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2010年1月27日 (水)

482: 動物農場

解釈は一様でない

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dog原題

ANIMAL FARM

dogスタッフ&キャスト&他

制作: ルイ・ド・ロシュモン
脚本: ジョン・ハラス , ジョイ・バチュラー
原作: ジョージ・オーウェル
音楽: マティアス・サイバー

制作: 1954年 イギリス
収録時間: 72分

dog概要

飲んだくれの農場主を追い出して理想的な共和国を築こうとした動物たちであったが、指導者の豚が独裁者と化し、恐怖政治へ変貌していく過程を描く。人間を豚や馬などの動物に見立てることで20世紀前半に台頭した全体主義やスターリン主義への痛烈な批判を寓話的に描いた物語である。wiki

dogレビュー評価

IMDb★★★★★★★☆☆ 7.1/10 3,121votes
YAHOO! MOVIES】 Yahoo! Users:B 131ratings
YAHOO!JAPAN 映画★★★★ 4.14点/14人
映画生活★★★★ 82点/5人

dog観るきっかけ&感想

ずっと以前から借りたいと思っていたけど、ずっと見そびれていた。

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こういう寓話的な物語は、作者の意図を超えて、観る側で様々な解釈が可能になる。それが面白い。 shadow pig dog horse chick free

dog覚書

◆現代まで続く永遠不変の権力の寓話

 残忍で無能な農場主に虐げられてきた動物たちは、2匹の有能な豚をリーダーとして革命を起こす。「すべての動物は平等である」という理想を掲げ、人間を 追放し、自ら農場経営に乗り出す。順調に滑り出したかに見えた「動物農場」だったが、幸せな日々は数ヶ月しか続かなかった・・・。

 どんなに働いても豊かさを手に入れることができない動物たち、巧みな宣伝や恐怖を用いて農場を支配し、やがては堕落していく豚たち。半世紀前に公開され た本作が暴きだすのは、まさに現代日本の姿。ワーキングプアの問題や格差社会の本質が見事に寓話化され、見えにくくなった現代の支配構造をあぶり出す。

 すべての動物が平等だったはずの世界が、次第に壊れていく農場を舞台に、動物たちが向ける怒りの目と絶望の涙は、今いったいどこへ向けられようとしているのだろうか?

◆風刺と迫力に満ちたジョージ・オーウェル原作『動物農場』

 『1984年』などで知られるイギリス人作家ジョージ・オーウェル原作の『動物農場』。社会の片隅から戦場に至るまで自ら足を運び、問題の本質をえぐり出してきたオーウェルが、その鋭い視点と行動力で暴き出したソビエト共産党の内部腐敗や全体主義批判。登場する動物たちは、それぞれ現実に存在した政治家などになぞらえて読み解くことができるとも言われている。しかし、優れた寓話として完成されており、時代やイデオロギーを越えて広く権力の腐敗を痛撃している。

 またアニメーション化の際には、冷戦下のアメリカCIAが出資したと噂されるなど、作品をめぐっての政治的思惑も見え隠れする。

 原作をほぼ忠実にアニメーション化しているが、ラストシーンだけ改変されており、評論家の間では賛否が分かれた問題作であるが、オーウェルの風刺が見事に映像化された迫力に満ちた作品である。

◆「しくみのなかでは自分だってナポレオンなんだ」 宮崎駿

 ところが、そういうところを見ないようにして、みんな平等で同じようにチャンスがあって、チャンスをものにできないのは自己責任だ、みたいなことになっている。

 自分が善意であるからといって、自分が善良な存在だとは思ってはいけない。とくべつお金を稼いでいるとか、楽をしているわけじゃないから、自分は無罪 だ、とは思ってはいけないんです。しくみのなかでは、自分だってナポレオンなんです。そのしくみの問題はいっぺんには解決できないですけど、だからといっ て、手をこまねいて、無関心でいられること自体、すでにそれはナポレオンなんだってことなんです。個人的なことだけじゃなくて、社会における位置とか役割 によって、自分の存在の本質には、いつも気づいていなくちゃいけません。

 半世紀以上も前につくられた「動物農場」をいま公開する意味は、ここにあるんです。社会にはしくみがあるということ。複雑になってはいるけど、でも根源 には、労働者がいて収奪者がいるという、そのしくみは変わってないんです。それを知るうえでは、この「動物農場」には意味があると思います。 動物農場を語る宮崎駿より

◆動物農場を語る 川端康雄

・理由はこれがソ連批判の書であったからだ

 原作の『動物農場』の初版刊行の日付は一九四五年八月十七日である。日本がポツダム宣言を受諾して降伏したのが八月十五日、これで第二次世界大戦が終結 したわけなので、まさに終戦時に(そして広島、長崎の原爆投下と同月に)これが出たことになる。これをオーウェルは戦争中に書き、一九四四年二月には完成 させている。脱稿後ロンドンの四つの出版社にもちかけたのだが、四四年七月までにすべて断られた。理由はこれがソ連批判の書であったためである。同年八月 末にセッカー・アンド・ウォーバーグ社が引き受けることに決まったが、戦時中の紙不足のためにさらに延び、一年後にようやく刊行の運びとなった。書店に並 ぶやいなやこれが大ヒット、翌四六年には米国でも刊行され、たちまちベストセラーとなる。さらにそのあと、各国語版の翻訳刊行がつづく。大ヒットの理由は、ソ連批判の書であったからだ。

