は中尉時代の1916年12月から約1年間半にわたって、陸軍士官学校の7期後輩である第30期第3中隊第3区隊長を務めている。この第3区隊員の中には、後に、日中和平工作に尽力し、バターン戦線では兵団本部からの米比軍捕虜千余名の処刑命令に抗して釈放した陸軍少将今井武夫がいた。岡田は1930年には秩父宮付武官を務めている。若者を愛した人で「青年将軍」の通称があった。

第十三方面軍司令官兼東海軍管区司令官を務めていた1945年5月14日の名古屋空襲の際、撃墜され捕虜となった米軍のB-29爆撃機搭乗員27名を自らの命令(旧陸軍内での法的根拠は与えられており、私的制裁の類ではない)で処刑した(11名は軍律会議で死刑判決、処刑は6月28日、瀬戸市付近。残り16名は5月14日空襲より後の捕虜、略式手続きのみで7月12~15日に軍司令部庁舎裏にて4回に分けて処刑。処刑方法はいずれも斬首であり、このことも戦犯裁判での争点となった)。戦後、国際法違反(捕虜虐待罪)に問われ、B級戦犯として連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)に逮捕され、軍事裁判(横浜法廷)に掛けられた。

戦犯裁判での岡田は米軍による空襲について「一般市民を無慈悲に殺傷しようとした無差別爆撃である」「搭乗員はハーグ条約違反の戦犯であり、捕虜ではない」と徹底的に主張し(岡田自身は、これを『法戦』と呼んだ)、検察や米軍関係者による爆撃の正当化を批判、捕虜虐待の罪に付いても全面的に争った。一方「私ひとりが一切の責任を負う」として、捕虜処刑に関わった部下を庇い、自ら責任を負う発言を繰り返す。

この様な岡田の高潔な姿勢は、米軍検察側や裁判官の心をも動かし、最終的には米軍側が「名古屋空襲は無差別爆撃であり国際法違法である」との見解を導き出すに至る。

1949年9月17日、巣鴨プリズンにて絞首刑が執行された。処刑に当たり、裁判を担当した検事・弁護人を初め、国内でも秩父宮から助命嘆願や減刑の要望書が出されたり、GHQ側の法務担当官から「終身刑が相当である」「絞首刑ではなく銃殺刑(軍人にとって、銃殺刑は名誉を重んじた処刑方法と欧米では考えられていた)とするべし」との意見も出されたが、当初通り絞首刑による死刑が執行された。

熱心な日蓮宗の信者であり、他の戦犯死刑囚に対し仏教思想に基づく勉強会を開くなどして、精神的な支えにもなったと言われている。

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