503: 告白
スタッフ、キャスト、他
監督・脚本: 中島哲也
原作: 湊かなえ
撮影: 阿藤正一 / 尾澤篤史
照明: 高倉進
録音: 矢野正人
美術: 桑島十和子
編集: 小池義幸
キャスト: 松たか子 岡田将生 木村佳乃
上映時間: 106分
製作: 2010年 日本
とある中学校の1年B組、終業式後の雑然としたホームルームで、教壇に立つ担任の森口悠子(松たか子)が静かに語り出す。「わたしの娘が死にました。警察は事故死と判断しましたが、娘は事故で死んだのではなくこのクラスの生徒に殺されたのです」教室内は一瞬にして静まりかえり、この衝撃的な告白から物語は始まっていく・・・シネマトゥデイ
【IMDb】
★★★★★★★★☆☆ 7.7/10 24votes
【YAHOO!JAPAN
映画】 ★★★★☆ 4.07点/1,301人
【映画生活】 ★★★★☆ 83点/249人
感想
中島哲也監督作品なので公開当初から見に行きたいと思っていた。原作は未読。
さくらスイッチ 85点 劇場観賞
主観的な世界を表現するために演出された映像と音声がとても印象に残った。告白している人物が、そのとき何処に意識を置いているのか良く分かる臨場感のある構成になっていた。そのおかげで、殺人に繋がる因果関係の種になるとはいえ、物語としては陳腐に感じるような一つ一つのエピソードの裏表やそこに去来する様々な感情を、しらけないで受け入れる事ができた。
エンターテインメント性のある面白い映画だった。
以下、ネタバレあり ![]()
◆現代に重なってある矛盾と混乱が引き起こす解決が困難なたくさんの問題
なぜ、先生の娘は彼らに殺されたの?
なぜ、彼らは命の重さに気付くことができなかったの?彼らが先生の娘を殺さないためには、どうすれば良かったの?
人を殺すという事が、少年Aにとっては母親への歪んだ愛情表現になっているし、少年BにとってはバカにしたAを見返してやりたいという自己顕示になっている。それが間違った方法だと、彼らはどうしたら気付くことができたのか。彼らにどうしたら教えられたのか。
子供って母親に自我を多かれ少なかれ与えられて思春期までは成長していくんだな、と思った。この映画で描かれていた少年A、Bの母親はそれが過剰で、息子を母親の自我の容れ物としてしか扱っていない。でも、この手の母親は少なくないし、当然ながらその子供がすべて人を殺すわけではない。大抵の少年は、母親に与えられた自我と決別して自立した新たな自我を形成していくし、少年A、Bもこの事件さえ無かったらそうなっていただろう。そうやって、少年A、Bが特異な存在では無かったと思わせられるのが怖い。闇の世界は同時に存在して揺らいでいるのであって、はっきりとした境界線を持つわけではないとあらためて感じた。
なぜ、著名教師の彼氏は彼女の復讐心を止められなかったの?
なぜ、彼女の復讐心は著名教師の彼氏に止められなかったの?被害者家族が加害者の少年に復讐しないためには、どうすれば良かったの?
二人はともに教職についており、ともに殺された娘の親なのに、事件に向き合う態度がまるで違う。彼は許しの理性が勝ち、彼女は憎しみの感情が勝った。その違いはどこにあったのだろうか。彼が教師らしい強い倫理観を持ち、彼女が強い母性愛を持っていたからだろうか。それとも、彼が比較的弱い父性愛しか持ち合わせていなかった、彼女が教師であるにもかかわらず弱い倫理観しか持ち合わせていなかったからなのか。あるいは、彼には著名人であるうという抑制が働いたのか・・・
被害者家族は他人を憎むという被害から立ち直らなければならない。彼女は自らが立ち直る手段として復讐を選んだ。心情としてはそんな彼女を責められない。
なぜ、父親は母親と息子を救わなかったの?
なぜ、母親と息子は父親に救われなかったの?母親が息子を殺そうとしないためには、どうすれば良かったの?
母親が息子を欲目で見ることはよくある事だ。とはいえ大抵の場合は、客観的にも見ている。でもこの母親の場合は、客観的な息子の姿が見えていない。この母親を盲目にしているもの、母親の愛情を歪めているものの正体は何なのか。この家族内に置ける母親の役割だろうか、それとも母親個人の狭い価値観だろうか。
現代社会はシステムごとに閉じた世界を持っている場合が多い。家族という小さなシステムも然りだ。そして、セーフティネットとしての人間関係が、家族間でさえ切れてしまっている場合もめずらしくない。問題が行き詰まってしまった場合、自滅するしか残された道がないなんてあり得ないのに、本人にとっては自滅への一本道しか見えない。それを第三者がバカにすることはできない。この後、父親が母親を殺した息子にどう向き合うのか、気になるところだ。
なぜ、母親は彼を救えなかったの?
なぜ、息子は母親に救われなかったの?息子が母親を殺さないためには、どうすれば良かったの?
父親は単身赴任、姉は大学に通うため一人暮らし、持ち家で母親と二人暮らし。地味で目立たない学校生活を送り、自分の存在を認めて貰いたい気持ちを鬱々と抱えている一番どこにでもいそうな思春期の少年。その普通の少年が、普通の少年がしない行為に及んでしまう。彼の殺意は、相手への憎しみが生んだわけではないため、突発的に芽生えている。これは怖い。
彼は無知だった。もし彼がHIVに対する正しい知識を持っていたら、第二の殺人は起こらなかったのだろうか。もし彼が母親に打ち明けていたら、状況は変わっただろうか。もし、もし、と考えていくと切なくなってくる。
なぜ、理解者だった彼女は彼を救えなかったのか?
なぜ、彼は理解者だった彼女に救われなかったのか?彼が彼女を殺さないためには、どうすれば良かったの?
幼い頃の実母による虐待と両親の離婚、彼を引き取った父親の再婚と異母弟(妹?)の誕生、「赤ちゃんの泣き声がうるさいだろうから」と離れに用意された子供部屋、複雑になっていく家族内での彼の立ち位置。そして無意識のうちに孤立感を募らせた彼は、閉じた世界で実母への執着を強めていく。
「なぜ私に(HIV検査の)結果を見せたの」「僕の命は軽いけど、君の命は重いから・・・」と言っていた少年。物語的には少年少女がお互いの理解者を見つけて孤独から救われる、ってのがセオリーのような気がするのに、この映画ではそうならない。「理解している」と少女に言われて少年はキレてしまう。そして少女に「マザコン」と罵られ、突発的に殺してしまう。
彼が中学生じゃなくて高校生だったら、彼女との友情に救われたかもしれない。「理解している」と言われて微笑み返したかもしれない。でもそうするには彼はまだ幼すぎた。
少年の母親の研究室に爆破物をしかけた事は少年Aを追い詰めるための嘘だった、あるいは「復讐劇」自体が悠子の憎しみを少しでも晴らすための空想だった、とも受け取れる。そして、「命の授業」ぜ~んぶが「な~んて、ね」という監督の言葉にも聞こえる。
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