 ソ連批判の書であるがために刊行が難航し、刊行されるとおなじ理由でベストセラーになったというのは、矛盾した話に聞こえるが、英米とソ連の関係が終戦 時を境目として大きく様変わりした事実を示せば、納得していただけるであろう。ソ連とドイツとは大戦が勃発した時点では独ソ不可侵条約を結んでいたが、一 九四一年六月にドイツがソ連侵攻を開始するとソ連はイギリスと同盟を結び、ドイツを共通の敵として戦うことになった。米国もソ連への援助を開始した。四三 年二月のスターリングラード攻防戦でのソ連の勝利が大戦全体の画期となったのだが、オーウェルが出版社を模索していた一九四四年においても、連合国側のソ 連の役割は重要だった。『動物農場』の企画を断った三つの出版社は、そのような戦時の国際関係と国民感情を配慮して、その原稿を却下したのである。

 ところが戦後、米ソ二大国を中心としたブロック化が急速に進み、両陣営の対立構造が強まる。一九九一年のソ連解体までつづく冷戦体制の到来である。ソ連 の東側ブロックには東欧諸国などが共産圏として、米国を中心とする西側ブロックには西欧諸国や日本をふくむ世界各地の資本主義国が組み込まれ、双方を仮想 敵とみなして、険悪な敵対関係が生じた。そのような戦後体制にむかおうとする転機にこの物語が出たというのは、話題性という点からすると、まことにタイム リーだったのである。

・CIAの出資はもはや噂ではない

 ハラス&バチュラーのアニメーション「動物農場」の制作資金をCIA(米中央情報局、一九四七年に創設)が出しているのではないかという 噂は、公開当時からすでに一部で囁かれていたことだが、それを部内者が最初に公表したのは、CIAの諜報員であったハワード・ハントによってである。一九 七二年のウォーターゲート事件に連座して悪名をはせたハントは、七四年に出した回想記で自身がアニメーション制作に深く関与したと示唆しているが、それは 怪しい。ソーニアから映画化権を得るのに彼女が好きなハリウッド俳優クラーク・ゲイブルに会わせるという約束で釣ったというエピソードをはじめ、従来流布 してきた説には眉唾物めいたところも多く含まれる。しかしCIAの資金援助が事実であったことは、製作者ルイ・ド・ロシュモンの関連文書を発掘して証拠資 料として用いたダニエル・リーブの近著『覆されたオーウェル─CIAと「動物農場」の映画化』(ペンシルバニア大学出版局、二〇〇七年)で論証されている (以下の記述はこれに拠るところが大きい)。近年の調査研究によって、CIAの出資は、もはや噂ではなく、事実であると確証されている。

 CIAは、冷戦体制化における心理戦の一作戦として、OPC(政策調整局、心理戦のために一九四八年に設置、五一年にCIAに統合)と連携して 『動物農場』の映画化を企画し、ド・ロシュモンを抜擢して、制作資金を秘密裏に供給した。五一年にド・ロシュモンは、その制作会社としてハラス& バチュラーを選定。契約書を同年十月末に交わした。この会社はハンガリー出身のアニメーターのジョン・ハラスが同業者のジョイ・バチュラーと共同で一九四 〇年にロンドンで立ち上げたもので(同年に二人は結婚)、英政府依頼の作品や企業のPRアニメーションなどで実績をあげていた。米国の会社に比べて制作費 を安く抑えられるというのもイギリスの制作会社に依頼した要因のひとつだった。制作期間と費用は当初の予定を大幅に超え、五一年の秋から三年かけ、当初二 十人の小規模で始めたのが一年のうちに七十人を超える大所帯の制作チームとなった。

 この「作戦」が「秘密工作」であった以上、著作権者のソーニア・オーウェルに対してはもとより、ハラスとバチュラーにもCIA関与の実態が伏せら れていたのは当然であり、表向きはド・ロシュモンの映画制作会社RD─DR(Reader’s Digest - de Rochemontの頭文字を取ったもの)が制作に従事するということで進められたが、ハラス&バチュラーには「投資者(investors)の 意向」という説明でぼかしつつも、当初から脚本およびキャラクターの描き方について具体的で細かい「要望」がなされた。コンピュータ導入のはるか以前、デ ジタル彩色などありえず、すべてを手作業でおこなうしかなかったこの時期に、十八のシークエンス、七百五十のシーン、カラー原画三十万枚を描くのに膨大な 労力と時間がかかったということがもちろんあるが、遅延のもうひとつの理由としては、プロット等の変更の「要望」(事実上の「強要」)を受けてジョイ・バ チュラーが脚本(九稿におよんだ)やストーリーボードを何度も描き直すなど、度重なる変更を強いられたこともある。その変更に伴って多量の原画がボツに なった。

