雑感
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被害者がいれば加害者がいる 加害者がいれば被害者がいる
それらが混沌として存在する「戦争」という「悪」
それを支える 冷静で持続する「狂気」

‘Hospital ward, Thailand Railway’ by Murray Griffin, 1945-46
8月15日を挟んで、戦争関連のドキュメンタリーや特集がTV放映されているので、何本かを録画してポツポツと見ている。
上記の一つ、NHKスペシャル『調査報告 日本軍と阿片』の雑感と覚書が下記。
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“DS文学全集”にハマッてる ^^♪
『次郎物語』を読んだ
泣けるし 笑えるし 感心するし 共感できるし 思い出すし
面白くて止まらなかった!
下の画像に写っているのは
“DS文学全集”開発スタッフお薦めの『セメント樽の中の手紙』
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味を占めたあたしは、今日もこっそり、“名フィル創立記念日コンサート「ハッピーバースデー名フィル!」”に、双眼鏡を持参した。おかげで、アレクセイ・ゴルラッチがピアノを弾く指の動きを堪能できて、至極満足しちゃいました。ベートーヴェン「ピアノ協奏曲第5番変ホ長調 作品73『皇帝』」も聴きいちゃったし、アンコールで弾いたショパンの「エチュード作品10-4」もヨカッタ。ペコリと頭を下げる様子が、なんか可愛かったなぁ(笑)。
アレクセイ・ゴルラッチ( Alexej GORLATCH )は1988年5月23日生で、ウクライナ,キエフ出身。現在は、ハノーファー音楽大学にてカール・ハインツ・ケマーリングに師事。
2002年エトリンゲン青少年国際ピアノコンクール,2003年ハンブルグ・スタインウェイコンクール第1位を受賞。
2006年国際アウグスト・エファーディングコンクール(ミュンヘン)第1位受賞、リヒャルト・ラウグス・ベートーヴェン・ピアノコンクール(マンハイム)第1位、併せてベートーヴェン後期ソナタ作品最優秀演奏賞を受賞した。同年11月、第6回浜松国際ピアノコンクールにて第1位、併せて日本人作品最優秀演奏賞を受賞。
「Flavor Of Life」「Kiss & Cry」を購入したのがきっかけで、最近、宇多田ヒカルをよく聴いてる。で、以前の曲もシャッフルして、アットランダムに聴いてるんだけど、以前はスルーしちゃった曲も、今だと耳に残ったりして面白い。この現象は、ヒッキーの曲に限らないんだけどね♪
今日のお気に入りヒッキー♪
Parody ~Distance~
深夜放送 テレビが青い目で私を見てる
いくらチャンネルを変えても その視線を振り切れずにいる冷蔵庫の中は 何度覗いても同じ返事
聴きなれた返事 タイムリミットは目前
もっと時間がいる Let me beOh no これは parody でも自分には life story
私を待てずに時計は 何も知らないフリしてる
I know よくある話 でも自分には life story
誰かの真似じゃない私は これから続きを書きますみんなで同じ方向へ向かってく 高速道路
ただの偶然なんだよ 道が別れる時は突然七階まで急いでお願いね 意外と狭いエレベーター
誰もいないから安心
"思いやり"から Set me freeOh no どれも parody でも誰だって true story
力を出せずにあなたは 何もいらないフリしてる
I know よく似た二人 でも競い合うばかり
力を入れずに私は これから続きを読みますOh no これも多分 parody きっと他人には fake story
自分の靴しか履けない それで歩けるんだからいい
I know よくある話 でも自分には real story
続きを待てずに私は これから君に会いに行くよ
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いま平行して読んでる本が2冊あって、
そのうちの一冊が、
『クマのプーさん』ならぬ『タオのプーさん』。
三人の男が、大きな酢桶を囲んで立っている。
それぞれ指を酢に浸して、味見をしたばかりだ。
三人の男とは、中国の「三教」の代表だということ、
そして味を見ているその酢が
人生の本質を象徴していることを心得ておくほうがいいだろう。
三人の導師とは、孔子、仏陀、
そして現存するもっとも古いタオイズムの書の著者、老子だ。
一人目はすっぱそうな表情を浮かべ、
二人目は苦い顔、
なのに三人目はほほえんでいる。
孔子にとって、人生は、どちらかというとすっぱいものだった。
仏陀にとって、この世の生活は苦しみを招く
執着や欲望に満ちあふれた苦々しいものだった。
老子にとって、そもそもはじめから天地のあいだにあった自然の調和は、
だれもがいつでも見出しうるものだった。
地は、その本質において天を映し出しており、
おなじ法則によって営まれている-
人間の法則によってではない。
老子によれば、宇宙の法則によってつくりだされ、
支配されている自然のバランスに人間が介入すればするほど、
その調和は遠のいてしまう。
無理をすればするほど、問題が大きくなる。
軽重、乾湿、遅速にかかわらず、
万物はその内に独自の性質をもっており、
それを無視すると面倒が起こらずにはすまない。
観念的で一方的な規則が外から押しつけられれば、
どうしても軋轢が生じる。
人生がすっぱくなるのはそのときだけだ。
老子にとって、
この世は罠をしかけるどころか、
貴重な教えをもたらす師だった。
この世の法則にしたがわねばならないのと同じことで、
その教えは学ばなければならないが、
それを学びさえすればなにもかもうまくいく。
「塵界」に背を向けるより、
「世の塵れ(よごれ)とひとつになれ」と、
老子は説いた。
天地のあらゆるものの背後で作用するものを、
彼はタオ、すなわち「道」と呼んだ。