・「誤解」がなくなるまで脚本の書き直しが求められた

 オーウェルの物語を原作としつつも、ハラス&バチュラーのアニメーション版はいくつかの重要な相違点が生じた。その最たるものが、結末の変更である。原作では最後まで「非政治的」な「静観主義者」だったロバのベンジャミンが、ここでは親友の馬ボクサーが豚の陰謀によって悲惨な最期を遂げたのを契機についに目覚め、リーダーとなって外部の動物たちの援軍を得て反乱を起こし、豚を退治するというハッピーエンドになる。

 しかし「投資者」にとってはこうした変更は心理戦の効果を狙った政治的な配慮以外のなにものでもなかった。上記の結末の改変は、共産圏に対する米国政府 の「封じ込め」作戦から「巻き返し」作戦への政策転換を反映している。一九五三年にダレス国務長官はこの「巻き返し」政策を声高に唱えた。共産圏で「奴隷」とされた諸国民を看過せず、積極的な行動によって解放してやらなければならない、という考えである。結末をこの作戦にダブらせることが「投資者」に とっては肝心なことだった。

 そのためには結末で人間(資本主義者)を豚と同列にしてしまうのは具合が悪い。ピルキントンやフレデリックは必要ない。農場の奪回作戦に関わるのも農場主たちではなく、ジョーンズとその手下だけでよい。「悪い農場主は一人しかいない」のだから。スノーボールの同情的な描き方はいかがなものか。スノーボール(トロツキー)が追放されずにいたら動物農場(ソ連)はまともな社会になっていただろうと受け取られてしまう。政権に就いても なにもできない無能で狂信的なインテリとして描くべし。外部の動物たちの描き方も要注意。善人が経営する農場(西側陣営)では動物は自由で満ち足りて幸福なのだからそのように描くべし─等々、「投資者」たちは、最初から最後までこのような修正意見を出しつづけた。

 彼らの見解では、バチュラーの初期の脚本には「共産主義そのものは正しいのにスターリン一味のせいでそれが裏切られたのだとする思い込み」が見られるが、これは資本主義社会についての彼女の「消極 的な描写」とともに、「われわれには受け容れがたい」として、そうした「誤解」がなくなるまで、脚本の書き直しが求められた。

・一様ではない解釈

 オーウェルの原作は、「ソビエト神話」の暴露という当初の意図を超えて、その寓話の語りの力によって、冷戦終結以後、ソ連が消えたあとも、あらゆる政治権力の腐敗を風刺した普遍的な書物になっていると私は考える。

 ではアニメーション版は? CIAのエージェントたちの狙いは首尾よく果たされたのであろうか? 「ニュースピーク」的な、意識の狭まりを強要する「投資者」の意図が徹底し、それが成功していたとしたら、プロパガンダ映画の最低の部類として、もはやそれが顧みられることはなかったであろう。しかしながら、出来上がった作品は彼らの思惑どおりの効果はおよぼさなかった。当時の映画評にそれはうかがえる。解釈が一様ではないのだ。

 時あたかも、米国内では一九四八年頃からマッカーシズムの嵐が吹き荒れ、政界、映画界などで「共産分子」を糾弾・追放する「赤狩り」が進行していた。そのなかで偽証、事実の歪曲、自白の強要、友の裏切り、密告の奨励がなされ、人心は荒廃した。こうした「粛清」の行き過ぎにようやく歯止めをかけるかたち で、米上院がマッカーシー議員の非難決議をおこなったのは、「動物農場」のプレミア上映とおなじ一九五四年十二月のことだった。一種の国民的なヒステリー 状態から醒めつつあったときであり、米国の観客にすれば、映画を観て、遠くモスクワを思い浮かべずとも、もっと身近なところに、思い当たることがあった。

 映画を観た人びとは自分の生きる場のそれぞれの現実にこの物語を置き換えて、その寓意を解釈しようとしたのである。寓話というものが本来そうである ように、現実世界を把握し、その意味を探るための思考の道具として、それは機能した。「投資者」には予想外なことに、彼ら自身も風刺の対象に含まれること になった。風刺の精神はアニメーションのなかにしぶとく生きのこっていたのである。

・「動物農場」でめざしたのは「自由についての映画」をこしらえること

 ハラス&バチュラーの、特殊な圧力と障壁を乗り越えるねばり強さ、反骨精神、志の高さと熱い想いがあってのことだろうが、それはまたアニ メーションそのものが秘める積極的な可能性を示すものでもあるのだろう。ジョイ・バチュラーが後年アニメーション史家のベンダッツィに語ったところによる と、「動物農場」の制作に際して彼女とジョン・ハラスがめざしたのは、「自由についての映画」をこしらえることなのだった。

動物農場を語る川端康雄より

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「自由についての映画」!
 
 

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